第百四十二話:東部国境戦⑥ 闇の蠢動
※※※ 開戦三日目
「何だとっ? そんな馬鹿げたことがあるかっ。お主らは寝ぼけておるのかっ!」
早朝にも関わらず、前線に配置した防塞より火急の報せを受け、心地よい眠りを妨げられたイストリア皇王国侵攻軍総司令官、カストロ枢機卿は機嫌がすこぶる悪かった。
何事か! そう思って飛び起きて使者と面会すると、余りに馬鹿げた報告の内容に、彼は激怒した。
「そんなもの、ただの見せ掛けに過ぎんわ!
後ほど神の御使い(風魔法士)を前線に派遣する。
神の御技(遠矢)で、敵の防塞など一気に粉砕してくれるわっ!」
使者は枢機卿の怒りに触れ、恐縮して、その場を後にした。
「やっと、ここまで登り詰めたのだ。こんな所で躓いてたまるかっ!」
カストロ枢機卿は一人呟いた。
※
イストリア皇王国は、国内にあった教会が、100年ほど前に国の支配権を国王から乗っ取り成立した国だ。
そのため、教会の最上位たる教皇が皇王として玉座にある。
その下に大司教が各大臣の役職を占め、枢機卿はそれに次ぐ地位となっている。
カストロ枢機卿は、かつては友好国だった隣国、カイル王国の王女が輿入れすると共に移設され、大きく繫栄した教会、それを代々受け継ぐ末裔だった。
そのため、彼自身、いくばくかはカイル王国の民の血も受け継いでいることだろう。
だが彼は、その血を呪った。
何故なら、彼の教会は王家の衰退とともに落ちぶれ、彼が先祖の教会を受け継ぎ、若き司教となった時点では、異端の宗派として蔑まれ、イストリア皇王国の教会の中では、末端の貧しい教会となっていたからだ。
そんな彼にも、10数年前に転機が訪れた。
彼を訪ねてきた、胡散臭げな老人の提案により、彼は代々受け継ぎ、守られていた秘事を皇王国に売った。
魔法士の秘密を知った皇王は非常に喜び、彼に対し、異例の大抜擢を行い、大量の資金を投じた。
そして彼に、魔法士の発掘を使命として与えた。
彼は大量の資金で、密かにカイル王国より触媒を買い集めようとした。
だが、カイル王国側も、王族を追いやり国の中枢を乗っ取った、皇王国とその教会を快く思っていない。
そのため彼は、魔法士発掘に不可欠な触媒を、正規のルートや値段では購入できなかった。
カストロは、怪しげな商人達がかき集めた、市場の数倍と高価な闇ルート品を、入手せざるを得なかった。
彼は風聞や伝承を元に、適性者に当たりを付け、言ってみれば手当たり次第、適性確認を推し進めた。
そして、彼の強引なまでの努力は報われることとなった。
莫大な資金を投じた結果、イストリア皇王国は、これまでに9名の魔法士を得ることができ、彼は枢機卿へと昇進した。
皇王始め教会は、多額の対価で得られた魔法士に狂喜し、神の御使い、そう呼んで神聖化し祭りあげた。
今のイストリア皇王国に住まう人々にとって、皇王や教会関係者の発言は絶対である。
更に、魔法士の行使する魔法は、神の御技として、皇王と教義の権威を強化するために使用された。
そのため人々は、神の御使いも、信仰の対象として崇拝しており、イストリア皇王国で魔法士は特別な存在だった。
だが、順調に見えた彼の魔法士発掘も、ここ数年で頭打ちとなった。
カストロ枢機卿は、その責任をカイル王国に転嫁し、自身の地位の保全と、今後、更に魔法士を発掘するための戦略とした。
「御使いを我らが神の元に!
我らにこそ、神の恩寵があって然るべきではないか?
カイル王国に比べ、皇王国で適性を確認できる確率が低いのは、王国が人材を独占しているからだ!
カイル王国に比べ、皇王国で適性確認にかかる費用が高いのは、王国が触媒を独占しているからだ!
