第百十六話(カイル歴508年:15歳)特命 疫病対策
対外諜報と対をなす、もう一つの【特命】は、全聖魔法士に与えていた。
1年後の冬に発生し、エストール領全土に猛威を振るう疫病。この対策と対応の準備を進めることだ。
マリアンヌ、ローザ、他4名の聖魔法士たち全員に、過去にあった疫病と、病状、その際の治療法などを調べさせている。
正直、俺には医学の知識は全くない。
ただ、【前回の歴史】では、俺も家族を始め多くの病人を見てきた。
発症すると高熱が続き、体力が奪われ脱水症状に似た状態になり、徐々に衰弱してゆき、体力や抵抗力の弱い、老人や子供を中心に多くの者が亡くなっていた。
ヒトからヒトへ、感染は拡大していったが、空気感染なのか、飛沫感染なのかは分からない。
ただ、インフルエンザのように、家族の誰かが感染すると、同居する周りの者も次々と感染していった。
だが、妹の時も、身近な者では俺とアンは感染しなかった。
施療院でもローザは無事だった。
その理由は今も分からないが……
今の俺たちにできることは限られている。
抗生物質や、細菌対策ができないなか、めぼしい治療法は殆どない。
そのため、第一に発生原因を極力抑えること。
そして、感染拡大を抑えること。
病人の体力低下を防ぐこと。
まずはここから手を付けようと考えている。
〇安全な上水道(飲料水)の確保
これは既にできている。だが、疫病発生時には生水は飲まない。これを徹底させる。
〇汚水の流れる下水道の整備
街づくりで最も気を付けた点だ。そして、牡蠣殻を使った下水の浄化や、定期的な清掃、下水道でのネズミや虫などの駆除も行っている。その他にも火魔法士や風魔法士の活用も考えている。
〇消毒の徹底
これは、3つの試みを実施している。
一つ目は、石鹸の大量生産だ。
この世界にも石鹸はある。だが高級品で庶民が日頃手洗いなどに使えるものではない。
しかも製法と流通が独占されており、他国からの輸入品となっている。
一般の人々は、無患子の実に似たようなものを使っている。
この木は、王国各所で栽培されており、洗剤として活用されているが、そうそう余剰がある訳ではない。
そのため、食用オイルと牛脂、灰汁と雨水で石鹸の制作実験を行ってもらっている。
【前々回】の時に、趣味で手作りの石鹸を作ること、それを手伝わされたことがあり、なんとなく必要な素材は分かっているが、分量などの数値は記憶に残っていない。
この試みは、秘匿事項として聖魔法士たちだけで、日々試行錯誤で試してもらっている。
二つ目は、これも最重要秘匿事項だ。
俺も、【ニシダ】がニュースで見ただけの知識なので、実現できるか不明だ。
この実験と農業用、その他目的の素材の確保に、バルトとカウルには、特命から帰還後に、何度か隣国の海辺の町へと往復してもらっている。
そして、集めた素材を処理し、何度も試行錯誤と実験を繰り返す、今はその段階だ。
あと、工房のカール親方には、原理を説明した上で、ある物を作ってもらっている。
三つめは、うがいの習慣化だった。
そもそもうがいの習慣がない人たちに、導入するのは骨が折れたが、水うがいで練習してもらい、疫病発生時には塩うがいに移行する予定だ。
〇隔離施設の準備
テイグーン一帯では、既に隔離用の病院を建設している。これにより感染の拡大を極力抑え、適切な治療(といっても対症療法)を受けれるように準備している。
〇その他感染防止対策
病人の衣類の対処、マスクもどきなど【この世界】でもできる飛沫対策など、できることを準備する予定だ。
〇対応マニュアルの準備
疫病の発生がテイグーンだけとは限らない。
いざとなれば母や家宰から、領内に展開してもらうマニュアルも作っていく予定だ。
これには、移動制限の徹底も入れていく予定だ。
〇その他対応
他にもいくつか試したいことがある。
ひとつは、バルト達が帰ってきた成果、それを使用する予定だったが、それは空振りに終わった。
だが、捕虜返還時にそれは解決した。
もうひとつは、聖魔法の実験だった。
疫病以外でも、風邪などの恐らくウイルスに起因する病気は都度発生している。
その病人に対し、聖魔法での効果を試したうえで、結果を積み上げてもらっている。
他にできることがないだろうか?
