第二百十一話(カイル歴511年:18歳)驚愕の知らせ
収穫祭の最終日、テイグーンの街は祭りの終わりを惜しむ賑やかな喧騒が続き、誰もが楽し気に食事を楽しみ酒を飲み、祭りの最後に酔いしれていた。
その中でひとり、浮かない顔で領主館の最上階の一室で休んでいる者がいた。
「どうしよう……
もう誤魔化せない。いつかは、言わなければならないことだが、まだその勇気が持てない。
クリスさまやユーカさまには、もう知らせてある。
同じ仲間のみんなにも。
皆、祝福してくれたけど……、私なんかが」
そう呟くと、窓辺から見えるライトアップと、賑やか街の喧騒をぼんやり眺めていた。
『あれ? アンはお酒好きだったよね?
遠慮しなくてもいいんだよ。
収穫祭が終われば、今度は領内の新しい街を一緒に回る予定だから、今度は遠慮せずに一緒に行こう!』
タクヒールさまはそう言ってくれた。
でも、私は一緒に行けない。
そう、あれは最上位大会が終わった後だった。
私たちがクリスさまに呼ばれ、お部屋に伺った日からそれは始まった。
※
私たち4人が、クリスさまのお部屋に伺うと、そこにはクリスさまとユーカさまがいらっしゃった。
「みなさん、こうやって揃うのも久しぶりね。
その後も、ヨルティアさん、ユーカさんと、心を許せる仲間を得て、あの子は本当に果報者です。
改めて皆さんにはお礼を申し上げます。
そして今日は、ユーカさんからの相談もあって、皆さんに集まってもらったの」
クリスさまが促すと、ユーカさまが話し出した。
「皆さまもご存じの通り、帝国との休戦協定が切れるまで2年を切りました。
ここ最近のタクヒールさまを拝見していて思ったのですが、並々ならぬご覚悟で来るべき大戦に臨まれていることが窺えます。そしてこれはわが父も同様です。
常にお傍にいらっしゃる皆さまも、同様に感じられているのではと思います」
確かにその通りだ。
タクヒールさまはその対策と対応で、夜もまともに寝ることができていない事もある。
交代で寝室にお邪魔している、クレアさん、ミザリーさん、ヨルティアさんも同じことを話していた。
だが、その話をしてもいつもタクヒールさまは笑って言うのだ。
『大丈夫、アンたちは俺が必ず守るから。
心配しなくていいよ、アンの笑った顔を見れたら、俺の疲れは全部吹き飛ぶからね』
ユーカさまは続けた。
「私たち、貴族の当主に嫁いだ者たちの務めは、愛する方のお子をもうけ、その方の血筋を残すことです。
ですが……、王都の学園に通い、まだ正式に結婚していない私には、それが叶いません。
卒業してすぐ結婚したとしても、戦地に向かう夫を子供とともに見送り、この子供のためにも必ず生きて帰って来て欲しい、そう願うことが、時間的に間に合いません。
父から聞いたことがあります。
タクヒールさまは、味方のために自らの命の危険をも顧みず、単身敵中に飛び込んだことがあると」
そう、私は知っている。
タクヒールさまは、仲間であるクランを救うため、私たちの制止を振り切って飛び出された。
あの時、当時のゴーマン子爵の援軍が無ければ、私たちは恐らく敵の剣に打ち斃されていただろう。
もうあんなことは二度とさせない。
戦いの後、クランの亡骸に縋りつき、泣き崩れるタクヒールさまを抱きしめながら、私はそう誓っていた。
タクヒールさまは仲間の事を第一に考え、いつもそれを守るために行動している。
クリムトの鎧だってそうだ。
私たちを最優先に依頼していたのは、明らかにご自身のことを考えられていらっしゃらない。
「ユーカさんは言いにくいでしょうから私が言うわ。私たちの責務は、死地に赴く夫の子孫を残すこと。
不吉な事を言いたい訳じゃないの。
でも、大変な戦いを控え、家を守ること、夫の血を絶やさないことは、私たちにしかできない役目なの」
「皆さん、お願いです。
タクヒールさまのお子を産んでいただけませんか?
