第百十三話(カイル歴507年:14歳)南方見聞録
国王一行がテイグーンから発ったあと、グリフォニア帝国への諜報に出ていたバルト一行が帰還した。
「申し訳ありません!」
一番にバルトが平伏し謝罪してきた時には、何事かと驚いた。
どうやら、帝国南部一帯で、大規模な砂糖の買い占めが行われており、依頼していた買い付けに失敗したようだった。
ただ、サトウキビ自体はそれなりの数を持ち帰っていたので、それで良しとした。
基本的にサトウキビは熱帯、亜熱帯で栽培される作物だが、日本でいえば関東地方ぐらいの気候であれば冬の工夫さえすれば、なんとか栽培できると聞いたことがある。
実際、栽培されていた実績もあるらしい。
以前にも触れたが、【ニシダ】は過去に豪州北部の亜熱帯に近い場所に住んでいた経験があった。
その地域では、サトウキビ栽培が盛んで、辺り一面に広がる広大なサトウキビ畑も、見慣れた光景だった。
それもあり、なんとなく、栽培方法も覚えている。
カイル王国でも、最も南に位置する辺境の地、テイグーンなら、おそらく何とかなるのではないか?
豊かな土壌と、日当たりのよい場所、豊富な水、これらの条件を満たす、魔境側の建築中の砦近辺で栽培を始めることにした。
上手くいけば、砂糖と蜂蜜、どちらもカイル王国では貴重な甘味の原料となる。
高級嗜好品の産品を握り、テイグーン一帯の産業として定着すれば、貴重な収入源ともなるだろう。
期待にかなり胸が膨らんだ。
「稲とは、こちらでよろしいでしょうか?」
持ち帰られた成果に、俺は歓喜した。
中身は見慣れた米とは少し違うが、稲穂はそっくりだった。
「こちらを入手する際、マスルールの貢献が凄く大きかったです。彼が居てくれたことで、農家からの入手や栽培方法の確認も、非常に円滑に運びました」
そう、今回の旅は、バルトとラファール、そして現地案内人としてマスルールが同行していた。
彼は、帝国の南国境地域の出身で、地理にも詳しい。
実際、商隊に同行していたとはいえ、慣れぬ帝国領を旅するにあたり、彼の貢献は非常に大きかったそうだ。
稲作も、サトウキビと同様、魔境側の砦付近で行う予定だ。
あそこであれば、十分な水量もあるし、日当たりも十分だ。
マスルールが聞き取りを行った栽培方法に加え、【ニシダ】が毎週日曜日に、好んで見ていた番組で、毎年取り組んでいた稲作の知識も、朧げにある。
気候さえ合えば、何とかなるかも知れない。
長年の望みが叶うかもしれない。
米のご飯への期待に、俺は心躍る気持ちだった。
※
その後、行政府で主要メンバー(各部門責任者)を集め、収集した情報の共有が行われた。
バルトが中心になって話を進める。
「まず第一に、帝国を初めて見て、国力の違いを実感しました。
中心となるいくつかの都市は、王都カイラールより遥かに大きく、人口も上と思われます。
また、国土も広く、国としての地力が違うと、改めて危機感を覚えました」
もちろん、正確な地図や測量技術がある訳ではないが、商人達の情報により、移動時間からの逆算で、帝国はカイル王国の倍近い国土があると認識されている。
「ただ、帝国には魔境がありません。
それだけが理由とは思えませんが、魔法士も極端に少ないそうで、戦場で活用してくる事はまず無いと感じました。
都市を外れると、広大な牧草地も多く、多くの馬が育てられておりました。
あれを見ただけで、帝国の騎馬隊や、鉄騎兵団が充実していること、窺い知ることができます」
「ゴート辺境伯の領地はどうなっているかな?」
「こちらは、ラファールが詳しく調べておりますので、報告を代わります」
「ゴート辺境伯の領地は、一言でいえば荒れております。
2度の戦役で多くの兵を失い、当面は立ち直れない状況と思っておりましたが、何らかの事情で帝国直轄領となり、今は第三皇子の軍、およそ5,000名が、少ないながら駐留しております。
帝国内の噂話ですが、第三皇子の軍は精強で、第一皇子の親衛軍にも勝ると言われており、数だけで判断はできないと思われます」
俺にとっては、第三皇子の軍が国境にいる、それだけで非常に不安な話だ。
【前回の歴史】の悪夢が頭をよぎった。
「それにも増して、一番の懸念事項は、この軍を指揮し、第三皇子より代官として統治を任されている男の存在です。
彼は、先年の戦の最終局面で、僅か2,000名の軍勢で、第一皇子の撤退を助けた、あの軍を率いていた者のようです。
彼の赴任以降、急速に領内の治安は安定し、領民の持つ力も回復傾向にあるようです」
そっか、やはり……
あの時の指揮官が出てきたか。
予想の中で、一番悪いパターンだ。
「あれだけの指揮能力を持つ者が、5,000の軍勢を率いるとなると、侮れません。
辺境騎士団の総数を合わせても、彼の率いる軍勢に届かないのですから……」
