第百五十四話:残されし者の戦い⑥ 窮鳥入懐
ご要望に合わせて3/10に文末に概略地図を追記しました。
最初にヒヨリミ子爵領から難民、いや病人たちが、テイグーンを目指し、新関門を訪れて4日が過ぎた。
難民の数は日増しに増え、ソリス男爵陣営で受け入れた人数は、既に700人を超えていた。
「既に新関門の収容限界を超えています。この先、いかがしますか?
関門の外に仮設の宿営所を設け、今は何とか対応していますが、どこまで増え続けることか……」
急遽、打ち合わせのため、テイグーンの行政府に設けられた対策本部に戻ったエランは、困り果てていた。
彼自身、予想外の出来事と、日々増え続ける難民の対応でかなり憔悴しているようだった。
「そうね、女性と子供たちは、テイグーンの第四区画にある収容所(元捕虜収容所)に移動させましょう。
あと、教会での清めの儀式が終わった人たちは、宿場町の収容所(元捕虜収容所)に。
どちらも臨時病棟として、改装は終わってます。
これだけでも新関門からテイグーンへ、900人ぐらいを移すことができると思うわ」
「ミザリーさん、ありがとうございます。
新関門を訪れる者の多くは、女性や子供が中心です。
どうやらヒヨリミ領ではここ数年、働き盛りの男は兵として取られることが多く、今回も男手を兵として招集されているようです。
町や村に残っている者の多くは、女子供と老人です。
ただ、老人たちの多くは疫病の被害も深刻で、更に、テイグーンに至る道中で、その殆どの人が……」
エランは難民たちから聞いた、ヒヨリミ領の悲惨な状況に顔をしかめた。
「テイグーンの領民については、感染は既に小康状態になっています。
なんとかお世話をする人員も捻出できると思います。
ただ、ヒヨリミ領の住民の対応した人たちは、どうしても一定数は感染してしまうでしょうね。
どう防疫を行っても、そこは難しいみたい……」
せっかくもう少しで根絶できる、そう思った矢先、今回の出来事だったので、クレアは残念そうだった。
だが、感染者を出しても、多くのヒヨリミ領の領民を救えている、この思いだけが支えだった。
「それよりも、フランの町が深刻だな。そしてエストの街も……」
ゲイルの発言は、ここにいる全員の危惧と等しい。
彼らは、駐留軍の騎馬隊から選抜した人員を、四方に飛ばして情報を収集しており、今の危機的状況を十分に理解している。
テイグーンほどではないが、フランの町とエストの街にも、難民が押し寄せていること。
特に、教会も対応施設もないフランの町は大混乱に陥っている、そんな情報も受け取っていた。
「物資だけではなく、人員の応援も必要だな」
クリストフも頭を抱えていた。
この状況下で、多くの難民を受け入れたことにより、テイグーンもそれなりに手いっぱいの状態だった。
そして、何より疫病対策の本拠地として、その機能も維持しなければならない。
加えて、この先のヒヨリミ領の動向も気になる。
「ええ、それも早急に。
今はクリスさまの号令で、なんとかテイグーン、フラン、エストの街の縦のラインで、感染と難民を抑えているのだけれど、これより東側に点在する町と村が、今どうなっているか……
力及ばず申し訳ないのだけれど、正直言って、そこまで手が回ってなくて……
本当にごめんなさい」
ミザリーは、苦渋の顔をして、この場にはいない、それらの町や村に住まう人々を思い詫びた。
この縦ラインより東側(ヒヨリミ領方面)に対して、手を出せる余裕は、今の彼女たちにはなかった。
「テイグーンから各地に派遣部隊を出しましょう。
タクヒールさまなら、きっとそう成されるはずです。
私達は、留守を任された者の責任として、タクヒールさまが成されようとする事を、考え、実行していく必要があると思います。
あの方は、ご自身に救える力があるなら、どんなに苦しくても手を指しのべられる筈です」
