第二百三十七話(カイル歴513年:20歳)二正面作戦の始まり
タクヒールらが、外務卿たるクライン公爵が放った使者と面会していたころ、王都カイラールでは、当の外務卿自身も隣国から訪れた使者と面会していた。
「さてはて、ご使者殿、遠路お越しいただいたこと、感謝申し上げるが、いささか腑に落ちん話じゃて。
フェアラート公国宰相からのご使者、取り次ぎの者からそう聞いたが、貴国に宰相がおられたとは初耳じゃが……、これはどういったことかな?」
「ははは、それは失礼いたしました。
この度、我らの盟主たるイフリス公爵が、南部辺境の反乱鎮圧で王都を空けられた国王に代わり、フェアラート公国を預かることとなりました故、ご存じないのも当然でしょうな」
「ほう? 儂は王都が反乱軍に制圧されたと聞いておったが?」
「それは恐らく、反乱軍が誤った情報を貴国に流したのでしょうな。王都フェアリーは至って平穏ですよ。
ですがむしろ問題は、国王が辺境にて反乱軍に包囲され、行方知れずとなったことでしょうな。
我ら公国を支える貴族一同、新王にいち早く即位いただき、国内を安定させるべく奔走しております。
ですが、新国王となる方々は現在行方が知れず……」
「ほう? それは驚きに満ちたお話じゃな。事実であれば、じゃが……」
「クライン外務卿は、日々驚きに満ちた世界で過ごされているようですな?
我らの知りえた所によると、我が国の高貴なる方々が、このカイラールにご逗留中との噂もあります。
このこと、どうお考えですかな?」
「そんな噂があるのか? それはいささか面倒なことじゃな」
「はい、大変面倒なことでございます。貴国にとって……
我らは新国王の戴冠を推し進めるため、あらゆる手段を講じる用意がございます。
もちろん、国家の安定のためには、武威を伴う手段もやむを得ない、そう考えている者も多くございます」
「ほっほっほ、それは物騒な話じゃな」
「そうでございますね。我らもいささか、貴国の置かれている状況は把握しております。
東国境で戦端が開かれ、南にも脅威を抱えていらっしゃるとか。
これに西からの脅威が加われば、物騒どころでは済みますまい?」
「ほう、今の言は其方の一存かな? それとも……」
「もちろん、我らが宰相閣下のお言葉です。ですが、貴国のことを慮って申し上げたのは私の一存です。
貴国のなかでも、伝統ある貴族家を継承する方々は、この状況に心を痛め、我らにとりなしを願う方々もいらっしゃります。
それらの方々のお心遣い、無碍になされないほうがよろしいかと……」
「しかし困ったことだな。我らも貴国の高貴な方々の行方を知らんでな。
仮に百歩譲って、其方が言うような方々がご逗留されていたとして……
『国王同士が交わした約定に、宰相ごときが口を挟むではないわ!』、きっと我が王ならそう言われて、烈火の如くお怒りになるであろうな」
「後悔なさりませぬな?」
「後悔もなにも、身に覚えのないことゆえ」
「なるほど、公爵閣下もお年を召され、物忘れが激しくなられた……、そういうことでしょうか?
それでは後日、閣下とはいずこかの地で再び再会することになりましょう。
それが物言えぬ首だけとなっていたとしても、致し方ありませんな」
「ほう? ご使者は口上を述べるだけでなく、我らを激発させ、首となり侵攻の大義名分を得ること、その任も帯びていらっしゃるということかの?
もったいなくも若い命をここで散らされるか?」
「こ、こ、此方のお話は、お伝えしましたぞ!
