第百五十三話:残されし者の戦い⑤ 五の矢:帝国の介入
東の国境で戦端が開かれる少し前、グリフォニア帝国の帝都グリフィンを訪れる、怪しい影があった。
「殿下、この度は直々のお目通りが叶い、恐悦至極にございます」
薄気味悪い老人は、平伏して挨拶する。
「なあに、前回の戦では其方等の甘言に乗り、我らは散々煮え湯を飲まされたでな。
余自らの手で、そのしわがれ首を取り、死んでいった者たちの墓前に供える、そのための余興よ」
「ふぇふぇふぇっ、その様なご短慮では、折角の皇位継承の機会、みすみす失うことになりましょうぞ」
「言いたいことはそれだけか?
では、我が手にかかる栄誉、地獄まで持って行くが良かろう」
そう言って第一皇子は抜剣した。
「殿下、お待ちを!
討ち捨てる前に、こ奴の申し出を聞いてからでもよろしいでしょう」
部屋に居た、もう一人の男が慌てて立ち上がり、剣を振りかぶろうとしていた彼を制した。
「ハーリー、お前!
まぁ良かろう。貴様の寿命が少し伸びただけのこと。
俺の剣を止める程の進言があるなら、申してみよ!」
この老人、これまでのやり取りに全く動じていない。
それが第一皇子にとっては、不気味にすら思えた。
「まずはハーリー殿、ありがとうございます。
して殿下、今現在、殿下のお立場は非常に危ういもの、我らはそう考えております。
北はカイル王国との休戦協定により、貴方様は矛先を抑えられた形となっておりまする。
片や南、停滞していたスーラ公国との戦は、日増しに第三皇子の優勢で動いているのではないでしょうか?
このまま、座して時を過ごせば、近いうちに第三皇子の皇位継承は、確実となりましょうな」
「そんな事、言われずとも分かっておるわ! 余も対策を講じ、策を巡らしておるところよ」
「それはそれは……
南の戦場で、味方の背中から矢を射る対策ですかな?
その様な行いでは卑怯者の誹りを受け、例え第三皇子を屠ったとして、すんなり皇位継承が進みますかな?
ハーリー殿はその事をご存じだからこそ、殿下の刃を止められた、私めはそう思いまするが」
「くっ……」
第一皇子は痛いころを突かれ、言葉に詰まる。
「おそらくこの情報は、殿下の刃と同じ価値があるかと存じます。
間もなく、カイル王国南部一帯では、大規模な内乱が発生いたします。
参加する貴族の名は、こちらに記しております。
伯爵家を始め、数家の子爵家、男爵家と兵力は5千を超えます。
休戦に安堵しておる国境一帯の貴族共は、これらの決起に際し、さぞ慌てふためくことでしょうな。
そして、肝心の王都騎士団は、その時兵力の殆どを東側の国境戦に振り向けております」
「なっ、誠か!」
「はい、こちらは、決起する貴族たちが、殿下に忠誠を誓う誓書にございます。
イストリア皇王国は現在、西側の国境を侵攻するため3万の軍勢を整え、間もなく軍を向けるでしょう。
どうやら、帝国の皆さま方の休戦協定を知り、業を煮やしたようですな。
彼らは負けない事に徹した戦術を構築しております。
恐らく、いや確実に、国境での戦いはイストリア皇王国優位に進むでしょう。
そうなれば、殿下がこれまで苦労されてきたことに対し、漁夫の利を得るのは、誰となりますかな?」
「ハーリー公爵、これは由々しき事ではないかっ! 其方は奴らの動き、知っておったな?」
公爵は黙って頷いた。
「殿下は火中の栗を拾わずとも良いのです。
先ずはカイル王国との国境で成り行きを傍観される。
そして我らの段取りをご覧になり、勝機と見れば、国境から軍を進められれば良いことです。
反乱軍、いや、殿下に忠誠を尽くす者どもが、休戦協定を破り、国境を越えて偽りの侵攻を行いましょう。
殿下は事前にその情報を察知し、国境に兵を配した。
そして止む無く、休戦協定を破り、侵攻して来たカイル王国軍を撃退するため、国境を越えて軍を進める。
これで大義名分は立ちましょう。
彼らの忠誠にお応えする、そう記した親書を下されば、彼らも殿下の思いのままとなります。
その先にある戦いにも、きっとお役に立つでしょう」
「ふーむ……」
第一皇子は悩んだ。国境線を越えず、軍を展開するだけなら、問題はないであろう。
奴が国境を任せているのは、変わり者の若造で、しかも主力は歩兵中心で、たった5千名程度だ。
「なおこの反乱で、我ら共通の敵である国境防備の軍勢は、恐らく三千にも満たない数でしょうな。
ハストブルク辺境伯や旗下の貴族どもは、それぞれ後背から奇襲を受け、領地から身動きできんでしょう。
休戦協定を破った敵の軍勢を退け、帝国の安寧をもたらした者。国境に対する筈の敵貴族を配下に加え、カイル王国内に一大橋頭保を築かれた者。
これらの功績では、殿下が皇位継承者たる資格を示すのに足りませんかな?」
「……」
第一皇子グロリアスは瞑目する。
確かに、悪い話ではない。
賭けに出て自ら動かずとも、事態が決定的となるまで国境でただ傍観してれば良い話だ。
「良かろう、当面の間、其方の命は預け、国境の防備に当たるとしよう。
だが、腑に落ちん点がひとつだけある。
何故其方は、いやその貴族どもは自国に弓を引く? 余は信義のない者を信じることはできんでな」
「我らは……、遠き昔、初代カイル王に国を奪われた魔の民、氏族の末裔でございます。
かの国は、我ら魔の民の血を受け継ぐ者を蔑み、カイル王の血を引く者だけで国政を壟断しております。
国内に広がる同胞、魔の民の血を受け継ぐ魔法士は、王国では見世物扱いの道化者でございます。
最初にハーリー殿にお会いした際、我ら魔法士の権利を尊重いただく、そうお言葉を頂戴しました。
我らにとって、それが十分すぎる理由でございます」
「貴様ら魔法士も、余に忠誠を誓うと。そういうことだな?
