第百九十六話(カイル歴510年:17歳)信頼できる敵
収穫祭には予想外の、いや予想はしていたが、予想とは違った経路から訪れた訪問者がいた。
「いや~、初めてソリス魔境伯のご領地を拝見しましたが、噂通り、いや、噂以上ですね。
あの隘路を大軍で攻めるなんて、阿呆としか言いようがないですよね〜。分断されて袋の鼠、帝国も愚かなことをしたものですよ」
そう、まるで他人事のように呑気に言葉を吐いた男は、帝国で最も警戒すべき男、ジークハルト・フォー・ケンプファー子爵だった。
確かに彼は、どこで知ったのか収穫祭に合わせて、友好を深める使者と称し、テイグーンを訪問する旨、事前に通知してきていた。
そして誰もが、通常の交易ルートである、ハストブルグ辺境伯領からコーネル子爵領を抜け、ガイア経由でここに来るものと思っていた。
実際、彼の引き連れている商隊は、そのルートで進んでいるとの報告を、俺も受けていた。
だが彼は、商隊とは別ルートを、100騎程度の僅かな護衛兵を連れやって来た。
国境から危険な魔境を抜けて……
アイギスの西端、テイグーンの隘路出口の関門に突然彼が訪れ、警備の者たちは驚愕した。
その知らせを聞いた俺たちは、慌てて彼ら一行を街の行政府まで誘い、その一室で今俺は、彼と一対一で対面している。
「ケンプファー卿、予想外のお越しには驚きました。
敵襲と誤解して、我らに攻撃を受けたらどうされるおつもりでしたか?
また、魔境で何かあったら、こちらでは責任を持ちかねますよ」
「あはは、失礼しました。
あと、今後はジークハルトとお呼びください。
なんか、卿とか付けられると身構えちゃいますので。
それに、どこぞの兵とは違い、精強な魔境伯の軍が圧倒的に少数で、白旗を掲げている我々を、調べもせずに襲ってくるなんて、考えてもいませんから」
そこまで我々を信用している。
そう思っているのか、単に能天気なのか、何かあっても対応できる自信があるのか、よく分からない。
「ホント、大胆な方ですね。
あ、私もタクヒールとお呼びください。分に合わない称号をいただき、戸惑っているのは私もです。
それにしても、魔境側からとは……」
「いえね、魔境側には元帝国の移住者も住んでいると聞きまして、同郷の身としては彼らの暮らしぶりも見たかったんですけどね。
だけど、あそこまで要塞化されているとは思いませんでしたよ。壁の向こうは全く見ることもできず、結局我々は、延々壁ばっかり見て隘路の出口まで来ちゃいましたからね。
これだけ防備が堅ければ、彼らも安心して暮らせるというものですね」
「それで……、防衛施設を視察される目的は達せられましたかな?」
「あははは、怖いなぁ。
まぁ……、ちょっと拝見した限り、仮に我々との戦いが起こり、帝国軍がここテイグーンに攻め込む事態になったとして、2万の兵を揃えても無理でしょうね。
あの壁もただの防壁、という訳でも無さそうですし、あたり一帯に色々仕掛けも有りそうで……、強襲すれば全滅は必至ですし、まぁ、相当厳しいでしょうね。
普通に考えた場合は……、ですけどね」
こう言って子爵はニヤリと笑った。
敵地で、しかもここまで堂々と敵情視察してました。そう言える人は、この人以外にいないだろう。
しかも、少数の兵で、見知らぬ危険な魔境を事故一つなくすり抜けている。
「普通の場合は、ですよね?
ジークハルト殿なら、何とかなるんじゃないですか?
以前もキリアス子爵領の魔境を走破し、昨年は食料をかたに第一皇子を手玉に取ったたお人ですから」
「うわっ! そこもご存じでしたか?
やっぱりタクヒール殿は油断のならないお方ですね。これまでカイル王国では貴方の評価は不当であり、それならば、当面安泰、そう思ってましたが……
今回の旅でそれも油断だったと、戒めていたところですよ。
やっぱり聞くことと、実際に見るのは大違いです。
あの要塞、魔境伯となるずっと前から、周到に準備されていましたよね?
