第百五十六話:残されし者の戦い⑧ 敵の敵は……
グリフォニア帝国第一皇子グロリアスは、大規模な演習を実施する、そう称して、再編成された旗下の親衛軍一万を率いて、帝都グリフィンを旅立った。
率いる部隊は単独の指揮系統を持つ戦闘集団として、カイル王国にとっては非常に大きな脅威となる、そう思われた。
親衛軍鉄騎兵 3,000騎
親衛軍騎馬隊 2,000騎
親衛軍歩兵隊 2,000名
親衛軍弓箭兵 3,000名
「やっぱり出てきたね。カイル王国でも内乱が起こったみたいだし……
嫌な予想って、何故かいつも当たっちゃうんだよなぁ」
帝国でカイル王国と国境を接する、旧ゴート辺境伯領、そこの防衛と内政を任されている、ジークハルト・フォー・ケンプファー子爵は、いつもながらの愚痴をこぼしていた。
「それで、あの手を始めますか?」
「うん、徹底的にやっちゃって〜。事前に話しておいた手筈通りにね」
副官の問いかけに、彼は気の抜けた返事をする。
緊張感など欠片もない。
「このまま通したら、グラート殿下(第三皇子)に怒られちゃうしね。
それに、万が一、第一皇子の軍に戦功でもあげさせちゃたら、今までの苦労が元も子もなくなるし。
あと……、撃退しちゃって、皇族殺しなんて言われるの、僕はもっと嫌だからね」
そう呟く彼を、副官は唖然として見つめた。
この人は、第三皇子から預けられた、わずか5,000名の手勢で、第一皇子率いる10,000名の軍勢に対し、勝つこと自体は可能だ、そう言ってるのだ……
そんなことが実際にできるのだろうか?
半分呆れつつも、副官は指示された内容を黙々と遂行した。
※
ジークハルトの策謀を知らず、帝都を進発した第一皇子率いる軍勢は、順調に軍を進めていた。
「このまま進めば、明日は旧ゴート領か。ということは、あと2日で国境に到着できるだろうな。
さて、グラートの犬は、素直に尻尾を振り、我らに道を譲るかな?」
そう言いつつ、第一皇子は確証を持っていた。
奴の手勢は僅か5,000名、しかも騎兵は少なく、鉄騎兵はいない。
仮に意地を通して、倍する軍と戦う無能者、皇族に刃を向ける不埒者なら、一気に粉砕すれば良いことだ。
「所詮、元は田舎男爵のうつけ者にござりまする。我らの障害にすらならんでしょう」
側近の追従に彼は満足して、酒杯を傾けた。
今日を含め、あと2晩宿営を行えば国境に出る。そこから自身の逆転劇が始まるのだ。
酒精だけでなく、甘美な夢でも彼は酔っていた。
ところが夜の宿営地では、一部の兵士達が急に慌ただしく騒ぎ始めていた。
「おい! 聞いたか。近隣の村や町で、商人が食料を高値で買い取っているらしいぞ」
「ああ、俺も聞いた。輜重隊の奴ら、余った食料を倍の金額で売りつけたらしい」
「他の隊の奴が、手持ち予備食料を3倍の値段で売ったと、俺はさっき聞いたぞ」
「なんだと! そんな儲け話、逃してたまるかよ。
こんな所でおちおちしてる場合じゃねぇぞ!」
彼らは今回の行軍が国境視察演習と聞かされている。
第一皇子の首脳部でも、まさか休戦協定を破り、敵地へ侵攻する予定、そんな事も言える訳もなく、機密保持のため、万が一に備えた演習、国境に不穏な空気があるため、示威行動の演習と称するしかなかった。
そのことが、不幸にも兵たちの緊張感の欠落に繋がってしまっていた。
演習と称していたため、今回の出征では、通常の戦なら必ず随伴する、大規模な輜重隊は同行していない。
何故なら、グリフォニア帝国内での演習であれば、いつでも食料の調達ができるからだ。
ただいつもと違い、第一皇子からの通達で、各自が自前で当面の食糧を用意するよう言い渡されていた。
そういう事情もあり、出兵に参加した兵たちは皆、いつも以上に金儲けの種(自前の食料)を抱え、ここまでやって来ていた。
勿論、親衛軍とはいえ、先の戦いで敗北した結果、定数を補うため急遽かき集めた兵も多く、その士気や統率に乱れがあった側面も否めない。
そして翌日、事態の一端を知った第一皇子は、激怒することになる。
「食料がないだと?
どういう事だ! 兵たちには自前で、当面の食糧を持参するよう、強く命じていた筈だ!」
「どうやら……、国内演習との通達だったので、持参した食料も少なく、ここに至るまでに使い果たしてしまったようです」
「ちっ! 使えん奴らだ。処罰は後で行うとして、近隣から食料を買い付けろっ!
