第百五十七話:東部国境戦⑬ 戦いの後
カイル王国南部辺境で起きている出来事も、遠く離れた東部辺境にはまだ伝わっていない。
情報通信の発展していないなか、伝達には一週間から10日の日数を要していた。
まして、南部辺境を取り巻く南部諸侯たちが反乱を起こし、情報封鎖を行なっているため、王国東部辺境で戦うタクヒールたちには、未だ正確な情報は届いていない……
この頃、東国境に展開するカイル王国軍は、戦いで勝利し、国境一帯からイストリア皇王国軍を完全に掃討していた。
戦いが終わってもなお、砦内に残っていたイストリア皇王国軍の生存者は多い。
その多くが、負傷し動けなくなった者、目の痛みなどで戦意を喪失した者たちだった。
ちょうど俺たちが、カイル王国軍の司令部と共に、砦内に進駐した時、ちょっとした騒動があった。
「敵軍の捕虜の中に、どうやら身分が高いと思われる者がおりました。
どうやら深手を負い療養中らしく、寝台で眠っておりましたが、実は……」
ハミッシュ辺境伯は、報告する兵と話しながら此方を見て頷いた。
「ふむ……、そうじゃな。ソリス男爵、頼めるか?
そなたの聖魔法士の力をお借りしたい」
「了解しました。
では、マリアンヌを伴い、参りましょう」
そう答え、マリアンヌと共に、負傷した捕虜が収容されている場所を訪れた。
他の捕虜とは異なり、建物の一室のなかの寝台に、その捕虜は横たわっていた。
マリアンヌは早速駆け寄り、傷の状況を確認する。
「タクヒールさま、恐らく肋骨を数カ所骨折し、全身も酷い打撲です。
このままでは、彼女は助からないかも知れないです。今すぐ処置を行いたいと思いますが……、よろしいですか?」
「そうだね。急ぎ頼めるかな……、ん? 彼女?」
診察で寝具がめくられ、下着だけで全身を露わにしたその負傷者は、ショートカットに切りそろえられた緑がかった髪をした、まぎれもなく女性だった。
ハミッシュ辺境伯が、女性の聖魔法士を従えている、俺にわざわざ頼んだ訳がやっと理解できた。
マリアンヌは早速聖魔法で処置を始め、彼女の身体は柔らかい、でも安らぎを感じる淡い光に包まれた。
程なくして、その女性は目を覚ました。
慌ただしく周囲を見回し、自分の身体を確認し、何が起こったかを理解しようとしている。
「もう大丈夫よ。貴方は助かります。
暫くは安静にしてもらう必要はあるけど、骨折も足の打撲も直したので、すぐに歩けるようになるわよ」
マリアンヌは優しい声で彼女に語りかけた。
「あなたも……、御使いなの?」
しばらくして、彼女はやっとその言葉を吐いた。
も? 俺はそこが気になった。
御使いという言葉は、3日目の会戦で敵軍の捕虜たちが、治療を行ったマリアンヌ、ラナトリアを指して言っていた言葉だ。
『も』という事は、彼女も魔法士ではないか?
「横から失礼する。
彼女は私の配下の御使いだよ。他にも御使いが居て、今は外で皇王国軍の兵たちが治療を受けている」
「御使いが兵士の治療を?」
彼女は相当混乱しているようだった。
「……、貴方さまは、カイル王国の枢機卿猊下でしょうか?
失礼しました。私は、風の御使いを拝命しております、アウラと申します。
命を救っていただいたことには、感謝しておりますが……」
やっぱり!
