第二百二十三話(カイル歴512年:19歳)皇王国の政変
ジークハルトが告げた、皇王国を揺るがす政変が密かに進行したのは、彼がタクヒールと会談した時期より遡ること半年、カイル歴512年の春であった。
それまで、カイル王国との戦いに敗れ、貴重な御使いのひとりと、多くのロングボウ兵を失ったカストロ枢機卿は、敗戦の責を問われ、3年近くもイストリア皇王国中央教会の地下に幽閉されていた。
ただ彼は、数か月に一度だけ、彼の教会で魔法士の候補者に対する適性確認を行うため、外に出ることが許されていた。
ここ数年、年間30個という制約はあるものの、触媒となる魔石は、カイル王国から入手できていた。
そのお陰で、幽閉下にあったカストロ枢機卿は、100回を優に超える確認儀式を執り行うことができた。
更に皇王国は、カイル王国から公式に入ってくる魔石に加え、数は大きく減ったものの裏稼業の者たちからも、魔石を入手していた。
こうした努力の成果は僅か4名。
それでも数年前の頭打ち状態から比べると、非常に高確率といえた。
カストロにとって、彼しかこの儀式を行えないことが命綱であり、唯一、外に出る機会でもあった。
そして、成果を出すことこそ、自身の価値を維持し、命を繋ぐことができるため、必死だった。
彼はこれまでの経験智から、できる限り確度の高い候補者を絞り込む手段を構築し、提案していた。
そしてこの日は、適性確認儀式のため久し振りに地上に出て、彼の祖先から受け継がれていた教会へと足を運んでいた。
もちろん、監視付きで……
「ふふふ、カストロよ、苦労しておるようじゃの」
「!!!」
皇王(教皇)より命じられた儀式準備のため、監視の及ばない宝珠を隠した教会の地下室に、ひとりこもっていたカストロは、背後から突然沸いた声に驚き、そして戦慄した。
「こ、これは老師!
誠に面目ございません。せっかくご忠告いただいたにも関わらず、このような仕儀となりまして……」
彼は声の主が誰か分かると、床に膝を付き深く首を垂れた。
「過ぎたことを言っても仕方あるまいて。
此度は、そなたの心が折れておらぬか、その目が死んでおらぬかを確かめに来たまでよ」
「はっ、堕ちたりとはいえこのカストロ。
志は以前と全く変わりはございませんし、いつかは、あの欲深い教皇や大司教ども駆逐したいと考えておりまする」
そう返事をしたカストロの顔は、未だ覇気に満ちていた。
彼はこの3年近く、先ずは生きながらえることを前提に、その牙を隠し従順を装っていた。
「以前、そなたの元に派遣しておったわが配下より聞いておるであろう?
やっと月は満ち、時は至った」
「おおっ! では、ついに?
アザル殿からも老師の遠大な計画を聞き、一日千秋の思いで待っておりました」
「そのアザルが一部の大司教を篭絡するため、蒔いておった種も実を付けた故、其方には収穫後の指揮をしてもらおうと思ってな。
これより其方の復讐の幕は上がるじゃろう」
「今やこの国で12使徒と呼ばれている魔法士たちも、元々8名は我が配下の者にございます。
新たに加わった4名にも、偽りの情報を与え暗示を掛けておりますゆえ、私に逆らうことはないでしょう」
皇王国において、魔法士の地位は非常に高い。
多くの国民たちに、神の御使いと傅かれ、高い地位と俸給が与えられている。
カストロは儀式の際、彼だけが魔法士としての力を付与することができるが、逆に奪うこともできる。
そんな情報を彼らに吹き込んでいた。
魔法士たちは一旦手にした、誰もが望んでも得ることができない身分を、今度は失うことを恐れていた。
「特に教皇は聖魔法士を囲い込み、自身の権力を見せつける為の道具に、そして自身の欲望を満たすための玩具にしております。私にはその事も許せません。
彼女たちは日々、屈辱と恐怖の中、華やかな立場からは想像すらできぬ、苦しみで苛まれております」
「ふぉっふぉっふぉっ、解放者カストロよ。
これより其方は、魔法士たちを解放し、更には圧政に苦しむカイル王国の民たちも解放するのじゃ。
今宵、教皇は裁きを受けるため神のもとに召される。
その首謀者として目される大司教どもは、こちら側の者どもよりその罪を糾弾されるであろう。
よいな、混乱に乗じ、魔法士たちを糾合せよ」
「はっ! 身命を賭してっ!」
※
その日の夜、虚ろな表情をしたひとりの枢機卿が、寝室で今宵の伽となる御使いを待つ教皇の元に現れ、手にした短剣を教皇の胸に突き立てると、急に蒼白な顔となり、その場を立ち去ろうとした。
たまたま衛兵を引き連れ、近くに居合わせた大司教が彼を捕縛し、速やかな調査が行われた。
犯人は神の怒りを恐れたのか、背後の黒幕たちの名前を告げると自ら命を絶った。
この凶行の黒幕であった大司教たち数名が、速やかに捕縛され、取り乱し無実を叫ぶ彼らを無視し、直ちに神の名の下に裁きが進められ、そのまま処刑された。
時は至れり!