そして余が、魔法士たちを解放する。その期待を受けておると」
「左様でございます。何卒、我らに救いを……」
「ハーリー、余は麾下の兵を率いて国境へ向かう。
其方は後詰の軍を手配せよ。
本格的に侵攻となれば、橋頭堡を維持するにも、一気に侵攻するにしろ、あと二万は欲しい。
休戦協定を破ったとなれば、帝都の軍勢を出す大義名分も立とう」
「承知しました。
先ずは軍を整え、殿下からの吉報をお待ちしております」
こうして、彼らは新たな密約を結び、準備を始めた。
ただお互いの目的だけのために。
『ふん、そんな古ぼけた復讐など、俺は信じん。
必要な時だけ利用し、必要が無くなれば信義のない者たちなど、使い捨てとしてやるわ。
前回の轍は踏まんよ』
第一皇子は心に思った言葉を飲み込み、彼らを信用はしない、ただ利用するだけだ。そう結論を出した。
※
そして時は再び元の流れに戻る。
東部国境でタクヒールたちが戦っているころ、不穏な情報に頭を悩ます男が、グリフォニア帝国の北辺境にいた。
「うーん……、やっぱりこれ、どちらも何かあるな。情報から見た、物資の動きが普通じゃないし」
彼は、カイル王国との休戦を利用し、国境を越えて商いをする商人の活動を活発化させるため、商人たちを様々な施策で優遇し、保護にも努めていた。
そして、彼自身もその流通網に乗り、交易によって収益を確保し、第三皇子の陣営に貢献する段取りを組んでいた。
捕虜返還時に、その対価の一部を莫大な量の砂糖に変えたのには、彼なりに隠れた思惑があった。
大量の砂糖をただ同然で手に入れたカイル王国では、当然の事ながら一時的に砂糖の価格が暴落した。
その影響で、王国内では砂糖を使用した菓子類が、以前と比較するとかなり安価で、一気に世に出ることになった。
一度その味を知ってしまえば、次もまた欲しくなる。
それは人としての業であり、甘味の誘惑に抗えず、通常価格に戻った後も、味を知り、魅了された者たちは高価な買い物を続ける事になる。
事態は彼の思惑通り進んだ。
彼は流行の切っ掛けと商流を作り、その後、砂糖の流通を支配した。
南の国境にいる第三皇子が、支配領域を広げる過程で接収された砂糖、安価で現地購入された砂糖などが、彼の元には大量に送られてきている。
そして彼は、北の国境でそれらの大量の砂糖を、巧妙に商人に卸していた。
彼の提案により帝国内における砂糖の仕入れを、第三皇子の直営事業としたため、そもそも競合はいない。
商人たちは、こぞって彼から砂糖を仕入れ、カイル王国など、国境を超えた各地域で販売した。
帝国の北側国境で仕入れ、カイル王国や、その他諸外国に輸送するだけで砂糖は高値で売れる。
わざわざ交戦状態にある産地に、危険を冒して買い付けに行く必要もなく、遠路輸送する必要もない。
商人たちは、リスクの少ない儲け話に飛びついた。
ジークハルトは、商人達に卸す砂糖を、正当な価格で販売しても、十分な利益を乗せる事ができた。
その結果彼は、第三皇子に送る戦費と、商人たちの歓心、この2つを手に入れていた。
商人達は彼の歓心を得るため、情報という副産物を彼にもたらした。
こうして彼は、事前に考えていた思惑通り、流通の情報を諜報活動の一環として活用し、遠き地で起こる動きも、流通から把握することができていた。
「帝都も嫌な動きだし、超過労働はしたくないなぁ。
まして、皇位継承候補の皇子に手を掛けた、そんな事を言われて恨みを買い、粛清されるのはもっと御免被りたいし……」
そう言って、彼は国境一帯の両国の地図をじっくり見ると、再び呟いた。
「あまりやりたく無いけど……、この戦術なら誰も傷付ける事なく、第一皇子の足を引っ張れるかな?
ねぇ、ちょっと!
悪いけど主要な商人たちと、領民の代表たちを至急集めて」
そう副官に伝えると、また地図に向かいブツブツと独り言を始めた。
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次回は【窮鳥入懐】を投稿予定です。(3月以降当面の間、隔日投稿となります)
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