この件については、俺は行き詰っていた。
※
そしてある日、ローザが俺の所を訪ねてきた。
「ローザが折り入って相談があるとのことです。是非聞いてあげてくださいな」
前夜、クレアからその件について、前振りがあった。
「あの……、お忙しい時に申し訳ありません。ちょっと出過ぎた事かも知れないのですが……」
「気にしないでいいよ。何かあったかな? いつも通り、遠慮なく話してくれると嬉しいよ」
ローザは何か思い詰めたような顔をして、いつもと様子が違う。
「ありがとうございます。
ずっと以前、エストのお館で医学の勉強をさせていただいた時に、聞いた話なのですが……」
「うん、遠慮なくね」
「はい、その時に先生から、王都には医術を学ぶ専門機関があると聞いていました。
そこには、過去の病気に関する文献や資料、症例の情報も沢山あるらしくて……
ただ、そこの学生にならないと閲覧はできないのですが、今の調査に役にたつんじゃないかと思って」
「!」
「ただ……、学生になるには、しっかりした人の推薦と、その……、学費が凄く高いらしくて」
「ローザは、そこで学びたい?」
「私などが……、良いのでしょうか? でも、どれだけ集めても学費が足らなくて……」
「学費は気にしなくていいよ。で、推薦は俺でも大丈夫なのかな?」
「学費は必ず、働いていつかお返しします。
その時、先生が言っていたのは、大きな教会の神父さんが一番良いと話してました」
そっか、施療院と教会は密接な関係があるもんなぁ。
領地によっては、教会が運営したりもしてるし。
グレース神父なら中央にも通じてるだろうし、適任かもしれない。
学費については、聖魔法士のなかで自分だけ学校に、そんな遠慮もあるのかも知れない。
「よし! じゃあ領主としてお願いします。
王都にて医術を学び、今の調査を行うこと。
それに加え、将来はソリス男爵家の専属医師を目指して学ぶこと。
この任務をローザにお願いします」
ローザの顔はまだ晴れていない。
恐らく自分だけ、と申し訳ない気持ちもあるのだろう。
「あと、ローザが戻ってきてからになるけど、聖魔法士は希望するものは全員、交代で王都に学びに行く機会を与えます。もちろんソリス男爵家(俺)が、全員の費用を負担します」
ローザの顔が一気に明るくなった。
王都行きのメンバーが1人増えることになった。
きっとクレアがローザの相談にのり、背中を押してあげたんだろうなぁ。そう思った。
※
ローザが俺を訪ねてきた翌日、早速俺はアンを伴って、テイグーンの教会を訪ねた。
もちろん、その前に行政府の金庫から例のものを調達している。
「これはこれは、タクヒールさま、ようこそお越しくださいました。
今日はどのようなご用件でしょうか?」
俺が直接教会を訪れること、それは即ち、お金に繋がる。
一年ちょっと、魔法士の適性確認は行っていなかったので、グレース神父は満面の笑みで応対してくる。
「今日はグレース神父に、ご相談したいことがありまして、訪ねさせていただきました。
先ずは、この機会に神への喜捨を持参したので、お納めください」
そう言って、金貨100枚が詰まった袋を差し出した。
「いつもながら、タクヒールさまの信仰の深さ、きっと神にも届いていることでしょう。
して、ご相談とはどういった事でしょうか?」
この人は、ある意味わかりやすい。
なので凄く助かる。
「はい、グレース神父だけはご存じですが、こちらには多くの聖魔法士がおります。
このテイグーンも大きくなりました。この機会に彼らに本格的に医術を学ぶ機会を与え、将来は施療院だけでなく、教会でも医療を提供できれば……、そう考えております。
先ずは施療院が優先になりますが」
「なるほど、それは良いお考えだと思います」
「それで、王都にて本格的に医術を学ばせたいのですが、私には伝手もなく、グレース神父なら色々とご存じかと思いまして、お知恵を拝借したいと訪ねて参りました」
「王都の医術学校ですね。なるほど……
かの学校の運営は、教会が行っております。教会からの推薦が一番近道と思われます。
ただ……、聖魔法士であることは隠して、ですよね?」
「さすがはグレース神父、我が領地の安全を考慮いただいているのですね!」
「もちろんです!
聖魔法士であれば、神父である私の推薦でも確実ですが、それを隠してとなると、司祭クラスの推薦が望ましいでしょうなぁ。ただ……」
はい、承知しています。諸経費が要るんですよね?
俺は心の中でそう呟いた。
「なるほど。では王都に滞在する兄を通じて、王都の司祭に推薦をお願いすれば良いという事ですね?」
「あ、いや、それは……」
「もうお聞き及びかも知れませんが、私もこの秋から王都の学園に通う事になりまして。できれば王都でも教会の窓口が欲しいと思っていたのですよ」
「そ、そうですか。そういったご事情なら、私どももお力になれると思います。
過去の経緯もあります。信の置ける相手、これは非常に大事だと思いますので」
「本当ですかっ! グレース神父のご紹介なら、安心できますねっ!
些少で大変恐縮なのですが、こちらでご紹介と推薦の件、お任せすることは可能ですか?」
アンに目配せをして、2袋目を差し出した。
「もっ、もちょろんですっ! お任せください」
……神父、噛んでますよ。嬉しいのは分かるけど。
こうしてローザの王都行きが確定した。
ご覧いただきありがとうございます。
次回は【出発前夜】を投稿予定です。どうぞよろしくお願いいたします。
※※※お詫び※※※
第百十五話まで、毎日投稿を続けて参りましたが、執筆済の次話が10話分を切ってしまいました。
当面の間、隔日投稿となる旨、ご容赦ください。
20話分までストックできたら、毎日投稿に戻す予定です。
それまでどうぞよろしくお願いいたします。
※※※
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