第二百四十八話 南部戦線④ 南部国境要塞陥落
眼前に見える堅固な城壁を持つ要塞も、至る所から火の手が上がり、その混乱した様子が見て取れた。
だが、徐々に統制を取り戻したのか、何か所からは統制された反撃も行われ始めた。
そのため、一部の魔法士たちは、歩兵たちが作り上げた盾の傘に隠れ、継続的な魔法攻撃ができなくなり始めていた。
「ふん、一時の混乱を立て直したか?
やはり噂に聞くハストブルグ辺境伯、なかなか頑健だな……」
「そうですな、我らとの戦いで20年以上に渡り、最前線を支え続けてきた男です。易々と折れるものではないようですな。予定通り、次の手に移りますか?」
「そうだな。ハーリー、合図の旗を掲げ、銅鑼を連打させるよう手配せよ。
前線に下命、敵の左翼、そこに攻撃を集中させよ! 意味は……、分かるな?」
「仰せのままに」
戦場では銅鑼が連打され、魔法士の攻撃が要塞の左翼、ファルムス軍の守る城壁上に集中され始めた。
「く、崩れるな! 持ちこたえろ!」
「ファルムス伯爵の勇名、今こそ轟かす時だ!
全軍、取り付いた敵兵を押し返せ」
「こちらも風魔法を展開、風壁で炎弾を弾き返すんだ!」
守将たるクライツ男爵、ボールド男爵、ヘラルド男爵の叱咤が飛ぶ。
彼らは城壁上に身を晒し、最前線で指揮しながら粘り強く、必死に兵たちを鼓舞し続けていた。
「て、敵軍が左翼に攻撃を集中しています!
一部は城壁に取りつかれており、このままでは、左翼が持ちこたえれません!」
報告を受け、ハストブルグ辺境伯は決断した。
「止むを得ん、中央から左翼に更に支援を、本陣の予備兵力も全て左翼の防衛に投入せよ!
クライツ、ボールド、ヘラルドには、防衛が叶わぬと思われた際は、中央へ引くように伝えよ。
彼らはこの先の戦いで必要とされる貴重な指揮官だ。むざむざ緒戦で失うわけにはいかん!」
辺境伯には、かつて20数年前の戦いで失った、3人の盟友たちの姿が浮かんだ。
彼らを失ったことが、その後どれほど痛手であったかも含めて……
「ファルムス、アベルト、ゴーマン、儂もいずれ其方らの元に参るじゃろう。じゃが、今は待ってくれ。
ファルムス、其方の一族の奮戦、どうか見守ってやってくれ」
辺境伯は、かつて共に戦い、先に逝った友たちに向かって、小さな声で呟いた。
その時だった。
辺境伯が陣取る指揮所目掛けて、百本近いバリスタの矢が風を切る音を上げて飛来した。
その瞬間、辺りには轟音が響き渡り、濛々とした土埃に包まれた。
もちろん、強固な石造りの部分はびくともしなかったが、木製の天蓋や漆喰で固めた部分などは貫かれ、本陣は瓦礫の山と化した。
切先に取り付けられた鋼鉄の穂先は、指揮所内を跳ねまわり、その跳弾を受けて何人もの近侍が倒れた。
「辺境伯! どこにおわす?」
悲鳴のような部下の声に、答えるように辺境伯は声を上げた。
「ここじゃ、ここにおるわ」
倒れた柱の下敷きになりながら、辺境伯は負傷しつつも生きていた。
「ふう、折角魔境伯が儂にくれたクリムトの鎧で助かったが、流石に柱だけは防げなんだな。
だが、この鎧のお陰で助かったわ」
救い出された辺境伯は、柱の下敷きになり、歪にひしゃげてしまった鎧を見て一言いった。
彼はその鎧をすっぽり脱ぐ形で、柱の下から救い出されていた。
先ほどの攻撃では、辺境伯自身、鋭利な跳弾を数発胸に受けていたが、クリムトの鎧は貫通を許さず、その全てを弾き返していた。
ただ、その柱の下になった衝撃で肋骨が数本折れたのか、胸部に大きな痛みを抱え、剣を振るうにも支障が出ていた。
「ふむ……、左翼に攻撃を集中したと見せかけて、本陣を正確に狙ってくるとはな。
大多数の兵が左翼に援軍に出ていたお陰で、被害は少なかったが……」
そう言って埃が晴れたあと周囲を見渡すと、本陣に控えた多くの兵が、バリスタの攻撃に斃れていた。
一帯には、むせ返るような血の臭気と、目を背けたくなるような悲惨な光景が広がっていた。
その多くが、指揮官級の人材で、軍の運用には欠かせない者たちだった。
「辺境伯、ここは危険です! すく退避を」
「儂より負傷者の救護と搬出が先じゃ、すぐに第二射が来るぞ」
辺境伯と近侍の会話に割り込むように、伝令が転がり込んで来た。
「急報っ! 左翼の城壁が破られました。敵兵が雪崩れ込んで来ております!
