第二百五十話 南部戦線⑥ 悲報
サザンゲート要塞で戦端が開かれたとの報を受け、カイル王国軍右翼防衛の任に当る俺たちは、首脳陣をイシュタルと魔境の境界に設けられた関門に集め、最終迎撃体制を確認するため、打ち合わせを行っていた。
席上には、総指揮官たる俺(ソリス魔境伯)、ゴーマン伯爵、ソリス伯爵、コーネル子爵、ヴァイス男爵、バウナー準男爵の他、騎士爵以上の指揮官クラスが一堂に集まっていた。
「皆さん、既にお聞き及びの通り、サザンゲート要塞では今朝、戦端が開かれたとの報告が入っています。
恐らく帝国軍は、要塞の攻略に一軍を残し、左翼と右翼はそれぞれ要塞を迂回して侵攻してくるでしょう。ハストブルグ辺境伯は守りに徹し、負けない算段を最優先した戦術で、防衛の任に当たられています」
「そうですな、敵軍が要塞攻略を諦め、左右から迂回するとしても、夜の魔境は抜けて来ないだろう。
流石に第一皇子は、魔境の恐ろしさを十分に知っているだろうからな。
では、敵襲は早くても数日後、そうなる公算が大きいという訳か」
父、ソリス伯爵の言った言葉は、俺の認識に等しい。
だからこそ、今ここで各方面から全軍諸将を終結させ、最終の会議を行っているのだから。
「魔境伯の仰る通り、この要塞が健在であれば、帝国軍は侵攻ルートに大きな楔を打たれた形となり、反攻に転じる際の要となりましょう」
「ヴァイス男爵、そうは仰るが、帝国軍は50,000を超えると聞いております。要塞は守り切れるのでしょうか?」
「コーネル子爵の懸念はもっともなことと思います。ですがあの地形では、正面戦力は10,000程度、包囲するにも丘陵地帯が障害になり、20,000で囲むのが関の山でしょう。
老練な辺境伯が采配を握っている限り、20,000程度の敵軍には持ちこたえるでしょう。補給物資の備蓄も多く、7,000の兵が数か月は存分に戦える準備が進められているとのことです」
「問題はむしろ此方デアルな。我らはイシュタル方面、アイギス方面の二か所で敵軍の攻勢を受ける可能性があり、特にこの関門の立ち位置が微妙デアルしな」
そう、このゴーマン伯爵の指摘こそが、最も悩ましい点だ。
この関門はアイギスとイシュタルを繋ぐ要衝だが、敵軍の一隊が東の山岳地帯を抜けイシュタル方面に進出し、一隊がアイギスを包囲すれば、完全に孤立してしまう。
そしてこの関門を失えば、アイギスとイシュタルの連絡は絶たれ、人だけでなく情報や物資も、ディモス、ガイア、テイグーンを経由した大回りの移動を余儀なくされてしまう。
通信技術のないこの世界で、部隊間の連携、これについては大きな課題となっていた。
「この関門は死守します。そのための兵を配置し、魔境側とイシュタル側、双方から挟撃を受けても持ちこたえられるよう、準備と改装を進めて来ました。
双方の連絡を繋ぐ中継地点として、大きな役割を担うため……」
「急報っ! お話中失礼します。サザンゲート砦より、急報を携えたラファール殿が……」
俺の言葉は、急報を告げる使者に中断された。
魔境伯領では、どんな重要な会議の途中でも、無礼を顧みず急報を告げる使者の報告を妨げないこと。
これを徹底していた。
「ラファールが……、早すぎるな?