人材と魔境をイストリア皇王国の手に取り戻し、再び我らに神の栄光を取り戻すのだ!」
こうした彼の発言は、イストリア皇王国の教会にも認められ、彼は、対カイル王国強硬派の先兵となった。
※
「朝から何やら騒々しいですな。いかがなされた?」
カストロ枢機卿は、突然彼の部屋を訪問してきた老人に対し、無礼を咎めるどころか、慌てて跪きその老人を迎えた。
「いや、老師、前線の兵が寝ぼけた事を申しまして……、お見苦しい所をお見せいたしました」
「いやいや、今回もお主の活躍が見たくてな、こちらに来たわけじゃが……、カイル王国でもお主と同様に、魔法士を戦に活用しておる小僧がおっての。
此度の戦、其方も留意なさるがよろしかろう」
「老師、それは誠ですか? そのような者が王国に?
彼らは、魔法士の価値も気付かぬ愚か者、そう思っておりましたが」
「ああ、誠じゃ。先年、グリフォニア帝国が無様に敗退したのも、その者の仕業と言われておるわ。
今回も、少数ながら魔法士を連れ、従軍しておると聞く。用心されるに、越したことはなかろう」
「ご忠言、ありがとうございます。
いつもながらの、老師の情報網と神出鬼没ぶりには、驚かされます」
「いやいや、儂の用件はそれだけじゃ。
では、其方の活躍を期待して待っておるからの」
「はっ! 老師のお心に添えるよう努力致します。
ん? 老師? 老師はいずこに?」
老師と呼ばれた男は、言いたいことを伝え終わると、いつの間にか姿を消していた。
そう、枢機卿が老師と呼び、敬っている者こそ、10数年前に彼を訪れた、胡散臭げな老人だ。
枢機卿は、この老人の提案に従い、現在の地位まで上り詰めた。そう言っても過言ではない。
『いずれ、カイル王国の玉座を手に入れられよ』
そう老師が、背中を押してくれたお陰で、彼の野望は大きくなり、今も実現のための階梯を歩んでいる。
「誰かっ! 誰かおらぬか?
これより、神の御使いを伴い前線に出る。すぐ準備しろっ!」
カストロ枢機卿は、砦内で大きな声を上げた。
※
カストロ枢機卿が出立の準備をしているころ、砦内の薄暗い一室では、椅子に座る老人の前に、跪き礼を取る男がいた。
「御前、わざわざイストリア皇王国までのお運び、誠にありがとうございます」
「なに、遠きこの地で、我らが大望のため潜入した其方にも、労いの言葉でも掛けたくてな」
この御前と呼ばれた老人は、先ほど枢機卿から老師、そう呼ばれていた男だ。
そして彼は、かつてヒヨリミ子爵領に出没し、グリフォニア帝国へ使者として往来していた、怪しげな老人と同一人物である。
「御前のお心遣い、痛み入ります。
今のところ、カストロ枢機卿は、我らの良いように踊っております。自ら望んで……」
「そうじゃな、南と比べ、東は順調そうで何よりじゃ。聖なる一族は、簡単に闇に惹かれるでな。
魔法士になるまでには至らんが、奴にも聖魔法士の一族の血が流れておる。それ故、事は簡単じゃろう」
「相克と呼ばれるものですな。
して、南は……、如何でございましょうか?」
「ヒヨリミの奴め、せっかく我らがお膳立てしてやっておるにも関わらず、悉く裏目に出ておる。
これでは我らが何のために、ここ20年に渡って、奴の障害となる者共を、始末してきたか分らぬわっ」
「それは……、ゴーマン家、前エストール領主などですな?」
「左様、比類なき結束と強さを誇ったゴーマン3兄弟も、長兄を戦場で排除し、次兄も我らの手で斃れた。
残った末弟も、我が手の者の傀儡としておったのだがな……、最近は、かつての勢いを取り戻しつつある。
目障りなエストールの地も、大器と呼び声の高かった男爵を、戦場にて一族まとめて屠り、後にはいずれ潰れるであろう、どこぞの馬の骨を据えた筈だったのだがな……」
「噂に聞く、光の使い手ですか?」
「ああ、奴の息子に光の氏族の末裔が出るとは、思ってもおらなんだわ。
途中まで、奴の領地への工作も順調で、我らが予想した通り、凋落の一途を辿るはずじゃった。
闇の氏族の秘儀により、かの領地は、その運気も途絶え、成就までもう一歩の所まで来ておった。
予想外だった光の使い手も、我らの謀り事によって、ついでに排除できる、その一歩手前まで来ておった。
光は、戦場の露と消え地に堕ちる筈じゃったが……」
「光の氏族とは、左様に警戒せねばならんものでしょうか?」
「古より、12氏族を支配しておった我らにも、氏族間で天敵はおったからな。
光と重力じゃな。
そなたも、我が地位を受け継ぐ候補者のひとりとして、この先、心に留め置くが良かろう。
光は闇を祓う。相克と言うべきであろうな。
我らの永年の努力により、光の氏族を司どる直系を滅ぼすことは成功した。だが、未だにその血は完全に消えておらん。
限られた数ではあるが、傍流として光の血統魔法を受け継ぐ貴族もおるでな。
ただ、直系が消えた今、奴らは正しい光魔法の使い方を知らん。その間に何としても潰さねばならん」
「光については理解できるのですが、重力魔法士を恐れる必要があるのでしょうか? 私にはとても……」
「もちろんじゃ! あれは単に物の重さを弄る魔法、そんな簡単なものではないわ!