実行犯を捕縛し黒幕たちを突き止めた功績で、ひとりの大司教が教皇となり皇王の地位を継いだ時、カストロはその恩赦によって解放された。
解放されたカストロは、皇王国では枢機卿より高い位階の、大司教に何故か昇進していた。
このことに対し疑問に感じた者もいたが、それらの疑問は当然のことながら黙殺された。
これらの全ての経緯は、教会の醜聞ともなりかねないため、全てが教会内で極秘裏に実行された。そんな事情もあり、ジークハルトなど一部を除き、近隣諸国にこの経緯が伝わることはなかった。
一部の教会関係者の間で囁かれた噂話以外は。
「邪悪な者共によって失われた、神の子たちの仇を討つべし!
挙国一致体制で兵力を整え、ロングボウ兵団の再整備と、魔法士の獲得を進めよ!」
教会内でそう号令を発する、カストロ大司教も、対外的にはこれまで通り、休戦協定の順守と平穏を装い続けた。
※
数か月後、以前会った時とは全く立ち位置を変えたカストロが、再び尊敬する老師と出会った。
「カストロ大司教よ、万事順調そうで何よりじゃの。
其方の志、進み具合はどうかの?」
今や王宮にも、中央教会の一角にも広く豪奢な個室を持つ身となった部屋の主は、膝を付き恭しく来訪者を迎えた。
「全て老師のお導きに従い、万事進めております。
魔法士については、それなりに兆しも見えておりますが、ロングボウ兵については、なかなか一朝一夕に解決することもできず、いささか苦戦しております」
「そうじゃな、人はそれなりに使える様になるまで、時間を要すものじゃ。
此度は焦らずともよい策を授けにきた」
老人は、彼の考案した戦略を説明した。
「そんな事が……、今の我らにできましょうか?
ですが、老師の仰る通りやも知れません。
今後は我らも、その線で準備を進めることにします」
「それが良かろう。
腹を突く時は、柔らかい臓腑を狙って突くものじゃ。
硬い骨では、それこそ骨が折れるでの」
そう言って老人は笑った。
果たしてそんな事が自分にできるだろうか?
カストロは一抹の不安を感じた。
「皇王交代の段取りといい、今度の戦略といい、私はいつも老師の深慮遠謀には感服しております。
非才の身、改めて思い知ってございます」
「いやいや、皇王交代の段取りは全てアザルが整えたものじゃ。儂はただ開始の旗を振ったに過ぎん」
「なんとっ! アザル殿が……
それでは私は、アザル殿にも礼を述べねばなりませんね」
「ふふふ、この地で其方を救う算段を整えたアザルも、今は西の地で計画に従い動いておるわ。
カイル王国を攻め滅ぼした王都で、再会することもあろう。その折にでも、じっくり礼を述べるが良かろう」
「承知いたしました。
そうできるよう、我らも新しい方針のもと、万全を期し動いていきまする」
この密談のあと、カストロは直ちに関係各国に使者を放った。老師から授けられた戦略に従って。
この使者には、グリフォニア帝国第三皇子へ放たれた者も含まれていた。
「老師の立てられた計画まであと1年。
我々はこの絶好の機会を掴むため、間に合わせなければならない。
そして、優先権を主張できる程度の戦果を上げなければな」
こうひとり呟いたカストロは、カイル王国を葬送するため発車する馬車に、乗り遅れないよう焦っていた。
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次回は『第三回王都定例会議』を投稿予定です。
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