第二百四十二話 西部戦線④ 膠着
フェアラート公国宰相、イフリス公爵の命を受け、カイル王国侵攻軍を率いているスキュリア侯爵は、先遣隊より後方、約半日の距離に軍を展開し、周辺を地域を抑えながらゆっくりとカイラールに向け進軍していた。
そして、前線より驚愕すべき知らせを受け取ることになる。
「スキュリア侯爵に申し上げます、最前線より急ぎお知らせしたいお話があると、ご使者、アクアラート・リュグナー様が参っております」
「おおっ! 早速こちらにお通ししろ。吉報を持ってこられたに違いない」
リュグナーは本陣の、侯爵が待つ天幕へと迎え入れられた。
だが、その姿は煤に汚れ、軍装は乱れており、敗残兵さながらの恰好であった。
「リュグーナー殿、待っておった……、なっ! 如何された? ま、まさか……?」
「敗残の身で閣下にご不快な報告をせねばならないこと、どうかご容赦ください。
レッサー伯爵以下、首脳部は全滅し、先遣隊は壊滅状態となっております」
「ななな、何と! 何としたことじゃ! それでは分からん。前線で何があった?」
「私は致命傷を負われた、レッサー伯爵より最後の依頼を受けて、こちらまで参上いたしました。
当初は我が軍が一方的に攻勢を仕掛けていたところ、理解不可能な敵の反撃を受け、魔法兵団が壊滅、その後、数万にも及ぶ弓箭兵の攻撃を受け、先遣隊10,000名も潰走いたしました」
この報告には幾つか虚偽があった。
そもそも、リュグナーは何かを警戒し、本陣とは距離を置いた後方にいた。その為、カタパルトの焼夷弾攻撃から難を逃れることができたのであって、レッサー伯爵からの依頼など受けてはいない。
そして、数万の矢、これはリュグナーの恐怖に捕らわれた主観であり、客観的な数ではない。
ただ、自身も激戦の中にいたと思わせるため、敢えて衣服を汚し、激戦の中を脱出したように見せ掛けていただけであった。
「瀕死の伯爵の願いとはいえ、私がおめおめと戦場を離脱しましたのは、どうしてもお知らせしたきことがあったためです。
これより先、約半日ほどの行程にあるクレイラットの地に築かれた、敵の防衛陣地にはカイル王の王女、クラリスがおります。そして、貴国のフレイム伯爵も」
「何じゃと! それは誠か?」
「戦死しました、クランティフ辺境伯がクラリスと認めておりましたゆえ、間違いないかと。
そして王族、まして王女が前線に出てきていることを鑑みますと、この方面には王都騎士団3万騎の全軍が、いや、少なくとも2つの軍団、2万騎以上が展開しているように思えます」
「それで、数万の弓箭兵ということか?」
「はい、まだ包囲網が完成していない今、性急に軍を進める危険性をお伝えしたい、これが此方に参ったもう一つの理由です。
今は重厚な布陣であっても、王国はこの先、各方面から侵攻を受けます。その際には、王都騎士団は慌てて対応に動くでしょう。彼らが出払ったその時こそ、攻勢に出る機であること、貴重な人質が手に入る可能性について、この2つをお知らせしたく、敗残の身でありながら恥を忍び、ご報告に参りました」
「なるほど、この2つの情報の価値、とても重いぞ。戦いに勝利したことと匹敵するぐらいにな。
リュグナー殿、ご苦労であった。先ずは身体を労わられよ。
そしてこの先、我らはどう動くべきかとお考えかな?」
「この国は、南、東、北と、この先、新たに三方面から侵攻を受けるのは確実です。
ですが、その中でも我らが最も迅速に動き、前線は王都まで2日の距離まで進みました。
ここまでは素晴らしい戦果だと思われますが、突出すればその分、我らへの負担が増えまする」
「なるほどな、我らはここまで、其方やお父君の協力もあって予想よりも早く侵攻できたからな。
他国は我らほど、段取りよくいかんであろうな?」
「はい、我らはこの地に留まり、確たる拠点を設けて各方面に間諜を放ち時を待つ、そうすべきと考えています。
国境から物資を運び集積させる傍ら、前線には適当な弱兵を配置し、睨みあうだけでよろしいでしょう。
西側が十分支え切れると思えば、奴らは他方面に軍を引き抜き、自ずから守りは弱体化します。
それを機に、一気に全軍で再攻勢を掛けます。できればその際、王女を捕らえることを目指します」
「ははは、それは愉快な話だな。それが叶えば……」
「はい、王子殿下、王女殿下も取り戻すことが可能でしょう。この先、我らの国王陛下となるお方々を。
そしてこれより先は、食料などの物資も無償で手に入ることもないでしょう。確固たる補給線を構築して、占領地の安定を図ることも肝要かと思います。
近い未来、皆様のご領地となることですし」
「ひとまずは復讐戦を諦めるか? 魔法兵団の壊滅はこちらにとっても手痛い話であるしな。
一旦最前線より軍を引き、かの地より1日ほど後方に下がり占領地に拠点を構築するとしようかの。
占領地の安定には、お父君のお力もお借りしたいが、期待してよろしいかな?」
その言葉を受け、リュグナーは恭しく一礼した。
魔法兵団が壊滅したにも関わらず、スキュリア侯爵が落ち着いていたことが、腑に落ちなかったが……
彼が陣幕を出た時には、すっかり日が暮れていた。
侯爵の前では平静を装ってはいたが、彼の心の内は怒りの暴風が渦巻いていた。
きっと今回も、あの小僧が出しゃばったに違いない。
魔法兵団の攻撃が無効化されたのも、あの意味不明な反撃も、最後に首脳陣を滅ぼした炎も。
あのような芸当ができるのは、あの小僧しかいない。
あの小僧は常に我らの策を妨害し、あと一歩で計略が成ると思った時、しゃしゃり出て来ては邪魔をする。
そんな危険を予知したからこそ、まだ小物のうちに潰そうと何度も試みてきた。
が、それも全て叶わなかった。
『あの小僧は一体何者なんだ?』
それを考え出すと、何もかもが奴の掌の上で踊っているだけに思えることすらある。
一瞬身震いした後、リュグナーは少し落ち着きを取り戻した。
「やはり何よりも先に、あの小僧を排除することを優先すべきだったか?