正直言って、驚きました」
「私は、魔境のない帝国の方が、見知らぬ魔境を自在に走り抜けていることの方が、驚きですよ」
「いえいえ、魔境の禁忌など、書物の知識と旅慣れた、信のおける商人に聞けば分かることです。
それにここは大きな目標物もあり、テイグーン山を目印に西に進めば、往路は誰でも辿り着けましょう。
勿論、いざ敵対するとなれば、巧妙に隠された罠が機能し、侵攻軍は延々と続く城壁に阻まれ、背後からは魔物の襲撃を受けて全滅するでしょうね。
まぁ、穴がない訳ではないですが……」
確かに、万が一に備えてバレても良い前提ではあるが、彼の来訪に備え、魔境側には巧妙に隠した罠、塹壕や堀なども幾つか設置している。
彼がそれらを看破し、油断してもらう前提で。
だが、堂々と穴があると笑って指摘する彼の真意を、俺は測りかねていた。
「穴ですか。何か凄く興味があるお話ですね」
「教えて差し上げましょうか?
私だけがお招きに預かり、申し訳ないですしね。
お土産としてひとつ……」
「???」
いや……、せっかく発見した敵国の弱点、簡単に教えるの?
それで、いいの?
本当にこの人はやりにくい。狸爺でいささか腹芸はレベルアップしたと思っていたけど……
「堅固な守りの要塞があるのに、何故そこを攻める必要があるでしょうか?
僕ならそんな所は避けて通りますよ。
あと、侵攻軍は魔境を恐れるあまり、騎兵中心で早く走り抜けることを考えるでしょうが、僕は逆ですね」
「へぇ? 面白いお考えですね」
「テイグーンを攻める、これはもやは侵攻する側の固定観念、そう言っても差し支えないと思います。
強固な要塞に守られ、大軍の利を生かせない地に攻め寄せるなど、指揮官の自己満足に過ぎません。
味方の兵の命を蔑ろにする、阿呆だと言っても差し支えないでしょう。
僕なら、大規模な歩兵部隊を運用して、元ヒヨリミ子爵領に築かれた土壁を迂回しますね。
あそこもそれなりに防備は固められていますが、魔物や騎馬は通れなくても、工兵が歩兵を先導した山越えなら、越えれないことはないでしょう?」
確かに、その案はできないことはない。
だが、それにもリスクはあるはずだ。それも込みで、ということか?
「まぁ十分な食料が持参できないので、兵站については算を巡らし、工夫もしますけどね。
あと、一旦領内に入っても、その先にタクヒール殿が新しく築かれた街は、怖いので素通りします。
その場合でも恐らく、守備側があの方面に展開できる兵力は、多く見積もっても2~3千程度でしょう。
1万の歩兵部隊が、その能力を如何なく発揮すれば、何の障害にもならないでしょうね。
季節によりますが、食料の現地調達もできそうですし、その先には目立った防御施設はありません。
そうすれば貴方は、守りに有利な要塞を捨て、迎撃に出るか、それとも味方陣営の町や村をを見捨てるか……、その選択を迫られることになり、戦いの主導権は寄せ手に移るでしょうね」
その可能性は、俺たちも一応検討はしていた。
だが、よほど巧みな運用を行わないと、それでは敵中に孤立することになる。
果たして彼は、そんな用兵をしてくるのだろうか? いや、きっとその運用が可能な算段もあるのだろう。
わからない……、でも彼ならやれるのだろう。
なんとなく、そんな確信だけはある。
「ふぅ、痛いところを……、ジークハルト殿には、本当に敵いませんね。
でも、敵にそんな事を教えて、良いのですか?」
「はい、休戦協定を結んでいる以上、その間に限って言えば、我々は友人ですからね。
それに、いざ戦う時には、僕がこの方面を担当しなければ良いことですし。
いや、万が一命じられても遠慮したいですがね。
国境を越え、左翼側からカイル王国を攻めるなんて、例え勝っても犠牲がどれだけ出るか分かりません。
先程の策も、タクヒール殿が全力で兵を向けてくれば、どうなるか分かりませんし。
ただ、戦いは戦術的に一局面で負けても、戦略的に全体で勝てば良い話だと思っています。
最も恐ろしい、タクヒール殿の兵をくぎ付けにする。それだけで価値があると思うのですが……
どうですか?」
うーん、この人の言う友人って、なんか凄く怖い。
この人、本人は気付いてないかも知れないけど、戦術を語るときは、目つきと表情が変わるんだよなぁ。
そして恐らくこれが、彼の本質だ。
多くの人は、日頃の彼の言動や様子を見て、彼の真価を不当に低く見誤り、後で痛い目をみる訳だ。
