第百六十五話:反乱軍攻防戦⑧ 新関門対決(エロール立つ)
「エッ、エロ……、エロールだとっ!
そんな訳あるかっ! 奴は追手に討たれたはずっ!」
子爵の不用意な発言を、聞いてしまった兵が何人かいたことに、彼は気付いていない。
「ヒヨリミ軍に所属する兵士諸君、これから私の行う話は、君たちが聞かされてきた話と異なり、全て真実の話である。どうか戦いを止めて話を聞いて欲しい」
「エロールさま?」
「若様がどうして?」
一部のヒヨリミ兵は武器を下ろし、エロールの話を聞く為、注目し始めたことに危険を感じたヒヨリミ子爵は、新たな、そして無常な命令を下す。
「あれは乱心しておる。構わん! 撃てっ!」
ヒヨリミ軍の兵士たちはこの命令に激しく動揺した。
命令を聞かない者もいる中、エロールに向けて先程とは明らかに数の減った矢の一斉射撃が行われた。
それでも多数の矢が飛来するなか、エロールは一切動じていなかった。
むしろ矢を迎え入れるかの様に、大きく両手を広げた。
何本かの矢はエロールに吸い込まれ、彼の身体に突き立つかに見えた。いや、突き立った筈だった。
だが彼は、何事もなかったかのように立ち、演説を再開した。
それを傍らで見ていたダレクは、自身の危惧が確信に近いものになると感じた。
いくら安全と言われていても、あそこまで堂々と矢を受けることは、なかなかできるものではない。
「兵士諸君、よく聞いて欲しい。
我が父と兄は王国に叛旗を翻した。お前たちは反逆者に率いられた反乱軍である事を知って欲しい。
いずれ王国全土から追討の兵が押し寄せることだろう。
ヒヨリミ子爵軍は決して正義の軍ではない。
そして、今お前たちはどこを攻めている?
疫病に苦しむヒヨリミ領の難民を受け入れ、その命を救わんと奔走している人々に矢を向けていること、お前たちは理解しているのか?
お前たちはこの地が誰の領地か忘れているのか?
我らが水害に見舞われた際、真っ先に救援に駆け付け、援助と蕪の恵みをもたらしてくれた恩人を、お前たちは忘れてしまったのか?
どうかそのことに気付いて欲しい」
「や、奴はエロールの偽物じゃっ!
奴の言っていることは妄言に過ぎん。これ以上世迷言を言わせるな!
撃てっ! 撃てというにっ!」
ヒヨリミ子爵は絶叫した。
だが、兵士の動きは緩慢だった。
エロールの演説が一拍間を取った際、砦前に展開していた兵達を、まるで大地から沸き起こったような、明るい、だが優しい光で包んだからだ。
「うーん、やっぱり範囲が広すぎるな。
光が分散する……、あの時みたいには行かないか?」
ダレクは少し残念そうだったが、ヒヨリミ軍の兵士達の殺気は鎮まりつつあった。
「やっぱり、本物だよな?」
「あの声、エロール様だよ」
「なんで領主様は若様を殺そうとするんだ?」
攻撃側の兵士達の一部は武器を下ろし、彼らの胸にヒヨリミ子爵への疑念が沸き起こっていった。
「兵士諸君、繰り返して言う。
今お前たちが攻めているこの砦にも、我が父や兄によって住処を追われ、助けを求め来訪した、数百にも及ぶヒヨリミ領の領民たちが保護されている。
同胞を、仲間を、家族が匿われている場所に、お前たちは矢の雨を降らすのか?
我らに手を差し伸べてくれた恩人に、お前たちは矢を向けるのか?
ヒヨリミ軍の兵士たちよ……
お前たちはいつから恩知らずになった!
いつから恥知らずになった!」
ヒヨリミ子爵軍は静まり返っていた。
「今回の叛乱と疫病に苦しむ領民への無慈悲な対応、この非道な行為を知り、私は父と兄を諫めた。
だが、彼らは聞く耳を持たず、私を亡き者にすべく追手を出した。
誇りある王国貴族の一員として、私は決心した。父と兄を討ち、この反乱を収めることを。
無謀な戦に巻き込まれる兵士諸君を救う事を。
お前たちっ!