また、右翼の城壁上にも彼方此方で火の手が上がっており、収拾がつかない状態です!」
「くっ! もはやこれまでか……、無念じゃが、全軍をサザンゲート砦まで撤退させよ。
戦いはここだけではない。ゆえに、決して無駄死にはするな、そう各将には伝えよ。
それと魔境伯に伝令を! 敵の戦術を伝えるのじゃ。
悪いが本陣におった其方自身が、使いとなって走ってくれ。
このためにこそ、其方はここに遣わされた、そう儂は思っておる。儂の愚を犯さぬよう、魔境伯に伝えるのじゃ。行けっ、今すぐに!」
伝令と近侍を走らせたあと、辺境伯は殆ど人の居なくなった本陣で立ち上がった。
全身の痛みを堪えながら。
「さて、物好きな者たちを率い、味方が撤退する時間を稼ぐとするかの。誰かおらぬか?」
「はっ! こちらに」
傍らに控えた者に、辺境伯は落ち着いた声で話しかけた。
「中央軍を率いる諸将に伝えてくれ、味方の退路を確保するため、北門に集結せよとな。
一人でも多くの兵を逃がすため、手を貸してくれと伝えてくれ」
「はっ! 確かに。辺境伯も、急ぎご撤退を!」
「守将は一番最後と決まっておろう。其方は伝令に走ることが与えられた任務じゃ。行け!」
そう言って彼を使いに追いやると、辺境伯はよろめきながら数人に支えられて歩き出そうとしていた。その時、再び雷鳴のような轟音とともに、雷魔法と思われる攻撃が辺境伯の本陣を襲った。
雷に撃たれた数人が倒れ、再び周囲は土埃に包まれていた。
「何故……、右翼から雷魔法が?
へ、辺境伯! ご無事ですか? ぐわっ!」
辺境伯を気遣う声を上げた者が、突然悲鳴を上げて倒れた。
その先には、血刀を手に立ちすくむ人影が見えた。
「な、何者じゃ?」
辺境伯は全身の痛みに耐えながら、ゆっくり身体を起こし立ち上がると、抜剣して目を凝らした。
「なっ! 何故貴様がここに居る?」
「辺境伯、カイル王国と貴方の命運はもはや尽きた。
この上は、この要塞と運命をともにしていただこう。この後に来る、新しき世のために」
そう言うと男は、恐ろしい程の速さで踏み込み、抜き放った剣を振り下ろした。
斬撃は肩口から、辺境伯を切り下す。
「き……、何故……」
肋骨を折り、まともに剣を振るうことができなかった辺境伯は、受け止めようとした剣をはじかれ、致命傷を受けその場に倒れた。
その表情は、驚きに目を見開かれたままだった……
『ダレク、タクヒール……、我が息子たちよ、すまん……、後は頼む。
ファルムス、アベルト、ゴーマン……、懐かしいなぁ。今からお前らの元に行くとするよ。
お前ら……、そんなに俺を責めるなよ。不甲斐ない最後だと、俺自身が恥じているんだから……』
言葉にならない、最後の思いを抱いたまま、ハストブルグ辺境伯は戦塵のなかその生涯を終えた。
最後の瞬間に辺境伯の心は、時を逆行し、先に逝った懐かしい友たちに囲まれている、そう感じたのかもしれない。彼の口元は、まるで照れ笑いをするかのように、僅かに緩んでいた。
辺境伯が斃れる直前、我が身に構わず発した命令のお陰で、撤退の指示は各将に届き、玉砕することなく速やかに撤退の準備は整えられていった。
しかしながら、この撤退を妨げる出来事が起こったため、最終的に無事撤退し、サザンゲート砦に辿りついたのは、当初防衛に就いていた半数以下、2,000名を下回っていた。
その多くが深手を負い、当面は戦線復帰が叶わぬ状態であり、誰もが満身創痍の状態だった。
この結果、南部戦線でカイル王国軍は、予想だにしなかった大惨敗を喫し、全軍の首将たるハストブルグ辺境伯を失い、サザンゲート要塞は失陥した。
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