第二百四十五話 南部戦線① 開戦への道
グリフォニア帝国の北部最辺境にある、城砦都市ゴールトには、帝国各地より続々と軍勢が終結しつつあった。その数、既に40,000を超え、街の周囲は城砦に収容しきれない、人馬と天幕で埋め尽くされていた。
そんな中、予想外の状況の推移に、焦りを募らせている男が、側近に語りかけた。
「一体いつまで我らは待たねばならんのだ! このままでは我らが攻める前に、カイル王国が滅んでしまうではないか!」
「と申されましても、第三皇子側との約定により、進行する期日は予め定められております。
我らも、ハーリー公爵が兵站物資の調達と最後の10,000を率い、到着されるのを待っている状況ですし……」
「ハーリーは何を手こずっているのだ?」
「その……、商人たちから物資の調達が思うように進まず、苦労されているようです」
「またあの小僧か!」
第一皇子グロリアスはジークハルトのことを小僧と言って罵った。
実際、今回の出征に当たりジークハルトは、味方の中の敵、彼らの足を引っ張ることはしていない。
ただ、商人たちに優先的に糧食を回してほしい、そう依頼していただけだった。
だが、商人たちが彼の言葉を受け取ると、勝手に忖度し、結果的にそういう形になってしまっていただけだ。
商人たちにとって、ジークハルトの卸す砂糖は大きな利権の源だったし、落ち目の第一皇子よりは、既に皇位継承が既定路線となりつつある、第三皇子陣営の歓心を買うことのほうが大事だった。
そのため、本人たちの意図を介さず、第一皇子側は軍の行動に欠かせない糧食調達に、支障をきたすことになっていた。
更に今は秋の収穫前、一年で最も穀物の少ない時期でもある。
ジークハルト自身、この現状に苦笑しながら、対応を考えていた。
「殿下、向こうは糧食の調達にかなり手こずっているようですね。後で余計な事を言われても面倒です。
いっそ、こちらの備蓄を明け渡してはいかがですか?
もちろん、それなりの手間賃をいただいて」
「ははは、この期に及んでも儲け話か?
確かに、奴に余計な口実を与えるのも不本意だし、差し障りのない程度の儲けを入れて、奴に回してやれ」
「はい、勿論きっちり儲けはいただきます。
そもそも、彼らが言い出した、この余計な戦いの戦費は馬鹿になりません。出征自体骨折り損となる公算が大きいのに、費やされる戦費は各陣営の持ち出しですからね。
それに、敵国に入ってから、糧食に窮乏して支援を求められても困りますし」
「王国内の実りは、アテにできんということか?」
「我々がそれをアテにしていることは、敵も承知していますよ。
私だったら、侵攻される一帯の畑を焼き払いますね。先方には火を自在に使える魔法士もいますし」
「ふむ……、我々の糧食は十分にあるのか?
最悪の場合、あちらに属する兵たちも食わしてやらねばならんが」
「はい、もちろんその分を計算して、きっちり調達していますよ。
まぁ……
そのために買い占めた結果、向こうが調達に困っているという形にはなりましたが」
「なんだ、結局全てお前の掌の上ということか?
それが露見した場合、向こうはさぞかし激怒することだろうな」
「それが露見するようなヘマはしませんよ。今回は数こそ少ないながら、我々にも魔法士が同行します。
あちらは、我々に時空魔法士を伴っているとは、思ってもいないでしょうね。彼らに分からぬよう、荷駄で運びきれないほどの糧食を抱えて……」
そう、ここ数年、ジークハルトは魔法士の発掘に向け、精力的に動いていた。
帝国内にも極端に数は少ないものの、魔法士は存在する。今は併合された旧ローランド王国には、遥か数百年前には魔境が存在しており、魔の民の血統を受け継ぐ者たちも存在するからだ。
その旧ローランド王国の版図には、今ジークハルトが治める旧ゴート辺境伯領、アストレイ伯爵領、ケンプファー子爵(男爵)領、ブラッドリー侯爵領などが含まれており、その大半がジークハルトの影響下にあった。
そして何より、カイル王国より公式に失われた宝珠、その最後の一つは、ローランド王国に設立された教会へと流れていたのだ。
数百年前は、ローランド王国内でも魔石は、高価な宝飾物として流通しており、それなりの数が未だに現存していた。それをジークハルトは買占めていた。
もちろん、商人を通じて公式に輸入したものもあったが、隣国、特に魔境伯に気取られぬよう数を絞り、細心の注意を払っていた。
そして、カイル王国内で数年前に反乱に加担し、その一族として死罪とされる筈であった者たち、彼らの一部は帝国領内に逃げて来ていたが、その中には教会関係者らも含まれていた。
ジークハルトは彼らを保護し、密かに匿っていた。
教会の持つ情報を提供する代わりに、生命と今後の財産となる対価を与えて。
魔法士を抱え、戦術的に優位を誇るカイル王国、特に魔境伯の率いる軍勢に対抗するため、ジークハルトは必死にその対抗手段を模索していたのだ。
数年の努力の結果として、彼は密かに、時空魔法士を含む数名の魔法士を麾下に収めていた。
「其方の魔境に対する思い入れは、殊の外だな?」
「そうですね、私の思いは我が祖先、500年ほど前のゴウラス・ケンプファーとジーク・ケンプファー、この二人が遺した書によって発しております。
かつて、魔の民と友誼を結んだと言われる二人の当主たちは、当時迫害されていた魔の民の血統を持つ者たちを密かに保護し、積極的に領民としておりました。
そのため、ケンプファー家の領内には、帝国内でも抜きんでて多く、その血統を受け継ぐ者たちがおりますので……」
「ほう? 今の其方の行動は、500年前から仕込まれていたということか?