団長も危機感を露わにした。
「指揮官の名前は分かるかな?」
「ジークハルト・フォー・ケンプファー男爵です。
もともと彼は、アストレイ伯爵の一族で、その、非常に変わり者として有名だったようです。
伯爵の領地でも、評判はあまり良くなく、放蕩息子などと呼ばれていたそうです。
今年に入って、何故か彼は敗戦の責を負う形で、牢に入れられておりましたが、第三皇子により救い出されたとのことです。
第三皇子の信を受け、今は参謀を兼任する前線指揮官として、手腕を振るっているとの事でした」
まずいな。俺は真剣に頭を抱えた。
彼が大軍を率いて、テイグーンに攻め込めば、【前回の歴史】の二の舞になりかねない。
今は対策を整える時間が欲しい。切にそう思った。
「ブラッドリー侯爵の領地の様子はどうだい?」
「こちらも、状況としてはゴート辺境伯領の状況に似ております。
当主を失い、率いた軍も全滅に近い損失を出したことで、侯爵家は廃絶となりました。
侯爵領は帝国の直轄領に組み込まれましたが、ゴート辺境伯領との違いは、駐留する軍も少なく、優れた者が統治にあたっている訳でもない様です。
残された家族の安否に、捕虜たちも、心を痛めているのではないかと思われます」
「手紙や仕送りは無事手元に届いたのかな?」
「はい、我らが直接立ち入る訳にはいきませんでしたが、今回の便はほぼ確実に行き渡った、そう考えて良いかと思われます」
俺は、少しだけ安堵した。
この先、帝国との休戦協定が現実のものとなれば、家族を呼び寄せたい、そう願っている者たちの望みは叶えてやりたかった。
「で、南の国境付近と、皇位継承の状況で、得ることができた情報はあったかな?」
「はい、こちらはラファールに代わり私から」
再びバルトが話を始めた。
「南の街は、出入りも厳重に管理されていて、伝手のある商人しか、行き来できないほど、厳重に警戒されておりました。
想像ですが、我々のような他国の間諜より、国内の間諜を警戒しているものと思われます。
聞いた話という前提ですが、軍律は厳しく保たれており、街はそれなりに活気があるようでした。
かの地での第三皇子の人気も高いようで、強力な地盤が形成されていると思われます。
唯一、街の中に潜入できたマスルールの言葉も、それと同様でした。
南の街には、概算ですが3万を超える兵力が集結しているようです。
今も国境を越えた先の街を巡り、スーラ公国と激しく争っているようですが、形勢的には第三皇子の軍がやや有利、そんな状況らしいです」
「では、まだ近いうちに、スーラ公国との戦闘が終結することはないと考えて良いのだろうか?」
「はい、一時期は相当優勢でしたが、今は少し押し戻されて、いや、第三皇子側が戦線を縮小した様です。
もしかすると、前方の敵より、背後の敵を警戒しているのかも知れません。
皇位継承については残念ながら、商人たちの噂程度、断片的な情報しか入手できておりません。
第一皇子は、一旦中央に戻り、軍の再編を推し進めているらしいです。
火中の栗を第三皇子に拾わせ、その背中を虎視眈々と狙っている、そんな噂が流れております。
商人たちも今は、どちらに付くべきか、頭を悩ませているようでした」
なるほど、帝国内部が割れていること、それはカイル王国にとって幸いなことだ。
もう少しこのまま、帝国内で危険な均衡を保って欲しい、そう切に願った。
「それと、今回の調査とは関係ないことなのですが、ひとつよろしいでしょうか?」
「バルト、遠慮なくどうぞ」
「今回の旅で、マスルールと共に過ごし、分かったことがいくつかありました。
先ず彼は有能です。地の利があるとはいえ、彼の機転に助けられたことが何度もありました。
そして彼は信用できます。敵地のなか、彼に異心あれば私たちは直ちに捕らえられていたでしょう。
恩には恩で返す。彼のそういった思いは、十分に感じることができました。
そして最後に、彼には地魔法士、またはそれに類する適性があるように思えます。
彼と話していて、昔から大地の声が聞こえる、山の声が聞こえる、そんな事が何度もあったそうです。
魔境側の断崖も、山の声に従って登った結果、滑落しなかった。そんな事を言っておりました。
魔法士として、今後仲間とすることができれば、心強いと感じました。
出過ぎた事を申して、恐縮ですが……」
以前にも彼の為人については、ミザリーも何か言ってたよなぁ。
一度彼と話して、魔法士適性の儀式を受けさせてもいいかな。
最近、ずっと教会を利用してないから、グレース神父もそわそわしてるし。
ご覧いただきありがとうございます。
次回は【休戦協定締結】を投稿予定です。どうぞよろしくお願いいたします。
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