第百五十五話:残されし者の戦い⑦ 叛旗は翻る
エロールが病室で目覚めたらしい、その報告を受け、病室を訪ねる者がいた。
「お目覚めになりましたか。
聖魔法士からは、安静が必要だけれど、半月もすれば元通りに動けると聞いています。
安心してお休みください。
お知らせいただいた内容は、今朝一番でエストの街のソリス子爵と、東国境のタクヒールさま、ハストブルグ辺境伯に宛てて早馬を飛ばしております。
こちらも防衛体制を強化しました。
必ずエロール様と、領民の皆様をお守りいたします」
「かたじけない。して、そなたは?」
「タクヒールさまの妻のひとり、ヨルティアと申します。今回、エロールさまのお世話をさせていただきます」
ミザリーとクレアは、エロールに対しても警戒を解いていなかった。
これまでがこれまでだった事も大きい。
即座に反撃できる監視役、そして彼に応対しても差し支えない身分の者、人選に悩んでいたところ、タクヒールの妻として、そして反撃能力も申し分ないヨルティアが名乗り出た。
彼女の重力魔法なら、どれだけ屈強な男でも一瞬で地にひれ伏す。どんな剣士も敵わないことは、首脳部の者なら誰でも知っている。
「奥方どのが自ら……、感謝する。
して、わが地の領民たちはどうなっているだろう?
それが気になっておちおち寝ておれんのです」
領民たちに会いたい、エロールはそう懇願し続けた。
困り果てたヨルティアは、やむなく介助の者を付け、彼にマスクを着けさせると、新関門で匿われている、ヒヨリミ領の難民たちの元へと連れて行った。
「若様じゃ! 若様がこちらにいらっしゃるぞ!」
「おおっ! あんな傷を負われて……」
「若様、私たちはここで救われました」
ヒヨリミ領の民たちは、次々と彼のもとに駆け寄った。
「大事ない。すまんな、そなた等には大変な苦労をかけた。私は……、何もできなかった」
駆け寄る領民たちの姿と、エロールのやり取りを見て、ヨルティアは不思議に思った。
これが噂に聞いていたあの男?
夫を始め、テイグーンの首脳部が蛇蝎のように嫌っている男だろうか?
「私が不甲斐ないばかりに、皆には申し訳ないことをした。
ソリス男爵は、皆を救済してくれる。
そのこと、私も家臣の方々から聞いている。
この病も、決して治らぬ病気ではないそうだ。私も、皆と共に戦う。
だから皆も、安心して身体を休めてくれ」
彼はそう言って難民となった領民たちに詫び、励まし、共に戦うことを告げた。
新関門は、ヒヨリミ領の民たちの歓声で包まれた。
ヨルティアが感じた違和感は、当然のものだった。
ある意味、彼女が聞いていた話は事実であり、ソリス領から見た、過去のエロールを正しく表していた。
だが、タクヒールが見れば驚愕するほど、エロールの態度と領民たちからの評価は違っていた。
それが、紆余曲折あって導き出された、前回の歴史では現れることの無かった、エロールの持つ本質であることを、誰も知る由もなかった。
※
新関門でエロールが領民の歓声に包まれたころ、ヒヨリミ領でも歓喜の声を上げる者たちがいた。
「父上! 間諜の報告によると、奴らは更に軍を分散させ各地に派遣しました。
父上の策が見事にはまったようです。現在、あの地の守りはわずか300名程度と思われます。
しかも今頃は1,000名を超える病人で溢れかえり、フランやエストも大混乱となっている模様です」
「そうか、かの地が孤立したとなれば、いよいよか」
「はい! 奴らは魔境側の防衛にも人員を割く必要があり、疫病で病臥に伏す者もいるでしょう。
領民たちも、死ぬ前になかなか良い仕事をしてくれたものです。
これではあの砦を守る者、実働戦力はこの先100名を下回るやも知れません。
これぞ、我らが待ち望んでいた好機です!」
「上々じゃな。我らは全力で攻め入るとするか。1,000対100ならば、赤子の手を捻るようなものだな。
いかに彼の地が難攻不落といっても、守る兵士に事欠けば持ちこたえること叶うまい。
我らはフラン側から侵入し、かの地を占拠する。
奴らが築いた難攻不落の魔境側関門も抑えれば、あのお方をお迎えする準備は全て整うだろうて」
「はい父上、難攻不落の要塞も、内側から抑えてしまえば、こちらに利があります」
「これより出陣し、一帯を占拠し、国境を越えた援軍の来訪を待つとしよう。
機は熟した! リュグナーよ、直ちに全軍を集めよ!
