第二百三十九話 西部戦線① 欺かれた者たち
外務卿たるクライン公爵が、フェアラート公国の使者を名乗る男との面会に応じた日から2日経った。
その間も、外務卿として諜報を取りまとめること、各地に展開する軍をまとめる指揮官として、日々活動に余念がなかった。
「閣下、報告によると例の使者、まだ王都を出ていない模様ですが……」
「ふぉっふぉっふぉっ、ご苦労なことよな。
王都に残り、探し人の足跡でも探っておるのじゃろう。それとも、これ見よがしに王都に残ることで、我らの油断を誘うつもりかも知れんの?」
「それはどういうことですか?」
「商務卿、商売とて競争、時には相手を出し抜くこともあろう?
カイラールからフェアリー、通常の騎馬移動なら10日というところかの? 急いでも8日はかかろう」
「はい、仰る通りです」
「彼らの願いは、我らがその時間を予測し、油断することじゃろうな。
仮に今から王都に戻り急ぎ軍を催しても、大軍の移動には時間が掛かるでな。フェアリーから国境まで5日以上、国境からここまで戦いもなく進んでも、単騎ならまだしも、軍勢ともなれば7日はかかろう。
そうなれば、王都まで侵攻してくるのは、少なくとも彼らが戻って20日以降、そう思うじゃろうな」
「はい、仰る通りです」
「そう思っておる所に、予想外に早く侵攻を受ければ、それだけで浮足立つ。
下手をすると各地の領主が個別に戦端を開くか、準備不足のまま潰走して、混乱を助長するじゃろうな。
彼方にはそんな狙いもあると思うぞ」
「なっ! そんな事……、いやはや、相変わらずのご慧眼、恐れ入りました」
「儂は既に、クラリス殿下とシュルツ軍団長には早馬を飛ばしておるでな。
公国の使者殿も、帰路は難儀されるじゃろうな」
その予言通り、その後になって使者の一行が国境へと戻る途中、クレイラットの地で足止めを受けた。
この先で、大規模な演習が行われており、誤って攻撃される恐れがあると脅されて。
時間稼ぎも任務のうち、そう思っていた使者は、表面上こそ非礼に対して激高したが、しぶしぶ、その事情を理解し、手前の町で逗留した。
その後彼らはここで、予想以上に長い時を過ごし、逗留を余儀なくされることになる。
「殿下、よろしいのですか? 使者たちを留め置かれたままで」
「ええ問題ないわ。往路はなんとか誤魔化して通したけど、それなりに防御施設は見られたし、今はもう完全な臨戦態勢ですもの。ティア商会の知らせを受け、私たちが迎撃準備をしていること、伝えられると不味いわ。侵攻軍も間諜を通じて、ある程度のことは知っているとは思うけど……」
確かにシュルツもそう思う。
ただ、外交上の倣いとして、例え交戦状態であっても使者の往来だけは妨げないのが通例だ。
「それにしても反乱軍もやってくれるわね。
カイラールへ使者を送ると同時に、侵攻軍の準備を整え、返答を待たずして国境を越えてくるのだから。
狡賢いというか卑怯というか、元から攻めてくる気満々みたいだし、これは少しだけお返しよ」
そう、彼女たちは既に、侵攻軍が密かに国境を越え、王都に向かい進軍中であることを知っていた。
実はその知らせを伝えに来たハリム一行も、当初は間諜と疑われて詮議を受ける予定だったが、幸いにも王女の陣営にはハリムと面識があるエランがいた。
そのお陰で彼らは無事防御線の通過が許されていた。
更にその過程で、ハリムらから公国内の様子を聞いたクラリス王女たちは、フェアラート公国反乱軍の動きを、正確に把握することができた。
そして使者たちを留め置いた翌日、クランティフ辺境伯軍2,000名、カイル王国西部辺境貴族軍の1,500名を先導とした、フェアラート公国反乱軍先遣隊10,000余の兵が、クレイラットの地へと到達した。
だが、街道を横切る河を渡る橋は封鎖されており、対岸より先、王都方面には進むことができなくなっていた。
「我らはクランティフ辺境伯配下の者でござる。
この地を守られている指揮官殿にお伝えする!
