第百一話(カイル歴507年:14歳)魔境視察①
魔境、それは国境に峻険な峰々を連ねる、大山脈の裾野に広がる広大な森林(大森林)を指す。
その大森林は、大山脈の麓から各辺境領に向かい、20キル(≒km)から40キル(≒km)の幅で麓に沿って伸び、その領域は人外の地として、人が立ち入るのを拒み続けている。
唯一、サザンゲート平原だけが、その切れ目として荒涼とした大地が広がり、国境として通行が可能だ。
魔境はその平原から両翼を伸ばす様に、東と西に広がっている。
そして、魔境と人の住まう地域の境界には、帯状に竹林が広がり、その境界線として存在する。
魔境の境として、限られた目的で、ごく少数の人が移動する領域は、その竹林と各辺境領の端を縫って、細長く伸びる空白地帯だ。
細長い魔境の境は、時に竹林と交わり、魔物が出現することもある、危険地帯として。
通常、この境を超えて竹林に足を踏み入れるもの、竹林の先にある森林に足を踏み入れる者はいない。
「魔境に出るなど、失礼ながら100年早いです!
ご自身を守る力が無くては主命といえど許可しません!」
以前、団長に一刀両断された言葉だった。
その当時、俺の剣の腕はやっと【剣士】になったばかり。
これでは魔物と相対しても、自らの身を守れるとは言い難い。
身体も成長し、団長のしごきや、アンの手ほどきを受けていた俺は、やっと最近【猛者】のレベルに達した。
「まぁ……、ひよっこですが、よろしいでしょう。常に傭兵団の精鋭と同行するなら、許可します」
そして、最近になって、やっと団長の許可が下りた。
正直、今の魔境や竹林、そしてその手前の境界部分では、魔物に対する危険度は格段に上がっている。
先の戦役で人の血を覚えた魔物も多く、人の住む領地内へと侵入を図る事例が度々報告されている。
商人からの噂程度の話として、詳細は不明だが、ヒヨリミ領は大変な混乱だと聞いている。
魔境に近い村がいくつか襲撃され、多くの犠牲者が出たうえ、村人たちは村を捨てて避難したそうだ。
領内に防衛線を引き、何とかそれ以上は、魔物の侵入を防いでいる。そんな感じだそうだ。
幸いソリス子爵領については、テイグーンの隘路で撃退できていること、その他、テイグーンより東の侵入経路も、父の差配で実践訓練と調査を兼ねた先遣隊の派遣、討伐隊の派遣などにより、事なきを得ている。
そして今回俺は、回廊出口から国境方面、ヒヨリミ子爵領の境界付近まで、大規模掃討を行う予定でいる。
俺自身が、その指揮官としてヴァイス団長を任命したが、俺の同行はそれとは別の話、という事で、指揮官から同行する許可が必要だった。
今回、俺と護衛役のアンに同行するのは、ソリス子爵家から辺境騎士団に編入予定の200騎、傭兵団から100騎、街の駐留軍から50騎の合計350騎だ。
これに、常備軍として所属する魔法士7名と、クリストフ、エラン、非常時に備えた回復役の聖魔法士が3名が加わり、かなりの大所帯だ。
本来は半数程度の人数で掃討を行う予定だったらしいが、誰かが同行するため、この人数になったらしい。
前日の夜、ミザリーがこっそり教えてくれた。
「ミナサン、テマヲフヤシテ、ゴメンナサイ……」
事前に団長からは、出没する可能性の高い魔物と、注意事項、その対処方法を教え込まれていた。
「魔境を進む心得。
迂闊に砂地に足を踏み入れないこと
迂闊に水の傍に近寄らないこと
迂闊に茂みに近寄らないこと
迂闊に……」
うん……
「オレッテ、ソンナニ、ウカツデスカ?」
まぁ、その他、色々説明もあったが、ちょっと落ち込んだ。
回廊を出て少し進み、岩場だった道を出ると、隊列は止まり、見張りを配置して作業に取り掛かった。
「先ずは撤退のことを考えます。このままテイグーンに奴らを引き込む訳にはいきません。
ここで罠を張り、不測の事態や撤退時には食い止めます。一部がここに残り、最終防衛線を確保します」
罠とは言えない、防御陣地のようなものが、みるみるうちに構築されていく。
「まぁ、今回は地魔法士や水魔法士、火魔法士もいるので、短時間で大掛かりな罠が作れましたが、通常はこう簡単にはいきません。この地道な準備が最重要だと肝に銘じてください」
そう念を押された。
竹林を伐採しながら奥へと進むと、皆の緊張感が一気に高まった。
先頭を行く斥候が魔物と遭遇したようだ。
「まぁ、この辺りだと……、恐らく黒狼でしょう。1対1なら大したことはありません。雑魚です」
俺は教わった事を思い出した。
※
『黒狼は集団行動しているので、一匹が現れれば他にもいると思うこと。
複数を相手にする際は、連携した攻撃や、特に死角からの攻撃を受けないよう、気を配ること。
何よりも、絶対に倒れてはいけない、奴らは低い位置から喉元を狙ってくること』
動きに目が慣れれば、決して難しい相手ではない。
動作は最小限に、横方向に俊敏な黒狼に対し、斬撃は横向きに振るうことを教わっていた。
『黒狼は、他の魔物の偵察部隊と心得よ。
必ず後続がいる、戦っている時もその前提で注意を怠らないこと』
戦いながら警戒……
果たして、俺にできるだろうか?