クレアは決断した。
自分の夫である彼ならば、自ら傷つく事も厭わず、この危機に黙っていられず、必ず飛び出すだろう。
「あの……、私の出身はヒヨリミ領にも近い村です。
東側に位置する、近隣の村やディモスの町も土地勘があり知人もいます。
なので、色々動けると思うのですが……」
その時、聖魔法士のミシェルが手を挙げた。
「!!!」
「そうね、土地勘のある人や、その地に所縁のある人なら、他所の土地でも動きやすいわね。
しっかり護衛をつけて、対処できないときは、必ず一旦撤退して応援を呼ぶ。
その前提で、現地対応できる部隊を派遣しましょう」
ミザリーは決断した。
「そういえば、ライラもディモスの町出身だったわね。2人が組めば、巡回もしやすいかも」
クレアの言葉に、自ら手を上げたものの、少し心細そうだったミシェルも笑顔を見せた。
「護衛は、ソリス家出身の辺境騎士団と駐留軍を組み合わせて、用意しましょう。
彼らなら、3倍の敵軍を相手にしても、嬢ちゃんたちを逃がすぐらいはやってのけます」
ゲイルはミシェルを安心させるため、自信ありげに言った。
こうして、応援のための派遣部隊は結成された。
〇フランの町派遣部隊
対応指揮官:ローザ(聖魔法士:エスト出身)
護衛魔法士:クローラ(火魔法士:エール村出身)
:イリナ(風魔法士:フラン出身)
護衛騎馬隊:100騎
〇エストの街派遣部隊
対応魔法士:ミア(聖魔法士:エスト出身)
護衛魔法士:カーリーン(風魔法士:エスト出身)
:アイラ(水魔法士:エール村出身)
護衛騎馬隊:30騎
〇東部辺境区派遣部隊
対応魔法士:ミシェル(聖魔法士:東部農村出身)
護衛魔法士:イサーク(火魔法士:東部農村出身)
:ライラ(地魔法士:ディモス出身)
:カタリナ(風魔法士:マーズ出身)
護衛騎馬隊:70騎
これらの隊に加え、カウルはエストの街に、テイグーンで増産された清めの聖水を運び、その他の物資も各地を巡回して輸送する。
ローザに同行してきた中央教会の神父たちは、エストに神父が、他はフランに2名が行くと申し出てくれた。残った1名は、グレイス神父の下で、清めの聖水の生産を手伝うことになった。
こうして、テイグーンから派遣する部隊は旅立った。
テイグーン一帯に残留する兵力は、辺境騎士団200名と、駐留軍が30名(兼業兵)、傭兵団が100名、魔境の砦専任の屯田兵100名となり、やむを得ない事情とはいえ、その防衛力は格段に弱くなった。
※
そして、派遣部隊が旅立った夜、新たな予期せぬ来客が新関門を訪れることとなった。
「開門! 火急の用件につき、至急タクヒール殿にお取次ぎくだされっ! 開門っ!
我が名は、エロール、ヒヨリミ・フォン・エロールと申す!」
深夜の珍客に、エランは戸惑っていた。
この暗闇のなか、松明だけで、ここまでやって来たこともそうだが、供回りも付けず、単身での夜間移動など、常識ではあり得ない。
そして、その人物が渦中のヒヨリミ子爵の次男であったことが、最も混乱する要因だった。
単身で同行者も居ない、という事だったので、取り合えずエランは城門を開き、彼を招き入れた。
彼には、取り急ぎ使いを走らせる、そう伝えたうえ、監視のもと一室で休んでもらう事にした。
「深夜の不躾な訪問、どうかご容赦いただきたい。
急ぎソリス男爵にお知らせしたいことがある故、無礼を承知でその旨、大至急男爵にお伝え願いたい」
そう話す彼の、元々は高価な旅装姿であったと思われる服は汚れ、あちらこちらが破れていた。
誰かと戦った、そう思われる血の痕や、彼自身も負傷しているようにも思えた。
そして、顔もやつれ、誰が見ても疲労困憊と思えるほど、その表情は疲れ切っていた。
エランは急ぎ、テイグーンの行政府に使いを走らせると、湯を用意し、着替えと軽い食事を用意した。