闇の洗礼を受け、闇の住人となった我らは、ただの闇魔法士とは大きく異なり、強く闇に惹かれる。
闇というのは、深く関われば関わるほど、闇の中に囚われることにもなるでな。
重力魔法士を警戒せねばならん理由、それは奴らが、闇に囚われた者が抱えるもの、闇自体の重ささえ変えることができるからじゃ。
成長した使い手は、遅かれ早かれ、いずれその事に気付く。
そうなると、我らがいかに隠蔽しようと、奴らは我らの闇を見破り、攻撃することができる。
一度奴らに、深き闇の井戸の底に落とされれば、我らは闇の底から這い出ることができず、生きる屍となり果てる……」
「なんですと! それは由々しきことです……」
「幸いにも、500年の永きに渡る我らの努力で、重力魔法士として血統を継ぐ貴族も全て途絶えた。
12氏族としての力は失われ、今は力を受け継ぐ魔の民の血も、王国から失われたと言っても過言ではない。
その点、儂も少し安堵しておるがな」
「なるほど。ご教示痛み入ります。
今後我らも、その2属性には特に目を光らせまする。
所で、話は戻りますが、今後南は如何なさるおつもりで?」
「これ以上失態を繰り返せば、奴は我らに見限られ、宿木としての価値を失うだろうな。
奴め、すっかり自身を闇の氏族の盟主とでも感違いしておるわ。奴自身が宿木だとも知らずにな。
今も、壮大な計画を立て、陰謀に勤しんでおるわ。
儂もその計略のため、帝国まで足を伸ばして来た帰りに、此方に足を運んだのだがな。
ここまでお膳立てしてやってもなお、奴が再び、しくじるような事でもあれば、消えてもらう。
宿木は奴の長男にその役目を移行するもよし、新たな種が芽吹けば、そちらを新しい宿主としても良い」
「そうですな。南が予想以上に手間取っている今、念のため用意した東が、代わってその役目を果たす。
そういう訳ですな?」
「そう卑下せずとも良い。手は事前に何通りも打っておくもの。主攻が一方向からとは限らんでな。
お主の働きにも、期待しておるでの」
「お言葉ありがとうございます。ご期待に沿い、大任を果たすよう努力いたします。
そして、枢機卿が甘い夢を見てカイル王国を滅ぼした後、我らが鬨の声を上げ、再び魔の民を糾合する。
かの国を、かつてあった通りの、闇の氏族の支配下といたしましょう」
「期待しておるぞ。
さて、後は其方に任せて、儂は戻るとするかの」
そう言うと、老人はいつの間にか姿を消していた。
「御前の隠行は、いつ見ても惚れ惚れするな。もはや気配すら感じられぬわ」
そう言って、残された男もまた、別室へと消えていった。
ご覧いただきありがとうございます。
次回は【秘策対秘策】を明日投稿予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。
※※※お礼※※※
皆さまの温かいお声をいただきながら、ある程度予約投稿のストックも蓄積できました。
第百三十話以降ストーリーの展開も早く、それに合わせ2月一杯は毎日投稿を復活させて頑張りたいと思っています。
ブックマークやいいね、評価をいただいた皆さま、本当にありがとうございます。
凄く嬉しいです。
毎日物語を作る励みになり、投稿や改稿を頑張っています。
誤字のご指摘もありがとうございます。いつも感謝のしながら反映しています。
本来は個別にお礼したいところ、こちらでの御礼となり、失礼いたします。
また感想やご指摘もありがとうございます。
お返事やお礼が追いついていませんが、全て目を通し、改善点や説明不足の改善など、参考にさせていただいております。
今後も感謝の気持ちを忘れずに、投稿頑張りますのでどうぞよろしくお願いします。