……、すぐにここへ通せ!」
この時点で俺はある程度の覚悟を決めた。
俺はハストブルグ辺境伯の元に、信用できる連絡役としてラファールを残して来ていた。
ラファールなら、どんな重囲下にあっても闇魔法を駆使し、情報を携え俺の元に戻ってくる。
近侍として辺境伯の傍にいて、重要な情報を携えてくる役目を彼に担わせていたからだ。
「会議中に、そしてこの様な格好で参じた非礼、どうかご容赦ください」
そう言って跪くラファールは、全身が血と汗に汚れ、鎧も各所がひしゃげていた。
諸将は固唾をのんで彼の発する言葉を待った。
「敵の予想外の攻撃により、サザンゲート要塞は陥落いたしました。敵は……」
「な、なんじゃと!」
「まだ開戦初日ではないかっ!」
「辺境伯は! ご無事なのか?」
諸将が一斉に立ち上がり、声を荒げて驚愕した。全員の顔が蒼白になっていた。
「皆さん、どうか落ち着いてください。彼の言葉を最後まで聞くこと、これが先決と思います」
そう言った俺自身がもちろん、最も動揺していたのは言うまでもない。ただ、俺にはラファールが早々に戻って来たこと、これである程度の心構えができていたに過ぎない。
「敵軍は、魔法士を擁しております。総数は分かり兼ねますが、攻撃に参加していたのは火魔法士と雷魔法士が凡そ50名程度。彼らの魔法攻撃により、弓箭兵部隊は機先を制され、有効的な反撃もできないまま、城壁に取りつかれました」
「なっ!」
「ま、まさかっ!」
「どういう事デアルか!」
「……、ラファール、続けてくれ。それは大きな誤算だが、俺はその程度のことで、辺境伯が容易く敗れる訳がないと思うが」
「はい、一時は圧倒的に不利な状況でしたが、辺境伯の陣頭指揮により、一時はその攻勢も凌げるよう持ち直しました。
しかし、混乱も収まりつつある最中、本陣の指揮所目掛けて、百はあろうと思われるバリスタの一斉射撃を受けました。
これにより辺境伯は負傷され、多くの指揮官が斃れたことにより、指揮系統が寸断されてしまい……」
「本陣が狙い撃ちされた、そういうことだな? それも正確に……」
「仰る通りです。敵側もバリスタに何らかの工夫をしているのか、着弾後に多くの刃が指揮所内を飛び交い、それによる犠牲が無視できないものでした。
辺境伯と私がこの難を逃れたのは、このクリムトの鎧のお陰です。ただ、辺境伯は倒壊した柱の下敷きとなり、それによって負傷されました」
「で、辺境伯は脱出されたのか?」
「本陣が混乱している中、敵軍は左翼に攻撃を集中し城壁が破られ、右翼の城壁上は各所に火の手が上がりました。この時点で辺境伯は撤退を決意され、私に魔境伯へ伝令として走るよう命じられ……
ご自身は、殿軍を率いて味方の撤退を援護すると……」
「何故辺境伯をお連れしなかった!」
ここで父が怒号を発した。
うん、気持ちは分かる。分かるけど……
「父上、お気持ちは分かります。ですが、ラファールを責めないでやってください。
彼の立場では、辺境伯の命に従うより他ないのです。私たちと違い、彼らにとって軍律、主命とはそう簡単に無視できるものではありません」
「うむ……、そうだったな。ラファールよ、取り乱して済まなかった」
俺には少し不思議だった。
父がこのようなことを理解できぬはずがない。
であれば……
敢えて諸将を納得させるために、短絡的な思考をした振りをしているのか?
ラファールを庇うために。
「滅相もございません。私自身、我が身の不甲斐なさを悔やんでおります。
私が脱出する折、配下の者を数名、辺境伯の脱出を確認するよう命じて、砦に残しております。
優秀な者たち故、追って報告が入ると思われます」
「皆さま、辺境伯の安否は気掛かりですが、これで戦局の様相は一変してしまいました。
今や我々は、後方に安全な橋頭保を確保した帝国軍と対峙せねばなりません。
しかも魔法を戦術として採用した、これまでにない敵軍と対峙することになります」
そう言って俺は周囲を見渡した。
俺の言葉に、誰もが大きく動揺している。
これまで、俺たちのチートだった魔法が、敵軍も使えること。この変化はとてつもなく大きい。
「所でラファール、敵軍は火魔法と雷魔法を使用していた。確かそう言っていたな?
その攻撃を見てどうだった。もしかして、アレと同じか?」
「はい、魔境伯の仰る通りです。以前にイシュタルで行われた魔法騎士団の戦闘訓練、その時の敵役が使用した攻撃手段に酷似しておりました」
やっぱりそうか!
正直言って、帝国軍が50名もの攻撃魔法士を運用してくるなんて、どう考えても有り得ない話だ。
一つの例外を除いて……
「皆さま、西部戦線のことはお聞き及びでしょう。
今回の帝国軍の攻撃戦術は、フェアラート公国の魔法士が採る戦術に酷似しております。
この事実から推測されることは、帝国と公国の反乱軍が繋がっている、そういうことになります」
「いや、それは……」
「デアルカ……」
「そ、そんな……」
「以前帝国の、ケンプファー子爵から聞いたことがあります。イストリア皇王国が共闘の書簡を送ってきたことがあると。それは公国でもあり得る話でしょう。
幸い我々は、魔法騎士団を訓練する過程で、その対策も講じており、防御戦を習熟した魔法士もおります。
ラファールの功績は、その情報を事前にもたらしてくれたことです。知っていれば我らは負けません!」
俺は自信を持った目で、周囲を見渡した。
もちろん、魔法騎士団を訓練した際、万が一に備えてアイギスの防衛線にはその対策も施している。
「これに際し、若干の配置変更を行いたいと思います。もちろん諸将のご了承を得て、の前提ですが……
ゴーマン伯爵、伯爵には攻防の要であるこの関門守備をお任せしたいですが、よろしいですか?
