第二百十七話(カイル歴512年:19歳)宝珠と教会
新年の会議が終わった翌日、俺はアンを伴って久しぶりにグレース司教の元を訪れた。
ライラから以前に頼まれていた依頼を遂行するため、領内視察の後直ぐにその打診を行おうとしたが、あいにく司教は長期出張で教会を開けており、代わりの若い神父が教会にいるだけだった。
グレース司教も疫病対応で大抜擢され、王都にある中央教会との行き来や、以前に依頼していたイシュタルでの教会設立などで、今はテイグーンの教会を留守にしていることの方が多いらしい。
それもあって、今回は司教が戻っていることを事前に確認のうえ訪問した。
「おおっ! これはこれは、魔境伯さま。
ずっとご無沙汰しており、大変失礼いたしました。
こちらから伺おうと思っておりましたものを……」
「いえいえ、前回はイシュタルの件も、配下の者を通じてお願いしておりましたので、今回は直接、そう思って参りました。
私の方こそ荷物もあることから、直接伺った方が良いと思いまして」
「に、に、荷物ですか?」
ははは、やっぱり司教になっても変わっていない。
荷物=山吹色のお菓子とすぐ察したのであろう。
司教の顔が一瞬だが見事に緩んだ。
「そ、それは……、なるほど。では、お部屋にご案内させていただきますので、どうぞどうぞ」
俺たちは早速、以前にはなかった豪華な調度品の整った一室に招き入れられた。
「それで、何かご依頼があると推察いたしましたが、わたくし共でお力になれることなら良いのですが」
「もちろんです、グレース司教のお力なくして、我らのお願いは叶いません。
今回は、新たに教会と施療院の設立をお願いしたく参上しました」
「ほう、教会ですか?
それに施療院も加えてとなると、いささか規模が大きくなりそうですね。それは、いや、なかなか……」
「やはり難しいですか?
お留守の間に、ローザを通じて王都の中央教会にもそれとなく打診してみたのですが、先方は乗り気でしたが、その……、余りにも莫大な礼金……、いや、お布施が必要と言われましてね」
「あの守銭奴どもめっ!
あ……、いや、失礼しました。
まぁ、教会といえば神を祭る場所です。神が降臨する仮の社となりますので、あまり貧相な建物では難しいと思いますが、新たに設立となると、それなりに物入りの場合もございましょう」
「そうなんですね。
おおっ! 忘れておりました。
此方は魔境伯を拝命して以降、これまでの無事安息を感謝し、神への感謝のお布施です。
どうかお納めください」
そういって、護衛のシグルに預けていた、金貨100枚の入った袋を2つ、テーブルに置いた。
「なんとっ!
いつもながら、ご両親のソリス伯爵ご夫妻も信心深い方々でしたが、魔境伯はそれを上回りますな。
皆さまのお心がけ、常に神の御心と共にあるでしょう」
そう言って、司教は満面の笑みで金貨の袋を受け取った。
「我々も実は心苦しいんです。
まだ開発中の新しい町ですので人口はまだ600人前後、周辺の村を含めても1,000人に達しません。
ただここだけの話ですが、将来的には一帯を含め人口3,000人規模になるよう開発を進めておりまして。
先行投資となる形なので、新教会と施療院の設立に関し、町の一等地に無償で土地を提供し、建築費の一部として金貨200枚、初期運営費の補助として金貨100枚程度は用意しているのですが……」
「すっ、すぐ建てましょう! どちらにですか?」
俺の言葉が終わらないうちに司教は身を乗り出してきた。まるで、大好物のオヤツを提示され、お預けと言われても我慢できないワンコのように。
「その……、お願いしておいて何ですが、この件について教会にもご負担を掛けるのではありませんか?」
「魔境伯が手掛ける新しい町には、教会も必要でしょう。
多くの民が集うであろう地には、信仰の導き手となる教会と、癒しの場所である施療院は不可欠です。
ど、どちらに建設予定なのか、仰ってください」
「ディモスの町をご存じかと思います。
私自身、少し前に町を訪れましたが、既に新たな街づくりが進んでおり、器の大きさだけでいえばエストと比べても同等以上と言えましょう。
近隣の村にも、テイグーンの開拓村と同等の工事が施され、新たに新規開拓村も造成中です。
それらを含め、10の村を抱える町となる予定ですので、一般の男爵領の領主が滞在する町とほぼ同等かと思っております」
「王都に打診された際には、そのお話は?」
「いえ、そもそも可能かどうかの探りを入れただけなので、魔境伯の名前すら出しておらず、男爵領規模の町ですが、現状は人口1,000名程度、そんな話しかしておりません」
「すぐ作りましょう!
王都の守銭奴共がその価値に気付く前に!
幸いにも私は、南部辺境域一帯を統括する司教となっております。内乱により各地の領地が再編成されたため、教会の統廃合も私に一任されております」
横を見るとアンは必死に笑いをこらえている。
「では、その差配は司教にお任せしてよろしいでしょうか?