彼女は、イストリア皇王国では大変貴重な、兵士たちが崇める御使いのひとりだった。
「私は、ソリス・フォン・タクヒールと申します。
貴方の行動の自由は保障できませんが、安心して治療に専念できるよう手配はいたします。
後ほど、貴方と同様に治療を受け、保護されているイストリア皇王国軍の兵士たちの所へご案内します」
そう伝えると、彼女は少し安心したようだった。
どうせなら、3日目の戦いで捕虜となり治療を受け、マリアンヌやラナトリアを崇めている皇王国軍の兵士たちと共に、彼女を保護した方が、彼女の気も休まるだろうし、此方にも心を開きやすいだろう。
事後報告だったが、その手配の後、ハミッシュ辺境伯にその旨を伝え、彼女の去就についても相談した。
※
今の状況、アウラにとって夢を見ているようだった。
これまで彼女が信じ、戦ってきたことに従えばそれは悪夢となる筈だった。
彼女はイストリア皇王国の兵士の娘として生まれた。
父は皇王国が誇る、ロングボウの名手として名を馳せた兵士長だった。
父の影響で子供の頃から弓矢で遊び、15歳になる頃には神業の弓使い、そう呼ばれるまでになっていた。
だが、彼女は自身が女性であることが恨めしかった。
なぜなら、女性の彼女の膂力では、強弓であるロングボウが扱えなかったからだ。
父の背を追い、ロングボウ兵となる夢を諦めたころ、教会から突然の呼び出しを受けた。
そうして彼女は、教会で『使徒』と呼ばれる御使い候補者となり、更にその後暫くして、教会の勧めに従って、御使い召喚の儀式を受けた。
今から3年前のことだ。
御使いとなった後、彼女の生活は激変した。
多くの人々から傅かれるのは、なんとなく嫌だったが、ロングボウ兵たちと共に行動し、彼らの役に立てることは、彼女にとって、諦めていた夢が叶ったことに等しく、喜んでその役割を務めた。
両親も彼女の立身出世を非常に喜んでくれた。
だが、彼女や両親の幸せな時間は長く続かなかった。
御使いとなって暫く後、母親が流行り病であっけなく病没してしまい、父親も、ここ西部国境とは異なる戦場で負った、戦傷がもとで命を落としてしまった。
アウラは同じ御使いである、聖魔法士による治癒を願い出たが、教会は単なる兵士長である父に対し、神の御業を使用することを許さなかった。
皇王国では、御使いによる治癒を受けられるのは、最高の栄誉とされていた。
皇王直々に認められた、ごく一部の上位者や、教会に多額の寄付を行った者にしか、その栄誉に与れることはない。
父が聖魔法の治癒を受けることができていれば……
私の力が足りなかったばかりに……
アウラはずっと、この後悔を胸に抱いていた。
しかし、カイル王国の御使いは、当然の如く敵軍の兵卒にさえ、神の御業を使い治療を行っている。
イストリア皇王国では絶対にあり得ないことだ。
彼女は父が生前に語った、カイル王国ではない他の敵国、その国と戦い、勝利した時の話を思い出した。
敵軍の捕虜は、移送に耐える者だけが命を許される。
それ以外の、負傷し足手まといになる者は、その場で処刑と決まっている。
唯一の例外は、敵でも身分の高い者たちだ。
彼らは、身代金と交換するために一旦保護されるが、支払いがない場合は、即処刑される。
なお、移送に耐えた者に待っているのは、死ぬまで鉱山などで重労働に従事することだ。
一度捕虜となった者は、どう転んでも、まともな扱いを受けることは決してない。
これは彼女をはじめ、イストリア皇王国兵たちが知っている常識だった。
だが……、カイル王国軍は全く違った。
捕虜たちにも、イストリア皇王国とは比べ物にならない、きちんとした食事と寝床が与えられ、負傷者への治療も適切に行われている。
自分たち捕虜に助力を請い、彼らにとって敵国人である、同胞の亡骸も丁重に葬っている。
自分たちは神の先兵であり、魔物の末裔である非道なカイル王国軍を打ち破り、不浄の地に神の楽園を築く。
そう教えられ、信じ、戦って来た。
だが、捕虜に対するカイル王国軍の対応を見ると、自分たち皇王国軍の方が悪魔の眷属に見えてくる。
彼女は何が正しいか、正直わからなくなっていた。
※
ラファールは、今日も密かに酒を持ち出し、以前に捕らえられた捕虜たちの所に出掛けている。
捕虜たちも、最初こそ彼を訝しがっていたが、全く兵士らしくない、どこか荒くれ者の雰囲気さえある、気さくな彼と打ち解け、夜になると酒を持ち密かに来訪する彼を、心待ちにするようになっていた。
「おっと、一杯ずつだぜ。
彼方では真面目な奴らばかりでな。ふんだんに酒があるのに、飲酒も禁止ときやがる。
全く、辛気臭くてしょうがねぇや。
おいっ! こらっ! 俺の酒まで飲むんじゃねぇぞ」
「はははっ、兄さんよ!
敵の中で隠れて酒を飲むなんて、大胆というか……、本当に好きだねぇ」
「おうよ、俺から酒を取ったら何が残るって言うんだ?
今日は酒の肴に、皇王国の女の話でも聞かせてくれや。美人揃いだって聞いたが、本当か?」
「兄さん、酒だけでなく、そっちも好きなんかい!」
「まぁな。俺にとっては酒と女が生きがいよ。
所で、今日ちらっと見たが……、皇王国の御使い様も飛びっきりの美人じゃねぇか? 驚いちまったよ」
「そりゃあそうだが……
おい、兄さん、悪いことは言わねぇ。あのお方はダメだぞ。変な気を起こすと、天罰が下るからな」
「うへっ! そりゃ……、おっかねぁな。
彼女、いや、御使い様は、なんでも特別なお方なんだってか?」
「おう、そりゃあそうよ!
俺も聞いた話じゃ、教会は御使い様を召喚するため、相当な大金を注ぎ込んでいるって言うしな」
「そうなのか? 俺もあやかりたいねぇ
そんな立場になれば、酒も女も選り取り見取りってなるか?」
「兄さん、やめときな。
教会に選ばれた使徒の方々でさえ、御使いが降臨するのは、せいぜい50人に1人って話だ」
「いやいや、そんな多くねぇよ!