伯爵は魔法騎士団の訓練の様子もご覧になっていました。対処法もご存じでしょう」
「うむ、そうデアルな。承知した」
「ソリス伯爵、コーネル子爵はバウナー準男爵と共にイシュタルの守りをお願いしたい。
ご身分や立場では、お二方が上席ですが、ことイシュタルの防衛戦に関しては、アレクシスに一日の長があります。
大変申し訳ありませんが、アレクシスの指揮下に入っていただけますか?」
「うむ、承知した」
「異存はありません。喜んで指揮下に入りましょう」
「アレクシス、君なら余計な遠慮や忖度もなく、采配が振るえるよね?
ロングボウ兵を1,000名、駐留軍200名を預けるから総勢で2,500名、これでなんとか踏み止まってほしい」
「私もここに来て数年、魔境伯の無茶振りには慣れました。
でもなんかちょっと、酷い言われかたをしている気も……、いえ、失礼しました! 承知いたしました。
ソリス伯爵、コーネル子爵、お力をお借りいたします」
「団長、我々は4,600名でアイギスを守ります。敵の本命はおそらく此処でしょう。
敵軍の魔法士部隊も、恐らく最も守りの固いここにぶつけてくるでしょうし」
「承知しました。日頃の鍛錬の成果、見せてやりますよ」
「そして、各拠点の連絡手段ですが……」
「急報! 急報にございますっ! どうか魔境伯にお目通りを!」
切迫した声で扉を叩く使者を、ラファールが扉を開いて迎え入れ、報告するよう促した。
「ハ、ハストブルグ辺境伯が、戦死なさいました!」
「えっ?」
「なっ!」
「う……」
「そ、……」
俺を始め、誰もが言葉を詰まらせた。
確かに要塞は落ちた。だが、百戦錬磨の辺境伯がそんな簡単に不覚を取るはずがない。
そんな馬鹿なことが……
「報告はそれだけデアルカ?」
あまりの動揺に言葉を失った俺に代わり、ゴーマン伯爵が使者に質問を投げかけた。
かくいう伯爵も、微かに肩を震わせている。
「辺境伯の戦死の報とともに、キリアス子爵から辺境伯の最後の言葉として、全軍の降伏が通達され……
直前までの撤退命令と余りに違うため、諸将は混乱されたのち、クライツ男爵、ボールド男爵、ヘラルド男爵軍は直前の辺境伯の命に従い撤退を、辺境伯軍の一部も撤退を行いましたが……
キリアス子爵軍との同士討ちも発生しております」
「キリアス、あ奴が!」
ゴーマン伯爵が、呻く様に吐き捨てた。
ここに至って、状況は容易に想像できる。
辺境伯が降伏など有り得ない。そしてその死の直前と明らかに異なる命令。
敵軍が知りようもない、辺境伯の本営が狙い撃ちされたこと、これで腑に落ちる。
ここに至って、俺は漠然とした不安が何だったのか、それを最悪の形で知ることになった。
前回の歴史で、エロールが担った裏切り者の役割は、キリアス子爵が担っているということを……
これまで俺自身、なんとなくキリアス子爵を避けていた気がする。
無意識に何らかの不安を感じていたということか?
ならば何故、それを防ぐ行動に出なかった?
俺は自責と後悔の念で、押しつぶされそうになった。
歴史はやはり、同じ結末を辿るよう、役者を揃えて来ている……
ハストブルグ辺境伯が居たからこそ、俺は今の立場まで力を付ける事ができた。
飛躍の切っ掛けとなった投資もそうだが、これまで多くの場面で、陰日向に俺を支えてくれた大恩人、それが辺境伯だ。
俺は最大の理解者であり、庇護者でもある人を失ってしまったのか?
そう思うと俺は、足元が真っ暗になり、今にも倒れかけそうになるぐらい、ショックを受けていた。
いつもご覧いただきありがとうございます。
次回は『皇子たちの思惑』を投稿予定です。
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※※※お礼※※※
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