まあいいさ、今回は南部戦線にも獅子身中の虫を送り込んであるし、小僧が思いもよらぬ秘匿兵器も手配しているしな。今回ばかりは今までとは違う!
あの小僧の思い通りにはならんさ」
そう呟いて、リュグナーは闇の中に姿を消した。
※
カイル王国西部方面軍は、西側に進出した部隊も一部の見張りや斥候を残し、全て防塞内に撤収しており、今は安全な後方、カイラール方面に少し進んだ地で、敵味方の亡骸を荼毘に付した炎が赤々と夜空を彩っていた。
「しかし、ほぼ完全な大勝利だというのに、魔法騎士団でもこれほど脱落者が出るとは、思ってもいなかったわね?」
「はい、私自身も戦場を経験しておりますが、その悲惨さを改めて知りました。
魔法騎士団で1割、志願兵で2割はこの先、お役に立てないかと思います」
蒼白な顔でクラリスの問いに答えたユーカ自身、日中は気丈に振る舞い仲間を叱咤こそしていたが、心に大きな負担を負い、心身ともに疲れ切っていた。
遺棄された遺体、敵味方合わせて10,000近い亡骸を回収して荼毘に付す作業ですら、嘔吐する者や思い余って泣き出す者が続出し、作業が続けられなくなった者たちが続出した。
特にこれは、貴族の子女や志願した王都からの臨時徴用兵が多かった。
また、戦災や疫病、野盗、魔物が跋扈し、日々命の危険と隣り合わせの辺境と違い、王都近辺は治安も良く、領民ですらその生死観は異なる。まして、大量の亡骸を目にすることなどまず無い。
彼女たちはPTSDに近い状態で、心に傷を負ってしまった。
「でも、本当の戦場はこんなものではないわね。きっと……」
「以前に夫の魔境伯に、私たちは戦場の恐ろしさを知らぬ者と、強くたしなめられたことがあります。
今はその言葉が身に染みております。私自身、戦いを甘く見ていたと」
ユーカ自身、内乱時には陣頭に立って戦い、敵味方の戦死者も嫌というほど見てきた。
目を背けたくなる光景も。
だが、彼女が率いたのは遠距離攻撃を主体とする弓箭兵であり、本当の意味で敵軍と鍔迫り合いを行った訳ではない。しかも、戦後処理は父や父の軍に任せ、彼女自身は領民たちと共に、負傷者の手当てや炊き出しに回されていた。
だが今回は、目の前の戦場で万単位の亡骸を目にし、周囲に立ち上る猛烈な血の匂いと死臭に包まれ、何度も込み上げる嘔吐に耐えていた。
「そうね、脱落した方々は、希望者は王都に、残留を希望する者も後方に回して。
クリシアさんは大丈夫かしら?」
「はい、今は治療に忙しく、彼女たちはまだ戦争の最中ですから、もの思う余裕もないと思います。
今現在は、亡骸の回収と荼毘、埋葬については、投降してきた味方の兵1,000名と、火魔法士と地魔法士で進めています」
「そう、ありがとう。
私たちはあと最低1か月、他の戦線が勝利して援軍を回してくれるまで持ちこたえなくてはいけない。
これからも、兵士たちの士気を維持しなきゃならないわね」
ユーカも同じことを考えていた。
まだ先は長く、苦しい戦いを耐え抜かなければならない。
夫たるタクヒールが南部戦線で勝利し、援軍として駆けつけてくれるその日まで。
「私も、形式上の指揮官として、王女としての務めを果たすことに専念しないといけないわ。
このあとの引見、ご一緒してくださる?」
「は、はい! もちろんです」
クラリスは席を立ち、ユーカを伴って戦地に仮設された自室を出て、本営へと移動した。
そしてクラリスの到着を待って、投降者の引見が開始された。
「ではこれより、クラリス殿下の御前にて其方たちの引見を始める。
思うところがあれば発言を許可するが、貴族としての誇りを忘れ、我を見失うことのないようにな」
シュルツ軍団長が、平伏する8名の貴族、西部国境周辺の領主貴族たちを見下ろした。
彼らは、既に戦死した辺境伯や、復権派の2侯爵の言を信じ、フェアラート公国の侵攻軍に参加した者たちだった。
「我々は、クランティフ辺境伯に騙されておりました。ま、まさか、王国を侵攻する軍だとは思ってもおらず……。今はただ、わが身の不明を深く恥じております」
ひとりの貴族がそう言うと、残る7名も同様に頷き、頭を地に擦り付けんばかりに何度も下げた。
「お前たち、知らぬこととはいえ、王命なく功名心に走ったのは事実ではないか?