『魔狼は黒狼を束ねている。魔狼に出くわしたら、決して一人で戦うな』
今、俺はひとりではない。魔狼の警戒もしている。
大丈夫だ、習ったことは全て頭の中にある。
※
「こちらに追い立てるように指示はしてあります。さあ! これからは馬を降りて実戦訓練です」
この人、戦闘となると鬼なんだよなぁ。
不肖の弟子ですが、頑張ります。
そう思っていると……、茂みより黒い影が躍り出た。
黒狼は俺の前で低いうなり声をあげる。
狼と比べると、二回りぐらい大きいだろうか。
一見して俺が一番弱いと悟ったのだろう。俺に向かって突進してくる。
「くっ!」
サイドステップで、突進をかわしたつもりが、いとも簡単に方向を転じ俺の体をかすめていく。
思わず転倒しそうになったが、なんとか耐えた。
「首を守れば、簡単に致命傷にはなりません。飛び上がったタイミングを狙ってください」
ヴァイスさんのアドバイスに従い、向き直る。
こちらが突進のフェイントをかけると、黒狼は素直に牙で首を狙い飛び込んできた。
「シャッ!」
俺は腰を捻りながら最低限の動きで斬撃を横に払った。
手首に確かな手応えを感じ、一歩下がると、黒狼は大地に転がっていた。
「ふぅっ……」
なんとか、傷を貰うことなく、黒狼は倒せた。
「お見事ですっ!
我が傭兵団でも、黒狼を一人で倒して見習い卒業となります。でも油断は禁物ですよ。
本来、黒狼は数匹で連携して襲ってきます。
足場の悪い馬上で数匹を相手にして、初めて一人前ですから」
「ハイ、イッピキナラ、ザコナンデスヨネ……」
その後も何度か黒狼を相手にした。
そして、茂みの奥から不気味な気配と共に、黒狼より格段に大きく、より深い漆黒の毛皮に包まれた魔物が姿を現した。
「魔狼ですね。奴は馬でも一撃で仕留めてきます。
騎乗して奴と戦うと、最初に馬を狙ってくるので、注意が必要です。
私が対処しますので、そこで見ていてください。
周囲の警戒は忘れずに」
団長自らが進み出て、魔狼と睨みあう。
瞬間、魔狼は動いた。
速い!あの図体で黒狼より動きは俊敏で、牙だけでなく、前脚や後ろ脚も攻撃に使用してくる。
そして、その一撃は重い。
俺がまともに受ければ、確実に吹き飛ばされる。
団長は正面から受けないよう、剣で巧みに攻撃をいなしている。
というか……、遊んでる?
いや、俺に防御手段を見せてくれているのだろう。
団長に良い様にあしらわれ、小さな傷を何か所も受けた魔狼は、益々猛り狂う。
魔狼が大きく飛び掛かった瞬間、団長の横薙ぎの一閃が急所を襲う。
俺ではきっと敵わなかっただろう。地面に横たわった魔狼の亡骸を見ながら、自身の未熟さを悟った。
「まぁ通常は、魔狼に対して数人が連携して挑む、これが基本ですが……、将来的には、これくらいできるように鍛えて差し上げますよ」
汗一つかかずに、爽やかに笑う団長の姿が、いつもより大きく見えた。
「先遣隊の報告では、この当たりに魔熊の縄張りが確認されています。
これは厄介ですね」
……、何故だろう。
厄介といいつつ団長は笑っているのだけれど。
この人、戦闘となると人格が極端に振り切れる。
まぁ、今に始まったことじゃないんだけど。
※
その日は団長指導の下、遭遇した魔物との実戦訓練が続けられた。
炎を吐くヘルハウンド(単独撃破)には、迂闊に正面に出て火傷を負わされ……
魔熊(集団戦にて撃破)が薙ぎ払い、吹き飛ばされた木の欠片をまともに受け、傷を負い……
巨大な猪、カリュドーン(単独撃破)戦では、一撃離脱が不十分で打撲を被り……
それぞれ聖魔法士の介護を受けた。
御多分に漏れず、初めて魔境に入った者としての洗礼を受け、ボロボロになったのは言うまでもない。
「どうですか? 実戦は! 訓練では得ることができないことが沢山あるでしょう?」
俺は微笑む団長の口元に牙を見た。
しかしながら、僅か1日で俺の剣技は【猛者】から【達人】に上がった。
「実戦の経験とは、そういう事ですよ」
団長は笑っていた。
「あの……、本来の目的地は?」
「今回の掃討作戦は4日間です。3日目にお連れしますよ。それまでに、一人前にして差し上げます」
「サシアゲナクテモ、イイデスヨ」
俺は小さく、呟いた。
ご覧いただきありがとうございます。
ブックマークやいいね、評価をいただいた皆さま、本当にありがとうございます。
凄く嬉しいです。毎回励みになります。
また誤字のご指摘もありがとうございます。
本来は個別にお礼したいところ、こちらでの御礼となり、失礼いたします。
これからもどうぞ宜しくお願いいたします。
<追記>
10月1日より投稿を始め、遂に100投稿を超えるまでに至りました。
日頃の応援や評価いただいたお陰と感謝しています。
今後も感謝の気持ちを忘れずに、投稿頑張りますのでどうぞよろしくお願いします。
また感想やご指摘もありがとうございます。
お返事やお礼が追いついていませんが、全て目を通し、改善点など参考にさせていただいております。