俺は何百人に1人、そう聞いたぞ。そもそも教会から使徒として認められる事自体、大変な事だぜ」
「まぁ、こんな所で酒飲んでるような奴には……、全く縁のない話だけどな」
話を聞いていた他の男たちも割って入ってくる。
「ふんっ、違えねぇな。
酒と女が大好物な俺ほど、神聖な教会が似合わねぇ奴も他にはいねぇか?」
「はははっ! 確かにな。
でも兄さんは、俺たちに酒を持って来てくれる。そういう意味ではありがたい、酒の神様ってか?」
「はははっ、違えねぇ。
こんな神様なら、俺たちも毎日拝むってもんよ」
「ふん、今更拝んでも、酒は一杯ずつだからなっ」
ラファールは諜報の一環として、捕虜から得た情報を取りまとめ、都度タクヒールに報告していた。
兵士たちから集まる情報は、漠然とした内容も多いが、時には思いがけない情報もある。
諜報活動の一環として敵情を知ること、彼の地道な仕事は、非常に大切な役目だった。
諜報活動にかこつけて、戦場で酒を飲む楽しみを満喫している。
そう評する者もいるらしいが……
※
「ハミッシュ辺境伯、少し提案があるのですが、よろしいでしょうか?」
対陣14日目のある日、俺は辺境伯の元を訪れていた。
勝敗が決して、俺はすぐにでもテイグーンに駆け付けたかったが、そうもいかなかった。
戦後処理はまだ時間がかかる。
聖魔法士たちの負傷者対応も、まだ続いている。
更に、奪い返した砦の改修工事、これには地魔法士とバルトの力が必要とされていた。
また、多くの血を流した結果、再び魔物対応にも追われた。
サザンゲートと違い東の国境は魔境に非常に近い。
そのため、戦いの後は常に魔物の襲撃に備え、襲ってくる魔物を撃退する必要があった。
俺の気持ちが少し楽だったのは、既にテイグーンより第二報が届いていたからだ。
ミザリーからの報告によると、
初期対応が功を奏し、感染は終息に向かっていることや、隔離もうまく行き、他地域への伝染がないこと、
そんな内容が書かれており、俺たちはほっとして胸を撫で下ろしていた。
「どうしたかね? また驚かせてくれるのかな?」
辺境伯は少しおどけて、そう返してきた。
「辺境伯は、イストリア皇王国の出兵の目的、奈辺にあるとお考えでしょうか?」
「それは、魔境の権益の確保。端的に言えば儀式に使う触媒が欲しいのであろう?
かの国は、我が国と正式な交易手段もなく、密輸された触媒は非常に高価だと聞いておるでな」
「仰る通りです。彼らは莫大な対価を払い、適性の確認を行っています。
不確実な方法で候補者を絞り、数十回、時には百回以上の失敗をしていることでしょう。
このような事態で、みすみす密輸業者を太らせる手はないと思います」
「というと?」
「今後、休戦協定を結ぶ条件として、ある程度の触媒の輸出を許可する。
辺境伯が執り行う事業の一環として。
この手はいかがでしょうか?
どうせ規制しても、流れているのです。
ならば、その利益を此方が確保し、防衛費として充てるべきと思います。
彼らが密かに仕入れている値段より少し安く、そして仲買人や商業組合を通さず、東の辺境で手に入った触媒を直接買い取り、陛下公認の事業としてイストリア皇王国に卸す。
そうすれば、辺境伯側に莫大な収益をもたらし、皇王国側にも利益があるのではないでしょうか?
国境の防衛は、彼らの支払う対価によって強化される。自分で自分の首を絞めてもらいましょう」
「なっ! ……、はははっ。実に面白いことを言う。
まぁ、相手がある事とはいえ、陛下に相談する価値はあるかも知れんな」
「所で、丁度儂からも話があった。
あと4日もすれば、こちらの体制も整うでの。
それをもって遠征軍は守備兵を残し王都に凱旋する。
今回の戦、そなた抜きでは語ることはできん。それぐらい其方の功績は大きい。
陛下からも論功行賞はあろうが、儂からも礼はせねばならん。
既に渡した鹵獲品と以前に話した捕虜500名に加え、今は療養中の捕虜の中から500名を追加し其方に託す。
奴らは『御使いと共に行かせて欲しい』そう言って聞かんのでな。
行軍に耐える500名は、其方との軍と共に帰領するが良かろう。残りは後日、こちらで送り届ける。
それに加え、風の御使いも其方に預ける。
この御使いの事、陛下や一部の者には共有するが、公式記録には死んだ者として残しておく。
そういう訳じゃ。すまんが、あと4日だけ、ここでその力を振るってくれ」
こうしてタクヒールたちは一行は、戦後処理を進め、開戦18日目の朝、やっと東部国境を後にし、王都への進軍を開始した。
ソリス男爵軍は、出征時より500名多くなった軍勢を引き連れて。
ご覧いただきありがとうございます。
次回は【テイグーン包囲網】を投稿予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。