4年前の内乱で、同じく偽の王命に踊らされた貴族たちがどうなったか、知らぬ訳ではなかろう?」
シュルツ軍団長の言葉に、全員が真っ青になった。
彼が示唆した事例の南部貴族たちは、全ての家が取り潰され、軍に参加した者は一様に死罪となっていた。未だ刃を交えていなくても、行為自体はそれに準じ、まして敵国軍をここまで誘導するという大失態を犯している。
だがシュルツの言葉もいささか強弁だった点は否めない。
あの時の反乱と今回とでは、少し事情が違う部分もあった。
クランティフ辺境伯はその職責の通り、王国から非常時の交戦権を託された立場にあり、辺境伯は周辺貴族を動員する権限を有している。彼の命は周辺貴族にとって、通常なら王命に準じるものとして扱われる。
その点を指摘されれば、シュルツ自身、身も蓋もなかったのだが……
「どうやら頭の回転はあまりよくないわね。それとも、それだけ動揺しているということかしら?」
クラリスは小さな声で隣に控えるユーカに呟いた。
どうやら彼らの器量をここで試しているのかしら? ユーカはそう思わずにはいられなかった。
「そ、その、恐れながらクラリス殿下は、自主的に帰参した者の罪は問わぬと……」
「お前たちは何を聞いておった!
殿下がご慈愛を示されたのは兵士であって、愚かな選択をした領主どもではないわ!
私はここまで、誰一人として敵軍に立ちはだかる者がいなかったこと、これこそが王国貴族として恥だと思っている。
この場で縄目を受けていないことだけでも、殿下のご慈悲と思え!」
「そ、そんな……」
シュルツ軍団長の言葉に、彼らは絶望した表情で首を垂れた。
そんな彼らの様子を見たシュルツ軍団長は、大きく息を吐くとクラリスに視線を向けた。
2つの視線が重なったあと、クラリスが一歩前に進み出た。
「そうね、でもこう考えることはできないかしら。
圧倒的に数に勝り、突如国境を越えてきた侵攻軍に対して、いち領主ではまともな抗戦すらできない。
そのため、敢えて裏切り者としての汚名を背負ってでも、彼らに合流し敵情を探っていたと……」
「殿下、それでは余りに虫の良いお話ではありませんか?」
抗弁するシュルツ軍団長を遮り、クラリスは続けた。
「時系列は前後するけれど、私の密命を受けて、そのようにしていた。
そうお父さまに報告することはできると思うわ。
もちろん、この後の働き次第に依っては、だけど」
「も、勿論です! 我ら全員、死兵となって戦いまする!」
「汚名を返上する機会を、是非っ!」
「一度ならず、二度まで死を覚悟した身です。殿下の尖兵として戦いまする!」
8名は我先にと争って、声を上げ始めた。
それを見て、ただ微笑むクラリスと、苦虫を嚙み潰したように渋面を浮かべるシュルツ軍団長が、傍らに居たユーカから見て、非常に対照的だった。
「今回、西の辺境伯を始め、皆様以外で3人の領主貴族が非業の死を遂げてしまいました。
そして、カイル王国の有力貴族の中には、未だに敵軍と命運を共にする意思を示す者たちもいます。
戦後、王国西部には多くの空白領地が生まれるでしょう。南部辺境の反乱で、昇爵して大きく領地を加増された方々の例もありますわ。汚名を雪ぐだけでなく、栄達の機会も十分にあるのではないかしら?」
クラリスの最後の言葉がとどめだった。
8名は全員、大きな声を上げて、そして涙を流して平伏した。
シュルツ軍団長は何も言わず、ただクラリス殿下を見て頷いた。
『もしかして……、お二人は事前に、この場のことも打ち合わせて?』
クラリスの傍らでユーカは、密かに心の中でそう思った。
そして改めて、2人の策謀に賞賛のため息を漏らした。
引見後、クラリスは軍装を解くことなく、各所で働く兵士や志願兵たちの間を回った。
時間の許す限り、彼らに声を掛け、そして話を聞き労った。
雲の上の存在である王女の行動に、兵たちは感激し、士気は再び頂点に達することとなる。
西部戦線は敵味方、双方の思惑もあったが、戦線は膠着した。
各戦線で役者が出揃い、侵攻軍が満を持して大攻勢を掛けてくるその日まで……
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次回は『動き出した包囲網』を投稿予定です。
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※※※お礼※※※
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