彼は、この方面は手強いから、捨て石とまでは言わずとも、戦略的には遊兵となる部隊を配置し、俺たちの軍が戦局全体に関与できないようにすれば、全体的には自ずと勝てると言っている。
「仰る通りですね。ご忠言、ありがたく頂戴します。
やっぱり今改めて思いました。ジークハルト殿とは、戦場では顔を合わせたくないですね」
「あ、僕も同じですよ~
そもそも、できる限り楽をしたいですし。これは僕の本心ですからね」
「ではここからは、ご忠言に感謝しつつ、友人として、事前にご希望のあった通商の話でもしますか?」
「はい! 僕も是非その話がしたくて。
いやぁ、砂糖販売ではやられましたよ。折角築いた販路の一部を、そのまま取られちゃいましたからね」
「いえいえ、私こそジークハルト殿の恐ろしさを、改めて知りましたよ。
捕虜返還の時から、対価を砂糖に代えて戦略を練っておられたのですからね。
カイル王国の金貨だけでなく、商人の歓心まで容易く手に入れられた手腕、お見事でした」
そう、俺たちはアイギスで生産された砂糖を、ジークハルトが築いた販路に、彼らと同じ値段で売った。
安売りもできたが、価格競争になれば泥沼だ。
なので、『カイル王国産砂糖』として、王都で商人たちに卸した。
我々の強みは、王都で卸したことだ。
バルトたちがいれば、物流問題は解決するし、ただスペースだけは広い倉庫(居館)もある。
結果、商人たちは輸送コスト0で、最大の販路である王都で入手できる、俺たちの砂糖に飛びついた。
「まぁ、コスト面では敵いませんが、供給量は我々が上です。
この際、お互いに協定を結び、不毛な価格競争が起きないよう、お互いに配慮できるようにしたい。
これは第一の議題でした」
「我々も同じですね。折角育てた収益性の高い商品を、不毛な争いの具にはしたくないと思っています。
そして、王国全体の販路を賄えるほど、我々の供給力は高くないですから。
嗜好品として、裾野が広がるほど、砂糖は安定した産品になると我々も考えています。
まぁ利益率は少し下がりますけどね」
「ありがとうございます。
では、その辺りの詳細は、お互いの文官同士で詰めるとして、第二の議題、いやお願いの話ですが……
魔境伯領特産の、ハチミツを我らにも卸していただけませんか?
もちろん対価はそれなりに……、タクヒール殿が卸されている金額の、倍程度までは考えています」
「そこまでして、売れるものですか?
確かに、暑い地域では特にハチミツの生産は少なく、価値は高いと聞いたことはありますが……」
「ええ、帝国内にも欲しい物は金に糸目を付けない連中が居ます。
狙いはそこなので、量自体は、タクヒール殿の生産を圧迫するほどは欲してません。
欲しいのは、我々がそれらを販売できる事実と実績、それだけですから」
「なるほど、政治的にも活用し、帝国内の上層部や商人たちの歓心を得て、第三皇子はその爪を研ぐ。
そういう事ですか?」
「はい、これは貴国にも利益があることと思っています。
僕ははっきり言って、第一皇子が好きではありません。皇位継承のため、野心丸出しで戦を行っているだけで、多くの部下を率いる器ではないでしょう。
彼にあるのは、第一皇子という皇位継承権の看板だけですね。
そして、貴国とテイグーンにも相当の敵愾心を抱いています」
「第三皇子は違うと?」
「まぁ……、皇族ですから、多少浮世離れした部分はありますが、人の上に立つ器はありますね。
こんな僕を重用するぐらいの、面白さも。
そもそもスーラ公国との戦いも、発端は防衛戦です。
侵略され国土を蹂躙される脅威を、我々は常に抱えており、南の国境を安定させるため戦っています。
自らの野心で切り取っているのではありません。
そして彼は、カイル王国に対し何の遺恨もありません」
「では仮にですが……、第三皇子に皇位継承が決まり、帝国内の継承問題が落ち着いたとします。
それでも、新たな侵略先としてこちらに牙を向けてくる可能性もありますよね?」
これは前回の歴史で実際に起こっておる。
その可能性は十分注意する必要がある。
「仮に、の話になりますが、南の戦いが予想外に順調に進んだ場合は、その余勢をかってそうなっていたかも知れません。
帝都でも、第三皇子の派閥は少数派です。
皇位継承が確定した後でも、その実力を示すため、新たに版図を広げ、実力を示すことを強いられる。
そんなことも考えられます。
ですが、南はある程度征服した時点で侵略を止め、休戦交渉に入ります。多分、あと1~2年かな?