そうなれば……
シグル、カーラ、例のものをここに」
グレース司教の前に、金貨の袋がさっきのものを含め、合計で5つ並んだ。
「ももももっ、もちろんでしゅ。
わ、わたくしゅめにお任せください。
町の民が誇りとなるような教会と施療院建設を、王都の中央教会に責任をもって働きかけましょう」
「いつもながら、グレース司教のお力、頼りにしています」
「お任せくだされ。私も魔境伯あっての今の立場。
そのあたりは重々承知しておりますので、この先もどうか遠慮なく、万事ご相談ください」
この時俺は、ちょっとした心配事があったので、この機会に司教に聞いてみることにした。
「では司教、お言葉に甘えて質問があります。
シグル、カーラ、少しだけ席を外してくれないか?」
俺の言葉に戸惑っていた2人も、アンが目くばせをすると素直に退席した。
きっとアンから、片時も傍を離れるな。そうきつく言い渡されているのだろう。
「以前、テイグーンに教会を作られた際仰っていた言葉、今後エストでは魔法士の適性確認ができないと仰っていたお話、覚えていらっしゃいますか?」
「ええ、もちろんです」
「では、エストの教会には宝珠はないということですよね?」
「な、な、な……、なんとっ!」
「ご安心ください。
ここにいるアンは私が全てを共有する我が妻。決して秘事を漏らすことも、詮索することもありません。
王族しか知らない秘事を、私がなぜ知っているかはご説明致しかねますが、私は教会設立の経緯について、内々の許可を受けて知らされております」
「そ、そんな……」
「わが父、ソリス伯爵も目下、魔法士の発掘には力を注いでおります。
ですが、その適性確認がエストでできないことを知りません。そこが気になっておりまして」
「わたしも、お答えできる範囲のお話ですが……
エストには、その、今は宝珠がございます」
「それを聞いて安心しました。
ここからは私の独り言です。お聞き流しくださいね。
今回反乱に加わり、取り潰された領主貴族のところから、1領地につき1つしかない宝珠を移動された、そう推察しました。
そうであれば、先の反乱で12家が領主貴族としてその地位を追われました。
歴史の中で失われた宝珠10個、それを補ったとしても2個余ります。
今現在、宝珠のない領地、恐らくそれはその必要すらない領地なのだと思っています。
恐らく今後の行く末を見て、10個は確保済であり、他の2個のうち1つをエストに、そういう事と思っています」
グレース司教は真っ青になって大汗をかいている。
敢えて何故俺が秘事を知っていることを伝えたか、それには目的がある。
「我が領地の魔法士について、私は王都の上層部から内々に情報秘匿の許可を得ております。
特に今現在、公式に発表されていない魔法士に関し、今後も厳に秘匿することの許可を。
司教は私の仲間、全ての魔法士に関する詳細をご存じです。そのため、共通の秘密を持つ仲間となったことをお伝えしたいと思い、敢えて心のうちを打ち明けました。
この先も、万が一適性確認で発掘できた魔法士は今後全て秘匿対象となります。
これは、教会上層部にも影響を及ぼす地位にある方々のご意志です。私が宝珠の件を知っていること、これがその証である事、是非お含みおきください」
俺は論功行賞のあと、狸爺から重力魔法士に関する話を聞き、ヨルティアの件で教会にも情報漏洩を防ぐ必要を感じていた。
その為、その旨を狸爺と相談した上で、関係者の名前を出さない前提で、グレース司教にも釘を刺す許可をもらっている。
「グレース司教、我ら2人、いや3人ですな。
私たちは一蓮托生です。3人で魔法士に関する秘密、必ず守り通していきましょう。
私も教会の秘事に首を突っ込むつもりはありません。
そしてその方々は、事ある時には司教を陰ながら支えてくれるでしょう」
宝珠に関して、俺からこれ以上の追及がないことが分かり、司教は安堵のため息をついていた。
何より王国上層部の後ろ盾、これは彼の今後の野心に対し、大きな力になるだろう。
司教の顔色は普段通りに、いやむしろ何かを悟り、覚悟を決めた顔になっていた。
「いやはや、魔境伯どのは恐ろしい方です。
私が、いや、もはや教会という組織が、無視できないない首輪を付けられてしまったということですね。
もっとも、その事実を私以外の者が知る由もありませんが……、未来永劫に渡って」
グレース司教は、もう完全にこちら側に立っている旨を宣言してくれた。
彼はできれば、今後もずっと味方にしておきたい。
「私自身、司教には今後も更なる栄達をしていただきたい、そう考えています。
枢機卿や大司教、そして……
私の方こそ、お力になれる際は是非、気軽にご相談くださいね」
司教の夢見心地な、恍惚とした表情を確認した後、俺たちは教会を後にした。
行政府へと歩いているとき、我慢の限界が来たのか、アンが少女のようにクスクス笑いだした。
うん、特使に出る前後から、アンの雰囲気がかなり変わってるよなぁ。
以前なら、二人きりの時以外、普段はずっと張り詰めた凛とした様子で、俺以外は近寄り難い雰囲気を纏っていたけど。
それを知る、シグルとカーラもアンの様子を見て唖然としていた。
2人は俺が王都の学園に入学して以来、将来は俺の護衛となるべく、アンは厳しく教育していた。
シグルにとってアンは鬼教官であり、カーラにとっては師匠であり憧れの対象だったのだから。
「タクヒールさま、今回も司教を手玉に取られた様子、凄く勉強になりました。
まるで、狐と狸の化かしあいみたいで」
うん、それって、喜んでいいんだろうか?
って、この世界でも、狐と狸の化かしあいって言うんだ?
もしかして、これも初代カイル王が持ち込んだ言葉だろうか?
複雑な気持ちと、新たに生まれた些細な疑問を胸に抱き、俺たちは行政府へ入っていった。
ご覧いただきありがとうございます。
次回は『西に蠢く闇』を投稿予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。
※※※お礼※※※
ブックマークや評価いただいた方、本当にありがとうございます。
誤字修正や感想、ご指摘などもいつもありがとうございます。