わ、我らはこれで失礼させていただく。この先、後悔召されるな」
最後にこう言って、フェアラート公国の使者は慌てて退室していった。
※
クライン公爵とファアラート公国の使者が面会しているころ、サラームの街では王都フェアリーから水運を利用した兵たちが続々と集結し、その数は3万近くまで達しようとしていた。
その本陣は街の郊外に置かれ、街の周囲は参集する各貴族軍で溢れかえっていた。
本陣が据えられた天幕では、豪奢な絨毯が敷かれた中に、遠征軍を指揮する侯爵以下、主要な者たちが集っていた。
「ふふふ、返還要求の使者を出すと同時に、侵攻の準備を進めているとは、奴らも思ってもいまいな」
「侯爵の仰る通りです。しかも3万もの軍勢を振り分けてくるとは、奴らも思ってもいないでしょう。
まもなく侵攻の準備が整います。王国の奴らが無様に驚く様は、正に見ものですな」
「伯爵、3万ではないぞ。のう、リュグナー殿。御父上の準備も整っておるかの?」
「はい、皆様と志を同じくする者たち、我が父の呼びかけに応じ侯爵家が2家と辺境伯、そして旗下の貴族たちで、およそ1万名の軍勢が皆様の兵站を整え、道案内となるべく準備を整えております。
して、帝国側への首尾はいかがでしょうか?」
「ふむ、逆に返されてしまったな。
宰相閣下は其方が渡りを付けた間者を通じ、既に帝国側とも誼を通じていらっしゃるわ。
多少の対価は払ったがな」
そう、リュグナーは今回の侵攻に最善を期すため、最も懸念していた王国南部戦線にも手を打っていた。
あの男は何を仕出かすか分からない。
これまでの計略に誤算が生じたのも、全てあの男、いや、あの兄弟に起因しているのだから。
「流石にございます。総勢13万にも及ぶ包囲網、これではひとたまりもありませんな」
「ああ、そのためにも我らが、最も先に王都に達していなければならん。帝国や皇王国に先んじてな。
我らの象徴とすべき、新しき飾り物も確保せねばならんしな」
並み居る諸侯は2人の会話をただ聞いていた。
そこに、先程会話していた伯爵が、2人の前に出て平伏した。
「侯爵、お願いがごさいます。先陣は何卒我らに! 伏してお願い申し上げます」
そう言うと、伯爵の後ろで同じように、子爵、男爵がそれぞれ平伏した。
彼らを代表して、伯爵が言葉を続けた。
「我ら3名、先年は成り上がりの小僧めに恥をかかされました。此度の戦い、先陣を務め雪辱の機会を賜りたく思っております」
「ふむ……、其方らが先陣を、か……」
侯爵は一瞬迷った。
彼らは歴戦の将ではない。フェアラート公国では、隣国との紛争や反乱など、戦いは基本的に近衛師団が中心となり担ってきた。
そういう意味では、彼ら3人だけでなく、総司令官たる侯爵自身も素人に近い。
唯一、同陣営で歴戦の部隊、国王を裏切った近衛師団第三軍は、三万の貴族兵たちとともに、国王軍の抑えとしてフェアリーに残されている。
「ではレッサー伯爵には先陣を務めてもらうとして、兵1万と魔法兵団300名を預けるとしよう。
我らの軍の恐ろしさ、戦いを知らぬ王国兵に思い知らせてやるがよい」
魔法兵団300名だけは、平素から十分に訓練を積み、戦闘に特化した部隊だ。彼らの攻撃魔法なら、敵軍を一蹴すること疑いなかった。
侯爵はいわば保険として、彼らに魔法兵団を帯同させることにした。
「はっ! ありがたく!」
歓喜して顔を上げた3名は、数年前にフェアリーでの晩餐会でタクヒールに喧嘩を売り、醜態を晒した者たちであった。
彼らは復讐心に燃え、王国侵攻軍を志願していたが、その機会に恵まれたことに勇躍した。
「明朝ここを発し、カイル王国へと入る! 各位は出陣の準備、怠りなきように!」
「応っ!」
居並ぶ全員がこの声を待ちかねていたかのように、大音声で応じた。
薄ら笑いをする一人の男を除いて……
※
郊外に集結する大軍勢を見て、サラームの街でも異様な緊張感に包まれていた。
そして、このことに最も深く衝撃を受けた者たちもいた。
「おい、ハリム! こ、これは……、かなり不味いんじゃねぇか?」
「ああ、俺もそう思う。まさかフェアリーから水路を使って集結してくるとは……」
「いや、そっちじゃねぇよ! このままじゃカイル王国の負けじゃねぇか?