そして各地に派遣する使者の手配を行え」
「はっ! 我らと同時に南部辺境一帯で火の手が上がり、一帯は大混乱となりますな。
父上のご采配、誠にお見事です」
「帝国に潜ませた者からも、予定通りあのお方が軍を率い、帝都を出られた報告が届いておるわ。
これでもう、カイル王国は詰んだも同然よ」
予め手配されていた兵士たちが、続々と領内各所から集結する。
その数1,000名を軽く超えていた。
中には、本来は領地の防衛に充てられる兵や、各村、町から臨時に召集された者まで含まれていた。
同時に、グリフォニア帝国第一皇子の親書を持った、ヒヨリミ子爵配下の者が各地へと飛んだ。
完璧を期した、彼らの計画は最終段階を迎え、策謀のパズルは全て組みあがりつつあった。
たった2つ、小さなピースが欠けていたことを除いて……
彼らの誤算のひとつは、次男エロールの存在だった。
各地に放った追手からの報告により、エロールは既に討ち取られた、そう知らされていた。
だがその報告は、リュグナー直属の兵から上がったものではなかった。
報告を上げた兵は、瀕死の傷を負ったエロールを敢えて見逃した。
その兵士は、深手を負っている所を討ち取り、彼は転落して崖下へと消えた、そう報告していた。
実はその兵自身が、エロールと共に領民を守るため魔物と戦い、彼を若様と呼び慕っていた。
そのエロールが、とても乱心しているように見えなかった。
命を受け、仕方なく彼を追い詰めたものの、どうしても剣を振るうことも、まして、討ち取ることもできず、ただただ迷っていた。
つい、兵士が若様、そう呼んでしまった際、エロールはその兵士の心情を悟り、彼に懇願した。
『私を若様と呼ぶ心があれば、ここで死んだことにして見逃して欲しい。
ヒヨリミ領の多くの民を救うため、私は行かねばならない。どうか、民のために頼む』
その結果、彼は敬愛する若様の言葉を信じることにした。こうしてピースのひとつは彼らの手からこぼれていった。
そして、2つ目の誤算は、後日明らかになっていく。
※
ヒヨリミ領の居館の前には、召集を受けた兵たちが集まり、出立の号令を待っていた。
「我が勇敢なる兵士諸君!
先日私は王都に行った際、国王陛下直々の命を受け、ここに戻ってきた。
『ソリスに反逆の兆しあれば、全軍を以てこれを討て!』と。
領内に蔓延しておる疫病も、ソリス子爵家がもたらしたことは周知の事実である!
奴らは卑怯にも無辜の領民を、そなた等の妻や子供たち、両親を死に追いやり、反乱を企てておる。
不逞な企みを持つ彼らを討つ栄誉は、ここに集う我らに与えられた!
これより全軍を出撃させる!
我らは王命を受けた、大義の軍である。
諸君らの、そして我が民たちの仇、今こそ討つ時だ!
全軍、出陣じゃ!」
「おおっ!」
ヒヨリミ子爵の檄に応じ、兵士たちは大歓声で応じた。
「リュグナーよ、其方は直属の兵200騎と招集兵を率い、別働隊を指揮せよ。
理由は、わかるな?