エランのもてなしを受け、エロールはやっと一息つくことができた。
「やっとここまで来たか……
思えばヒヨリミ領の居館を飛び出してから、苦難の連続だったな」
エロールはそう呟き、ここまでの道のりに想いを巡らせた。
彼の兄リュグナーは、エロールの逃亡に対し、配下の兵を出して、東の領境を中心に包囲網を敷いた。
エロールは当然、東に向かうと思っていたからだ。
南は、魔境に接し、領地は南に進むほど荒れている。
魔境を抜け東に出るのは、自殺行為としか言えない。
西は、そもそも犬猿の仲であるソリス子爵の領地だ。
北も、ソリス子爵と関係が深く、縁戚でもあるコーネル男爵領で、その影響力も低く考えにくい。
結局、ハストブルグ辺境伯領のある東側に抜けることしか、エロールの選択肢はないはずだった。
エロール自身も、それは十分理解しており、実際に先ずは東へ向かうと見せ掛け、騎馬を走らせた。
そして一度ならずとも、彼の兄が差し向けた追手との戦闘も切り抜けた。
だが彼は、誰もが東に向かったと思っただろう、そう確証を持ったころ、南へと馬首を転じ、領地の南辺境を目指して進んだ。
更に南部の辺境域で、再び馬首を転じ西へ向かった。
追手や自身の兄の裏をかき、ここテイグーンを訪れるために。
こうして、追手との戦闘や、追跡をかわすための潜伏、闇魔法の隠行なども駆使し、最後は危険な夜の移動までして、やっとのことで、テイグーンの入口である新関門まで辿り着いたのだった。
「まだだ! 私はまだ死ねんっ」
一息着いた後、極度の緊張から解放された彼は、断続的に襲い来る痛みのなか、必死で意識を保っていた。
事の経緯をソリス男爵に伝えること、
流れ着いたヒヨリミ領の領民を保護してもらうこと、
王家に忠誠を尽くす貴族のひとりとして、叛乱を目論む父と兄の情報を伝え、その誅罰に助力を乞うこと、
これらを全うせねばならない。
何度目か、意識が遠のくのを自覚した時、やっと彼の努力は報われた。
報われたと思った、彼の目の前に現れたのは、タクヒールの不在を任された行政府の長と、行政官、駐留軍指揮官と、年若い防衛司令官だった。
そこで彼は初めて、ソリス男爵の不在を、遠き戦場に赴いている事を知り、これまで耐えてきた傷の痛みと疲労で卒倒しそうになった。
それでも、何とか最低限のことを伝えると、彼はとうとう疲労と痛みに抗しえず、意識を手放した。
「酷い手傷を負っていらっしゃるではないですか! 聖魔法士を直ぐこちらに呼んでくださいっ!」
倒れた衝撃で傷口が再び開き、エロールの衣服は鮮血に染まっていた。
クレアは、急ぎ彼に応急処置をする傍ら、本格的な手当を依頼した。
<3/10 追記:南西部辺境域 概略地図>
※フォーマットの都合上、実際のイメージより縦長になってしまっています。
<南>
帝国領 山山山山山
山 山山山山山山山山
山山 山山山
山山 山山
山山 山山山 山山 山山山
山 山山山山山山 山山
サザンゲート砦 竹
● 竹 魔境
竹
竹 竹竹竹竹
← 山 竹竹 竹竹竹竹竹竹
キリアス 山 テイグーン山
子爵領 山 川
| 川 ゴ
山 ヒヨリミ|ソリス 川 |
ハストブルグ 領 | 領 川| マ
辺境伯領 山 | 川 | ン
山 川川川川 | 領
<東> 川川川 | |
川川|-----------
川 | |
川 | コーネル領 | 他
川 | | 子
川 |-------- 爵
| 領
その他 | その他
子爵領 | 男爵領
<北> <西>
ご覧いただきありがとうございます。
次回は【間話6 我が名はエロール】を投稿予定です。
今回、エロールの行動などに、これまでとの違和感を感じられた方も多いと思います。
次回の間話は、エロールに焦点を当てていきます。
どうぞよろしくお願いいたします。