このままあの御方に付いてて、大丈夫なのか?」
「俺はあの御方を信じているさ。前々からこの事を予期されていた。いわば予定通りの話だ。
それに、俺たちが今更寝返ってどうなる?
多少の礼金を貰って、それで終わりだろうが。
あいつ等は其々大商人と結託しているし、しがない交易商人の俺たちに何のおこぼれがある?」
「そりゃ……、そうだが」
「それに俺の気持ちが、そうはしたくねぇというのが一番だな。
俺はヨルティアさまの男気に惚れて商売を始めた。
魔境伯さまには便宜を図っていただき、俺たちは散々お世話になった。こんな俺達でも、明るい未来を夢見る機会を与えてくださった。
俺は最後まで、姐さんと魔境伯さまについて行くぜ」
「しかし……、今となっては国境に通じる道は兵士だらけで、抜けれないぜ?
どうするよ?
こんなに早く、兵士たちが押し寄せるとは思ってもいなかったからな」
「……」
「はははっ! お前たち。面白い話をしているな? 俺にも一枚噛ませてくれ」
「!!!」
ハリムたちは驚きの余り硬直した。
サラームの街に新たに店を構えたティア商会、そこに勝手に入り込み、彼らの密談を聞いていた男がいたからだった。
「ハリム、お前にしてはなかなか良い決断だと思うぜ。だが、気をつけろよ。
密談ってのは小声でするもんだ。そんな大声で話しちゃあ、周囲に丸聞こえってもんだぞ」
笑ってそう言ってきたのは、この街の裏と表を取り仕切る元締めだった。
日頃はあまり外に出ない彼が単身、供も付けずハリムの店を訪れることなど、通常ありえない事だった。
「も、元締め、ど、どうして?」
「まぁ、ハリムよ、俺の勘だな。
商売ってのは値の上がりそうな物を、安く買える時に買って、高くなった機会に売りつけること、それが基本だろう?
今回は俺も同行させてもらう。
どちらの国境にも、日頃から俺が鼻薬を嗅がせている連中が沢山いる。急ぎの商売と言って金貨を握らせれば、まだ今なら通過できるだろう。
条件は、俺を魔境伯に紹介しろ! ただそれだけだ」
「元締め、良いのですか?」
「ああ、俺もこの際賭けに出る。一気に大きくなれる絶好の機会、そう思っているからな」
「畏まりました。ご案内します。国境の手配はお力を借ります」
「そうそう、サラームに残った者は、食料の買い占めと剥ぎ取りの準備をしておいた方がいいぜ。
まあ、俺の方は既に手配しているけどな」
この時はまだ、ハリムたちは元締めの言葉の意味することを、理解していなかった。
慌てて人選を行うと、ハリム自身も馬にまたがり、交易隊に偽装させた小隊を仕立て、サラームの街を出発した。
そして夕刻、元締めの手配により彼らは何事もなく国境を通過し、カイル王国内を駆け抜けていった。
そしてその翌日、カイル王国侵攻軍、総勢3万名の大軍勢が、ゆっくりと国境の関門を通過していった。
本来は、迎撃にあたるべきカイル王国側の関門は、ただ大きく門を広げたまま、何の抵抗すらなかった。
こうして、歴史がカイル王国を破滅へと誘う、最後の戦いの第二局面、西部戦線の戦いは始まった。
カイル王国側では、敵国と同調した者以外、まだ侵攻を知る者は誰もいなかった。
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次回は『暁の勝利』を投稿予定です。
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