戦局に応じ、独自の判断で動くことを許可する」
「承知しました。父上もご武運を! そして、我らの時代の始まりに!」
その日、カイル王国南部一帯の各地で反乱の狼煙があがった。
ひとつの火が上がると、それに呼応し、更に複数の火が立ち上り、南部辺境地区は壮大な炎に包まれることとなる。
※
ゴーマン子爵領は、隣接したゴーヨク伯爵配下の子爵が率いた軍勢に奇襲を受けた。
突然領境を越え、侵攻してきた500名の兵に対して、当初は組織的な反撃もできず後退した。
「何事デアルカ! 我が領地を犯す不逞な輩共、早々に叩き出せ!」
そう宣言し、彼は少数ながらも精鋭を集めることに成功した。
これにより、精強と評判の高いゴーマン兵は、領地の中間地点でなんとか敵の侵攻を食い止め、反撃の機会を窺うことができた。
それは侵攻軍がとある街を包囲していたときだった。
彼らは、突然どこからか湧き出た数百の弓箭兵から、濃密なクロスボウの反撃を受けた。
奇襲を受けた敵は寡兵でしかない、そう侮っていた侵攻軍は、自軍と同等の数の弓箭兵の出現に驚愕した。
侵攻軍は気付く由もなかったが、弓箭兵に見えた彼らは兵士ではなかった。
彼らは自分たちの街を守るため、敬愛する少女の呼びかけに応じ、共に立ち上がった者たちだった。
戦場には似つかわしくない、その少女は、巻き起こる風に金髪をなびかせ、弓箭兵たちを指揮していた。
最前線に立つ彼女の風魔法に守られ、勇気付けられ、そして導かれたクロスボウの矢は、侵攻軍の進撃を挫き、それ以上の侵攻を止めさせた。
そして、弓箭兵の攻撃で侵攻軍が怯んだ隙に、少数だが、精強無比と噂の高いゴーマン兵が突進して来た。
倍する敵軍の猛攻に対しても、彼らは果敢に突進し、倍する敵軍を押し返していった。
これを機に、戦況は一気に逆転する。
戦場に立つ彼女の姿に、ゴーマン子爵軍の兵たちは、その士気を爆上げしたのは言うまでもない。
彼らは誰もが一騎当千の強者となった。
こうして、侵攻軍は領境まで押し戻されることになる。
結果、ゴーマン軍は最大の危機を脱し、戦線は領境で膠着し睨み合うこととなった。
※
コーネル男爵領は北の隣領、ゴーヨク伯爵配下の男爵領から、突然領境を越えて侵攻してきた150名の兵に奇襲を受けた。
「何事だっ!
直ちに姉上に急使を出し、援軍を要請しろっ。
者共っ! 我らが構築した防塞の威力、奴らに見せてやる時ぞっ!」
こう叫ぶと、彼は僅か50騎で飛び出し、前線へと走っていった。
侵攻軍が進んで来る、王都にまで繋がる街道には、コーネル男爵が地魔法士たちと構築した防塞がある。
先にそこに辿り着けば、取り急ぎ50騎でも防衛は可能、彼にはその思いがあった。
以前、テイグーンへと帝国軍が侵攻した際、コーネル男爵はカイル王国が抱える弱みに気付いた。
エストからコーネル男爵領を通り、王都に向かう街道には、目ぼしい防衛拠点が全く無い。
それを憂いた彼は、密かに街道上にいくつかの防御施設、空堀や橋、塹壕などを、巧みに偽装し設置した。
尤も……、南から侵略してくる相手に対して、だが。
「向きは逆だが、それでも、使いよう次第では十分役に立つ!
何としても先に、あの防衛線に入らねばならん」
防塞に向かうコーネル男爵は、騎馬を急がせながら自身を鼓舞した。
その結果、コーネル男爵率いる兵は、敵軍に対し紙一重で先に防塞に辿り着き、防衛戦を展開した。
侵攻軍は、思いも寄らぬ防塞に足止めされ、その後は、お互いに街道上で睨み合うこととなった。
※
ハストブルグ辺境伯領に向けて、ゴーヨク伯爵率いる本隊と、配下貴族連合軍4,000名が進撃を開始した。
辺境伯領まで、彼らに敵対する貴族の領地はない。
辺境伯の準備が整う前に奇襲をかける。
彼らは無人の地を進むがごとく、進撃の速度を速めていった。
こうして、カイル王国建国以来初めての大規模な内戦が、この日始まった。
不意を突かれた奇襲により、動員された兵力は反乱軍が遥かに優勢で、各戦線を支える者たちは苦しい戦いを強いられることになる。
こうして、ヒヨリミ子爵が描いた壮大な計画は、着々とその全容を表していった。
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