誠に興味深い話だな」
「これも何かの縁かも知れませんね。なので私は、常々王国を亡ぼすことには懐疑的でしたからね。
まぁ、あとは先方次第です。魔境伯がこちらの期待通り、動いてくれるか……」
「ははは、俺もその魔境伯とやら、一度会って話をしてみたいものだな。
ドゥルールも殊の外褒めていたしな。正直、奴が取り入れた彼方の施策には救われた部分も多い」
「今回は彼と、彼の旗下も参陣すると聞きましたが?」
「ああ、最初は王国に大規模侵攻があると聞き、烈火の如く諫めに来よったわ。
我らの目的を告げ、右翼を担当すると聞き、不承不承で納得しおったがな」
「ははは、彼らしいですね」
ジークハルトは苦笑せずにはいられなかった。
彼なりに、魔境伯には相当感謝しているのだろう。
※
数日後、遅れていたハーリー公爵も軍勢を率いて到着し、ゴールト城塞では出征前の最終会議が開催されていた。
「先ずはグラート、糧食に関して我らへ配分してくれたこと、礼を言う。
些か、高い買い物だったがな」
冒頭で第一皇子の発言を受け、グラートは思わず横を見た。
ジークハルトは素知らぬ顔で座っている。
『こいつ、相当ふんだくったな?』
思わずそう思ったが表情を消した。
「先年、カイル王国では相当規模の飢饉が発生したと聞いている。国境に近い北に来れば来るほど、商人を通じて糧食は北に流れ、掻き集めるのにも苦労をしたのだろう」
そう答えたグラートも、些か歯切れが悪かった。
それは確かに、事実の一端を構成する要素ではあるが、ほんの一部の理由だ。
原因の殆どは、隣にすまし顔で座っている狐にあることを知っていたからだ。
グロリアス側も確たる証拠が無いため、話題を変えた。
「それはさておき、フェアラート公国、イストリア皇王国の動きが早すぎるのではないか?
誰かが使嗾したのでは? そう思わずにはおれんのだが……」
「グロリアスよ、それはこちらの台詞だ。
我らは、皇王国からの親書は無視し、共闘を断った。そして公国とは全く縁がない。
公国の使者が、其方の元を出入りしていたという情報もあるが?」
「……」
第三皇子の指摘は的を射たものだった。
第一皇子陣営は、その両方と接触を持ち、今回の共闘を約していた。
だが、彼らの手際が余りにも良いため、疑心暗鬼に陥っていたに他ならない。
「両殿下、戦いを前にして、要らぬ猜疑はどうかお控えいただくようお願いいたします。
我らは一致団結して、この大業を成就する必要があるのですから」
『ハーリー、お前が言うな! よくもヌケヌケと……』
第三皇子は心の中ではそう思ったが、敢えて言葉にはしなかった。
「きっと奴らは、最も強力な我らが参戦するのを待っておるのだろう。
自軍に降りかかる火の粉を、他者に擦り付けるために。浅ましいことだな……」
「グラート殿下の仰る通りですな。
これ以上我らが徒に時を失えば、他の二国に漁夫の利を得られかねません。
直ちに出陣すべき、そう具申いたします」
「我らはいつでも準備ができておるわ。ただ其方らを待っていただけのこと。
それも、重々承知しているのだろう?」
「では、明日を以て国境に進軍する。これでよろしいでしょうか?」
「ハーリーの言にひとつ加えたい。敵が国境に築いた要塞、その攻略を我らに任せてはもらえないか?
遅参した詫びの証として」
「それは構わぬが、大軍で包囲しにくい地形ゆえ、いささか手こずるぞ? グロリアス、良いのか?」
「ああ、我らの手並み、ゆっくり後方で見学してもらって差し支えない。
我らにも対策はある故な」
こう言って第一皇子は不敵に笑った。
それはまるで、カイル王国の魔法士対策、攻城戦に十分な自信があると言いたげな表情で。
その言葉を受け、緒戦の対応は決まった。
翌日には全軍で国境へと移動が開始された。
そして、国境に到着した第一皇子の先鋒は、直ちに戦いに突入することが決まっている。
彼の秘策、テイグーン攻略のため周到に用意された策は、その前哨戦たるサザンゲート要塞攻略戦でその真価を発揮することになる。
それにより、タクヒールらは予想もしなかった攻勢を受け、驚愕することになってゆくが、カイル王国陣営では、そのことを知るものはまだ誰もいない。
いつもご覧いただきありがとうございます。
次回は『開戦前夜』を投稿予定です。
以前にも登場しましたが、ジークハルトの祖先や、彼らの活躍については、その経緯を外伝の三十八話を中心に掲載しております。
よろしければ、そちらもご覧ください。
どうぞよろしくお願いいたします。
※※※お礼※※※
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