明日、国境近くまで進軍したら、小僧からも徴発しろ。渋るようであれば、多少色を付けた値段で購入してやれ!」
第一皇子は不愉快だった。
十分な食料がなければ、軍の行動などたちまち麻痺状態となる。
敵地に入るなら猶更、それなりの期間を食いつなぐことができる、大量の食料を持参する必要がある。
だが、彼の苛立ちはこれで収まる事はなかった。
「グロリアス殿下、この度は物々しい軍勢を率いられ、国境へどのようなご用件ですか?」
数年前なら、自身に対して口すらきける立場で無かった者が、行軍を妨害するように街道上で兵を並べ、堂々と誰何してくる。
「貴様! 子爵風情が誰に向かって口を聞いておる。無礼であろう!」
第一皇子の側近が激発するが、ジークハルトは、まるでどこ吹く風だ。
「無礼を承知で申し上げる。
皇帝陛下のご裁可を受け、グラートさまが任されている国境地帯に、先触れもなく軍を進め、
皇帝陛下のご裁可を受け、休戦協定が結ばれた国境地帯に軍を送り、カイル王国の疑念を誘発され、
皇帝陛下とグラートさまの許可なく、国境を目指そうとされる、グロリアス殿下に、でございます」
第一皇子の陣営は、呆気に取られた。
皇帝陛下の名前を借り、かくも堂々と第一皇子を非難する者は、他にはいないだろう。
そして、それらが全く反論の余地のない正論だった。
「ケンプファー子爵よ、其方が知らんのも無理もない話よ。まして遠く離れた地のグラートもな。
我らは、カイル王国軍が休戦協定を破り、密かに帝国への侵攻を企図している。
その情報を得たため急ぎ駆け付けたまでよ。
事は緊急を要し、帝国の存亡にも関わる。
我らは帝国の未来のため協力せねばならん。
そして、一時の不和、誤解も止むなしと考えておる。
其方が忠義を示したければ好きにするが良いが、我らは力づくでも、ここを押し通るまでよ」
そう言って第一皇子は不敵に笑った。
「左様でございますか。
私共が得た情報でも、カイル王国にて内乱が起こったことは聞き及んでおります。
内乱で国内が混乱する中、敢えて国境を越え侵攻を企図するなど、大変な愚か者がいるようですね。
そんな事を行う者がいる様では、カイル王国は休戦協定を破り国境を犯す、信の置けぬ国として近隣諸国の笑い者となりましょうな」
たっぷり皮肉を込めて、ジークハルトも笑い返した。
「グロリアス殿下が、帝国の存亡、そう仰るのであれば致し方ございません。
我らも帝国の軍人。道は開けまするが、我らとしての筋は通したく思います。
皇帝陛下、またはグラートさまのご命令があるまで、敵襲のあった場合を除き、一切のご協力はできかねます。
それをご理解いただき、殿下にはご了承いただけますか?」
「もちろんそれで構わんよ。
余も、我が軍勢も、お主たちの支援を期待している訳ではないからな。
其方らは自身の筋を通すが良かろう」
愚かな奴め。結局最後は自身の保身か。
そう思いつつ、第一皇子は鷹揚に応じ、さらに軍を進めた。
だが、その言質を取ったジークハルトが、薄ら笑いを浮かべていた事に、彼は気付かなかった。
※
第一皇子は国境近くまで軍を進め、宿営地を定めたところで、改めて事態の深刻さを知った。
「食料が全くないだと? ど、どういう事だ!
商人や近隣の農村に買い付けに行ったのであろう?
お前たちは帝国内で食料の調達すらできんのかっ!」
宿営地で一息ついた第一皇子は、信じ難い配下の報告に耳を疑った。
「その……、近隣の村や町の食糧は全て買占められており、牛、豚、鳥などの家畜すら一匹もおりません。
どうやら、どこかの地域で災害があったらしく、食料が高騰しているようです。
そのため、商人達が相場の数倍の値段で買い占めていると聞いております。
それが、余りに高値での買取だったので……
その……、我が軍の兵卒共も、我先にと食料を売り払ったらしく……」
「なんだとっ!
兵たちは自分達の食い扶持まで売り払い、それで我が軍は、明日の食糧すらまともにないと言うのか?」
「兵たちの食事の量を減らせば、あと3日はなんとか……」
第一皇子は卒倒しそうになった。
こんな都合よく食料の買い占めが行われる筈がない。きっと奴の差し金だろう。
「悪辣な……、こうなっては押し買いでも何でも構わん。取り合えず可能な限り食料をかき集めろ!
商人に対しては、買い占めた値段より更に上の金額を提示しろ。この際、いくら掛かっても構わん!