来るグリフォニア帝国との戦いにおいて、国王同士の友誼に従い派遣された、フェアラート公国からの援軍を先導して参りました。
急ぎ王都カイラールに駆け付けるため、道を開けられたし!」
クランティフ辺境伯の先触れは、そう言って防衛線の通過を求めてきた。
先触れの彼がこう言ったこと、これには幾つかの裏事情があった。
復権派の領袖であった侯爵の義息として、2国間を暗躍していたリュグナーは、首魁となる2侯爵や側近の者以外には、都合の良い偽りの情報を吹き込んでいたのだった。
『辺境伯、いまや復権派の4侯爵は凋落の一途、ですが、大きく逆転する勝機もございます。
我らは帝国の侵攻に対し、兼ねてより友誼のあるフェアラート公国より、援軍を取り付けて参りました。
この功績により、火と水の侯爵家は国難を救った功労者として、かつての威勢を取り戻すこととなりましょう。辺境伯はこの船に乗り遅れることのなきよう、ご注意ください。
共に、新しい未来を共有すべきと思いますが……』
クランティフ辺境伯は、リュグナーの言葉を信じた。いや、それに縋ったといった方が正しい。
南と東の辺境伯に対し、絶望的なまでに水を開けられてしまった我が身の、起死回生を図るために。
そして、かつては国家の中枢にあった二人の侯爵にとって、王命を騙った書面を偽造するなど、容易いことであった。
リュグナーの誘惑に満ちた誘いと、本物に思える書面、この2つを前にしてクランティフ辺境伯は疑いを抱くことはなかった。
そしてそれは、ここまでの道中に領地を持つ、各貴族も同様だった。
彼らも、ある者は援軍に感謝して通行を許可し、ある者は辺境伯に同道を申し出ると兵を率いて合流し、ある者は食料などの物資を喜んで供出していったのだから……
そうした事情を踏まえて、今に至っている。
「ほう? クランティフも面白い事を言うな。道化師としての才能があるとは知らんかったぞ」
それは透き通る女性の声だった。
先触れの使者はその言葉を受けて激昂した。
「どなたかは知らぬが、辺境伯への無礼な物言い、ただ事では済みませんぞ!」
使者は怒りに震えて、美しい軽装鎧をまとった、口の悪い少女を睨みつけた。
そこに深いため息をついて、割って入った者がいた。
「殿下、このような対応は私どもにお任せください。
使者に申し伝える。私は王都騎士団第三軍団長のシュルツである。其方の預かり知らぬことゆえ、今の無礼は不問とするが、この地は国王陛下の信を受け、クラリス殿下が守備されている場所。
通りたければ、先ず辺境伯自身が単騎こちらに参り、敵軍をここまで先導してきたことについて、申し開きを行え。それ以外は即刻攻撃する。
このこと、確かに伝えたぞ」
「敵軍? クラリス……、殿下? なっ、なぁっ?」
先触れの使者は、状況が理解できず、混乱して戻っていった。
暫らくすると、西側から砂塵を上げて公国軍の先陣、約10,000の大軍が到来した。
その軍勢は、河の堤防が広がる少し手前で進軍を停止し、クランティフ辺境伯旗下の軍勢のみ、橋に進み出て進出して来た。
「リュグナー殿、あ奴を行かせて良いものかな?」
「構いません。我らに対し異心あり、そう思えた時点で後ろから軍勢もろとも処分すれば良いのです。
奴のお陰で、ここまで無人の野を征くが如く進めました故、その功に免じ、最初に王国に殉じたという名誉を与えてやりましょう」
「はははっ、哀れな道化者としての最後か、奴らしいな」
自身の後ろで、その様な会話がなされているとは知らず、辺境伯はただ一騎、河を越える橋の中央まで進み出ると、大音声で叫んだ。
「シュルツ軍団長に申し上げる。道を空けられよ!
我らは、国王陛下が公国のフレイム伯爵を通じて願われ、2国間の友誼に応じてフェアラート国王が派遣された援軍をご案内しておるところだ。
其方の職責もあろうが、これは陛下の御意に背く行為であり、王国の危機に対し敵を利する行為ぞ!