今すぐ戦うのを止めて正しき道に戻って欲しい。
私はお前たちとともに、ソリス家の皆様に、恩人であるエストールの民に詫びたいと思っている。
そして、贖罪の機会をいただくよう願うつもりだ。私は正道に返ったお前たちを決して見捨てない」
エロールがここまで話すと、ヒヨリミ子爵軍でも異変が起こった。
絶え間なく『撃てっ』と繰り返すヒヨリミ子爵と、側近の兵が掲げる刃に気圧され、一部の兵士たちが矢番え、エロールに向かって放ち始めた。
「貴様らっ! 若様の話を聞いてなかったのか!」
「若様に何てことしやがる!」
それを見た、別の兵士たちが突如として、矢を射っている味方に襲い掛かった。
最初は……、数人規模の小さな争いだった。
だが、その争いに参加する者たちは加速度的に増え、ヒヨリミ軍は壮絶な同士討ちを始めた。
同じヒヨリミ軍同士が入り乱れ、最早、収拾のつかない状態へと陥りつつあった。
「エロール殿、こうなっては致し方あるまい。
我らで貴方の味方をお救いするが、共に来られるか?」
ダレクは階下に駆け出しながら、エロールに問う。
「もちろんです!
我が手で父を討ってこそ、ヒヨリミ家の面目は保たれます。この手で戦いの幕引きを!」
傷がまだ癒えきらない体を押して、エロールは苦痛をこらえ後に続いて走り出した。
「では共に来られよ! レイア殿、後は頼む!
お前たちはエロール卿とともに! 先ほどの件、決して忘れるなよ」
そう言い残し、ダレクとエロール、そして彼の護衛を担った者たちは、門を開き出陣するため、北丸の城壁を駆け降りて行った。
※
「辺境騎士団第六軍、これより正道に戻った敵兵を救い、敵の首魁を討つ! 我に続けっ!」
これまで固く閉ざされていた北丸の城門が開き、ダレク率いる300余騎が一斉に駆け出した。
それと同時に城壁上からは、照明弾のような光の玉が、継続してゆっくりと飛来し、彼らの進むべき道と敵軍を照らし始めた。
「エロール殿、ご無理はなさらず後方にっ!」
「なんの……、これしきの傷っ」
ダレクと共に飛び出したエロールを追い、騎馬を走らせてきた者の気遣いに対し、強がってみせたものの、エロールの負った手傷は深い。
聖魔法士の魔法で、命を取り留めただけで、今は馬にしがみついているのが精いっぱいだった。
先頭で騎馬を走らせるダレクの前では、激しい戦闘、同士討ちが展開されていた。
「正直、これってどっちが味方か分からんな……」
一瞬考え込んだあと、味方を横陣に展開し敵軍を威圧する形を取ると、大音声で叫んだ。
「正しき道に戻った兵たちよ、エロールさまはこちらだ。今こそエロールさまの元へ集えっ!」
多くの兵がダレクの横陣に向かって駆け寄る。その殆どがエロールを慕って集まった者だった。
わざわざエロールを狙い、300騎が展開するところに突っ込む者など、無謀としか言えない。
「さぁ、エロール殿。彼らの旗印として、より多くの兵を取り込んでください。
俺は首魁を捕えてきますので」
ダレクはエロールにそう告げると、馬首を巡らせ100騎を彼の護衛に残し、残る200騎を率いて走り去った。
「さて、ここは貴方が頼りです。よろしくお願いします」
ダレクは、先ほど言い含めた自身の配下の他に、ここまでエロールを護衛し、後を追い騎馬を進めてきた、もう一人の者に話しかけた。
ヒヨリミ子爵を捕らえる、これは大言壮語ではない。ダレクには秘策があった。
※
戦場でヒヨリミ軍は大混乱となり、各所で同士討ちを始めるも、大勢はエロール側に集うものに傾き始めていた。
「やむを得んっ。一旦撤退じゃ! これより我が領地を抜けゴーヨク軍に合流する!」
ヒヨリミ子爵は、今なお彼に従う200騎に対し、新たな命令を下した。
「ここに光の小僧が来ておるということは、その分、辺境伯の手勢が減っているということ。
であれば、それはそれで国境での戦いは有利に進んでいることになる。
あの強欲な豚に、勲功第一のでかい顔をされるのは我慢ならんが、もはや致し方ない……」
そう呟き、闇に紛れて撤退を開始した。
だが、事態は彼の思う通りには進まなかった。
彼らは闇に紛れようにも、城壁から光が飛んできて、間断なく彼らを照らす。
その光を避けようとジグザグに進んでいる間に、退路をダレク率いる200騎に抑えられてしまった。
「全軍! 鋒矢の陣を敷け!
これより奴らに突撃し、突き破る。そのままわが領地まで駆け抜けろっ!」
ヒヨリミ子爵の指示が飛んだ。
「ふん! 俺に中央突破だと?
舐められたもんだ……、全軍、縦列陣で突撃する!
無理に正面から当たらず、袋の中に包み込めっ!」
こうして、2人の将に率いられた軍は正面から激突し、その雌雄を決することになった。
彼らの戦いは、この攻防戦の最終局面へと移っていくことになる。
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