あと、小僧も少し脅かしておけ。
大人しく食料を出せばそれでよし。協力しなければ後日罪に問う、そうでも言ってやるがいい。
そして、急ぎ帝都から輸送の手配も行うよう、ハーリーにも使いを走らせろっ!」
だが、この第一皇子の指示も、効を奏することはなかった。
集まった食料は微量で、とうてい軍を動かせる量には至らず、買い付けに走った者はみな、第一皇子の逆鱗に触れることとなった。
第一皇子の指示通り、ジークハルトを脅して食料を得ようとした者は、もっと悲惨な状況だった。
「貴様はグロリアス殿下が、あれ程までに宣言された内容を、愚弄する気かっ!
殿下の名誉を貶める行為に、不敬罪を適用する!
また、殿下の名を語り虚言を吐いた罪も許せん。極刑も覚悟せよっ!」
そう激怒したジークハルトに捕縛され、そのまま牢へと放り込まれてしまった。
この報告を受けた第一皇子陣営は、その後、彼に食料援助を請うことはできなくなった。
※
「さて、なんとか、うまく行ってるかな?
戦いでは補給が一番大事。
そして兵站を支える流通もね。
こんな事が分からないから、どれだけ兵の数を揃えても、戦に負けるんだよ」
配下の者の報告を受け、いつもとは全く違う、不敵に笑うジークハルトを見た副官は、戦慄して背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
彼は事前に、砂糖販売で得た、莫大な資金を背景に幾つもの手を打っていた。
商人に対しては、近隣の食糧を高値で買い取る旨を告げ、あからさまな買い占めを行わせ、買い占めた食料を秘匿した。
利に聡い商人達は、南で戦果をあげている第三皇子と、敗戦の責を負い中央に逼塞している第一皇子を天秤にかけた。
更に、ジークハルトは彼らに砂糖交易で大きな利益をもたらしてくれている。
今回の提示条件も、利益として十分にうまみがあった。
結果として彼らは、ジークハルトの意に沿い、商売に精を出し、第一皇子に背を向けることを選んだ。
元ゴート辺境伯領の領民にとっても、ジークハルトは恩人だった。
2回の大敗北を受け、その領地は荒み、野盗や盗賊が跋扈し、彼らは困窮していた。
そこに現れた彼は、瞬く間に治安を回復し、様々な支援施策を打ち立てることで、領地の回復に努めた。
その結果、領民たちの暮らしぶりは格段に改善され、ここ最近は余裕もできるようになっていた。
そんな恩人である彼が、各地の代表者を通じ、こっそり連絡してきた。
「近く、中央から派遣される軍隊が、略奪や押し買いを行う可能性があるので、事前に最低限必要な食糧以外は売り払い、必要な食料も分散して隠すなど、対策を取るように。
徴発や押し買いには、十分に注意して欲しい」
彼は更に付け加えていた。
「食料の余剰は、高値で商人が買い取るので、安心して全てを売り払い、利益を得て欲しい。
因みに、食料が必要になった時は、我々が責任を持って配給を行うので安心して全てを売り払って欲しい。
家畜については、相場の2割増しで代官が買い取り、一部は後日になって相場の2割引きで販売するので、安心して預けるように」
彼らは、圧政で自分たちを苦しめ、多くの身内を戦場で死に至らしめた、ゴート辺境伯とその後ろにいる第一皇子を憎んでいた。
そのため、むしろ積極的にジークハルトに協力した。
こうして、第一皇子の軍勢は、帝国内の『敵地』で、苦しめられることとなった。
※
「そろそろ頃合いかな?
商人たちには少しずつ、第一皇子へ食料を売るよう伝えて。もちろん、買った値段より高くね!
1日分の食糧以上の余裕を与えてはだめだよ。毎日じわじわと、これが大事だからね」
第一皇子の軍勢が、食料に困窮して3日後、ジークハルトは第二段階の指示を出した。
この後、第一皇子の軍勢は、背に腹は代えられないと、止むを得ず、高い買い物を続けることになる。
ジークハルトは、食料の買い占めで失った資金を、再び第一皇子から回収していった。
十分以上に利子をつけて。
「うん、資金回収の目途はたったかな?
今回に限れば、敵の敵は……、味方ということかな。
これで2週間程度の猶予をあげられたんじゃないかな?
後は、さっさと片付けてもらわないとね」
ジークハルトは報告の書面を見て呟いた。
「まぁ、カイル王国の辺境には、あの子供もいることだし、恐らく内乱はすぐに終結するだろうね。
難攻不落のあの地に攻め込む馬鹿もいないだろうし……」
こうして第一皇子は、カイル王国の内戦に介入する絶好の機会を失った。
彼らの軍は、国境を越えて進むこともできず、ただ国境に居並ぶ案山子同然となっていた。
この事情を、反乱に加わった者をはじめ、カイル王国側ではまだ誰も知らない。
ご覧いただきありがとうございます。
次回は【戦いの後】を投稿予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。