また、道理よりも深窓の姫たる王女殿下の名を用いるなど、言語道断である! 恥を知れっ!」
シュルツ軍団長が反論しようとした瞬間。
クランティフ辺境伯の声よりも数倍大きな、河の両岸にまで届く、透き通った声が響き渡った。
「あははは、クランティフ辺境伯、貴方って本当の道化師の才能があるわよ。
私の声を聞いた事はあるでしょう?
こんな場所に出てくるような私を、深窓の姫と呼んでくれるのね?
それはとても嬉しいお話だわ」
シュルツ軍団長は思わず舌打ちした。
任せてください。そう申し上げているのに、舌戦を始めるため前に出たがるじゃじゃ馬姫に。
しかもいつの間にか音魔法士に話を付け、自身の声を拡声させているため、その声は確実に対岸にまで響いているだろう。
「ま……、まさか、クラリス殿下?」
「貴方の空想話は独創性の欠片もなく、ちょっと奇異を衒い過ぎて胸焼けがするわね。
お父様は援軍など頼んでいないし、お話にあったフレイム伯爵も、今は私たちと共にいらっしゃるわよ。
まさか、公国のフレイム伯爵と名乗る人が2人以上いるということかしら?
こちらは正真正銘、本物よ。
そう言えば先日、フェアラート公国で反乱を起こした貴族たちが、正義面をして王都まで外務卿を脅しに来たそうよ。反乱軍に従わなければ王国を侵略すると言って。
そして交渉の使者を放つと同時に、その返答を待たずに軍を送って来る、そんなご立派な方々を先導されているとは、本当に名誉ある行いですわね」
もうこの姫は、はなから喧嘩を売る気満々なのだろう。
シュルツ軍団長は頭を抱えてしまった。
カイル王国の姫がここにいること、フレイム伯爵が王国に逗留していることなど、敵側には絶対与えてはいけない、最も重要な情報だ。
それをこのじゃじゃ馬は……、喧嘩のネタとして、面白おかしく披露している。
「今の貴方は、カイル王国を裏切り、フェアラート公国で反乱を起こした反逆者と一緒になって、王国を侵略している立場だということ、ご理解していらっしゃるのかしら?
きっと裏切り者同士、お互いにお話があうのかも知れないですわね。
言語道断で恥知らずとは、貴方や貴方に同調した軍勢にこそ、相応しい言葉だと思わない?」
「ぐっ……」
「兵士たち、私は貴方がたカイル王国の民を、反乱軍として処断するのは忍びないことと思っています。
真実が分かった今こそ、真に戦うべき相手が誰なのか、考えてごらんなさい。
カイル王国の王女として、この軍を率いる最高指揮官として貴方たちに約束します。今この場で、橋を渡り此方に来た者たちは、反乱参加の件を不問とし、その責を問わないものとします。
例え貴方がたの愚かな領主が、誤った選択をしたとしてもね。
貴方たちは王国の民であり、大切な兵士です。
後ろから矢が飛んでこない内に、決断してくれることを祈っています」
最後のそれは、辺境伯に対する辛辣なものとは全く異なった、慈愛に満ちた声と申し出だった。
辺境伯は茫然と棒立ちになり、橋の中央部で佇んでいたが、やがて元来た道を引き返し始めた。
「わ、儂が……、叛乱だと? 騙されていた……、本当にそうなのか?」
「射よっ!」
辺境伯が混乱しているとき、後方のフェアラート公国兵の陣地では、攻撃開始の命が発せられた。
その号令に応じた数百本の矢は、山なりに飛翔して辺境伯の周囲に矢の雨を降らせた。
全身にハリネズミの様に矢を受けて、辺境伯は瞬時に絶命し、橋から河へと転落していった。
それと同時に、橋の上や川沿いに展開していた3,500名の頭上にも、矢の雨が襲った。
「て、敵襲っ!」
「敵って、どっちだよ?」
「俺たちに矢を射っている奴に決まっているだろうが!」
「畜生! あいつらっ。決して許さん!」
ここに至って初めて、クランティフ辺境伯旗下の兵士たちは、クラリスの言葉が真実だと知った。
一部の兵士は踵を返し、これまで味方として同道してきた軍勢に向かって突進したが、その他の大多数は我先にと一斉に橋に向かって潰走を始めた。
この様な形で、ついに西部戦線も戦闘の火蓋が切られた。
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次回は『クラリスの戦略』を投稿予定です。
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※※※お礼※※※
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