まだ虎視眈々と、第三皇子の背中に向かって矢を番えている連中もいますしね。
相手もあることですが、スーラ公国の北半分、もしかしたらそれ以上を割譲、そんな所で決着するんじゃないかと思います」
「それで全てが決まると?
というか、私が心配することではないですが、こんな話を私にしちゃって、大丈夫なんですか?」
「まぁ、この程度の話、まともな諜報活動と、商人の首根っこを掴まれている方には筒抜けでしょう?
今は知らなくてもいずれは……
そして多分……、決まらないでしょうね。
帝都の第一皇子の後ろには、油断のならない大狸もいますし、きっと嫌な提案をしてくるでしょうから」
帝国にも狸はいるのか。
互いに老獪な老人を狸呼ばわりしていることに、俺は思わず吹き出しそうになった。
「その2人の皇子の前に、吊るされる餌が我々ということですか?
まぁ、迷惑な話ですね」
「ご理解いただけて嬉しいです」
いや……、普通そこは否定するでしょう。
例え嘘でも。
「正直、僕は戦が嫌なんですよね。
以前のカイル王国ならともかく、今回の反乱で貴国の守りは格段に、以前とは比べ物にならない、強固なものへとなりつつある、そう僕は見ています。
そうなれば、仮に勝てたとしても犠牲は計り知れません。こんな、皇族同士のとばっちり、僕も勘弁願いたいと思っているのが本心です」
「だが、戦いは必ず起こる。そういう事ですね?」
俺が真っ直ぐジークハルトの目を見つめると、彼は不敵な微笑を見せて頷いた。
「はい、だからこそ、その時に備え、今、敢えてこのお話をしました。
私の調べた範囲、これまでの経緯でも、貴方は敵としても信用できる、そう結論を得ています。
可能な限り、で構いませんが、タクヒール殿に個人的なお願いと提案があります。
それを聞いていただくために、私はここまで来たと言っても差し支えないでしょう」
これが彼の本当の目的か。
今までは単に前座の腹の探り合い、そう思うと改めて彼が恐ろしく思えた。
ジークハルトは、態度だけでなく、その言葉つきも変わり、油断のない眼差しでまっすぐ俺を見ている。
この先、避けられない戦いがあるだろうことを告げながら……
「忠義を全うできること、私にできること、戦の犠牲を回避できることであれば、喜んで伺いますが……」
「もちろんそれで構いません。
私自身、どれだけ戦が嫌でも、祖国を売ることはできかねます。その前提でのお話です」
こうして俺たちは、お互いの主君を裏切らない範囲、実際のその時にできる範囲で、ある密約を結んだ。
決して口外できない内容ではあるが……
カイル王国と、グリフォニア帝国の行く末を左右しかねない、重要な内容である彼の提案に合意し、お互いの国と、その未来のために備えることとした。
この時から、俺の中でも、ジークハルトという人間の評価は変わった。
得体の知れない、優秀で油断のならない謀将から、局面に依っては信の置ける、極めて優秀な敵将として。
この2人の会談は、数年先にその真価を見せることとなるが、今はまだその内容を知る者はいない。
そして歴史は、この2人が危惧した方向へと歩み出す。
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次回は【整いつつある体制】を投稿予定です。
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