ずっと以前にお話しした通り、お子様は世子として、決して不憫な思いをされないようお約束します」
「私からもお願いするわ。
以前にお話しした時とは、今は状況も違ってきています。
皆さんは数々の功績により準貴族としての称号を得ています。王国の推挙もあり、魔境伯の職分としてあの子が任じました。
そして、ユーカさんという理解者が居ます。
産まれてくる子たちは、誰もみな、貴族の子弟としての立場が保障されることでしょう。
以前に、変な遠慮をさせるような事を言ったこと、改めてお詫びさせてください」
こんなやり取りがあった後、私たち4人は相談した。
ミザリーさんだけは、今の状態で子をもうけることができない。
そんなことをしたら、テイグーンの領地経営は立ち行かなくなり、経済は止まってしまう。
結局、他の3人から、最も年長でありもっとも最初にお仕えしていた私を、ということになった。
タクヒールさまが卒業するまで、王都でずっとお側に仕えているのも私だし……
最初はタクヒールさまに無断で、そう思ってずっと戸惑っていた。
ただ任務とはいえ、領地を離れてた王都で、妻として夫を独占できる日々ももう終わる。
そんな焦りと、皆の言葉につい流されてしまった。
この収穫祭が終われば、タクヒールさまに事実を告げなければならない。
そして私は、今まで通りお側で仕えることはできなくなってしまう。
『タクヒールさまの護衛として、いつでも私の代わりが務まるように』
そう言って一年も前から、シグルとカーラには準備を整えさせているので、そこは問題ないだろう。
だが、今まで自分が独占できていた役目を、他人に譲りたくはない、ずっとお側に仕えるのは、私でありたい。私はそんな気持ちに苛まれていた。
そう考える、醜い考えの自分自身が嫌になる。
お側を離れるのも、ずるい女と思われることも、まして嫌われてしまうことを、私は最も恐れていた。
※
そう思い悩んでいると、部屋のドアがノックされた。
「アン、大丈夫かい?
さっきは気分が悪いと途中で戻ったから、心配になって見に来ちゃったよ」
ああ……
もうだめだ。このお方に余計な心配をさせるわけにはいかない。
「タクヒールさま、お話があります」
やっとのことで、ここまで言葉が出た。
自分自身、手が震えてしまっているのがわかる。
「ん? どうしたの? 何か病気にでも?」
「あ、いえ、健康な病気です。なので大丈夫です」
私はいったい何を言っているんだ。
タクヒールさまも不思議な顔をしてこちらを見ている。
覚悟を決めて、すっと息を吸い込んだのち、思い切って私は叫んだ。
「申し訳ありません!
お腹に子供ができました!」
※
喜びと戸惑いの混じった不思議な感覚で、アンの部屋を出た俺は、どう表現してよいか分からない気持ちで、廊下の壁に寄り掛かった。
「ふぅっ、俺に子供か……」
ニシダとして生きた時、そして前回でももちろん、俺には子供がいなかった。
だからこの嬉しさは非常に大きい。
だが、どこかで心に引っ掛かっていたことがある。
「この世界に、更にしがらみを増やしちゃったな。
これでは、ますます帰れなくなる……」
思わず出たこの言葉、傍から見ると恐らく滑稽でしかないだろう。
4人の妻と、1人の妻となるべき人、5人も抱えておいて、何を今更しがらみか!
自分でもそう思うんだけど、心のどこかで勝手に自分自身が境界線を引いていたんだと思う。
ほんの一瞬だが、アンの告白を受け自分自身が固まってしまった。
不安げに、泣きそうな目でこちらを見るアンに、精いっぱいの笑顔を見せ抱きしめた。
「ありがとう、アン。
凄く嬉しいよ。だからそんな不安な顔をしなくていいよ。こんな最高のことはないよ」
なんとかそう言うことができた。
それでも、『申し訳ありません』と言って泣くアンを、ずっと抱きしめながら頭を撫でた。
恐らく彼女たちも、俺の心の奥に引っ掛かっていることを敏感に察知していたのかも知れない。
俺がアンを、妻たちを苦しめていたのだろう。
その思いで胸が痛かった。
いつも俺が苦しんでいる時、泣いていた時、自分を見失った時に、アンは必ず俺の傍らにいてくれた。
そして俺を慰め、時には叱咤してくれた。
アンが居たから、今の俺がある。そう言っても過言ではない。
俺は、そんなアンの厚意に甘え続け、それが結果として彼女を苦しめていたのだ。
「ごめん、ユウコ……
この先も戻る方法はずっと探し続ける。
ずっと忘れることはない。
いつか必ず戻る。
でもごめん、もう少しだけ待ってほしい。
今の俺を支えてくれる、かけがえのない人たちを、もう少しだけ守る時間を与えて欲しい」
そう呟き、一旦心の奥にあった迷いは封印した。
まだ時空魔法すら、俺には発現していないのだ。
いくら悩んでも、その手段すら今はまだない。
そもそも俺自身が、20歳の秋を超え、生きながらえることができるのか、はまだ分からないのだから。
もちろん翌朝、照れるアンの手を取り、ソリス魔境伯家の吉報として皆に報告した。
誰もが大喜びで大々的に祝杯を挙げた。
ご覧いただきありがとうございます。
次回は『領地巡回 アイギス』を投稿予定です。
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