間話4 テイグーンの虜囚① マスルール編
私がこの街に来て数か月。
最初は驚くことばかりだった。
まず最初に驚いたのは崖の中腹で、これ以上戦う意思がないことを表明し、関門に連行された時だった。
まだあどけない少女と言ってよい女性に声を掛けられた。
「途中で矢を射るのを止めてくれて良かったです。
あのままだったら……、私が貴方に矢を放ち、斃さなければならないところでしたから」
「なっ! 見えていたのですか?」
「はい、貴方が関門上を狙っていた時、私も貴方を狙っていましたので」
「そうですか、でも夜間であの距離です。私が外さず、貴方が外していた可能性もあったのでは?」
負け惜しみだが、そう返すと周りの兵士たちは笑っていた。
何故笑われるのか、訳が分からなかったが、それは後で思い知ることになった。
彼女はこの領地一番の弓の名手であったことを知り愕然となった。
次に驚いたのは翌日だった。
残念ながら、味方の敗走が決定的となったらしい、その事を聞いた時に思い切って申し出た。
「遺棄された仲間の遺体を埋葬したい」
そう申し出た際、関門の防御指揮官に案内された。
「えっと、貴方がこの関門の防衛指揮官ですか?」
見覚えのある顔だった。町に向けて進軍してきたときに、堂々と誰何し、口上を述べた若者だった。
「はい、若輩者ではありますが、タクヒールさまより、関門の防御指揮官を拝命している、クリストフと申します」
まだ10代そこそこ、あまりに若い指揮官に愕然とし、そして彼に、失礼な質問をしていた事を詫びた。
更に驚いたのは、彼らは回廊から、遺棄された敵軍の遺体を回収するだけでなく、取り残された負傷兵を救助し、こともあろうか傷の治療まで行っていた。
看護に走り回っているのは、年若い女性たち。
そして彼女たちが癒しの魔法の使い手でもあった。
負傷者たちの傷が、みるみるうちに癒え、軽傷者はその場で回復、重傷を負い瀕死の者も快方に向かった。
「どうして貴女方は、侵略しようとしてきた敵軍の兵を、癒しているのですか?」
思わず聞いてしまった。
「戦いはもう終わりましたが、これからが私たちの戦いです。助けることができる人は、一人でも多くお助けしたいんです」
そう答え、負傷した仲間を介護し、走り回る彼女もせいぜい10代半ばの年齢だった。
この砦(彼らは関門と呼称)はどこかおかしい。
兵士と思える者たちを指揮しているのは、兵士には見えない、10代から20代の若者ばかり。
今ここにいる兵士、そう思える者はどう見ても100名程度でしかない。
その他、守りに就いている多くの人々は、女性を含め、とうてい兵士には思えない者ばかりだった。
そして、兵士を含む彼らの全てが、この若者達に敬意を示し、その指揮に従っている。
「皆さんは貴族、または領主の一族ですか?」
思わずまた、聞いてしまった……
指揮官のひとりと思える若い女性が苦笑して答えてくれた。
「私たちは領主様に拾っていただいた、元は普通に暮らしていた領民のひとりですよ、貴族だなんて、とんでもない!
ところで、明日は谷に降りて、あなた方の同胞の亡骸を回収し、弔う予定です。できれば同胞の方に弔っていただきたいのですが……、ご助力願えますか?
武具はお渡しできませんが、その他の遺留品などは、お返しいたします。
できれば傷の癒えたお仲間も伴って、埋葬などに協力いただきたいのですが……」
侵略してきた敵軍の亡骸を、このように丁重に対処するとは聞いたことがなかった。
私は傷の癒えた仲間を説得し、遺体の捜索と埋葬に協力した。
※
関門脇の仮設収容所で過ごし、暫く経った頃には、これまでの手厚い看護により、負傷兵もほぼ全てが回復していた。
その後、私たちは400名の仲間とともに、本来、征服者としてくぐる予定だった、テイグーンの町の城門をくぐった。
そこに用意されていたのは、捕虜収容所とは名ばかりの、狭いが個室も用意された清潔な収容施設だった。
そして仮設収容所の時と同様、いやそれ以上に、しっかりした、美味しい食事が日々用意された。
正直、ブラッドリー侯爵軍の兵舎で過ごしていた日々より、快適で豊かな暮らしでは?
そう思ってしまったぐらいだ。
それは、私以外の他の兵たちも、同様に感じているようだった。
日々労役はあるが、少ないながら、対価として毎月賃金まで貰えることに、また驚かされた。
捕虜は粗末な食事と、収容施設で死ぬまで苦役につくこと、これが帝国で、いや帝国以外でも常識のはず。
食事と住居が無償で提供され、税もないので、今や、少ないながら貯えもできるぐらいだ。
我々の労役は、主に開拓地の造成や、町の外で新たに建設される砦の建設工事だったり、希望者は鉱山や下水清掃の労役に就くこともできた。
鉱山は賃金が1割増し、下水清掃は2割増しだったため、自ら進んでその労役に就く者も多い。
もう驚くばかりで、自信が無くなってきた。
私の常識がおかしいのだろうか?
※
収容所で過ごしているうちに、捕虜の中で、いつの間にか中心的な立場になってしまった私は、ある日領主に面会する機会を得た。
「こちらの暮らしで何か不自由な点はありますか?」
そう尋ねた領主は、まだ年端もいかない子供だった。
もう驚くことに慣れてしまった、そう思っていたのは間違いだった。
彼がこの町を築き、防御施設を構築し、あの若者たちを指揮しているのだ。
そして彼こそが、この捕虜にあるまじき処遇をもたらしてくれている、まさにその人だと理解できた。
何故かこの少年が空恐ろしく感じた。
「私共は捕虜にあるまじき待遇をいただいております。特には……」
私は警戒しながら答えたが、その後の彼の質問は、グリフォニア帝国の風土や、食生活について、作物についてなど、敵国状況を探る質問とはかけ離れていた。
尋問されると、身構えていた私は拍子抜けした。
そして、私がスーラ公国との国境付近出身だと知ると彼の質問は更に熱をおび、その地の作物について根ほり葉ほり聞かれた。
水を引いた畑で育てる穀物?
おそらくあれの事だろう、彼はその穀物の話題に、ひどく熱心だった。
尋問ではない、世間話に話が弾み、私も少し無理なお願いをしてみた。
「せっかく賃金もいただき、非常にありがたいのですが、それを使う機会もありません。
無理を承知で申し上げるのですが、市などで買い物や、時には飲酒も許可いただけると、非常に嬉しいのですが」
更に思い切って、もうひとつ要求してみた。
「捕虜の中には、故郷に家族を残している者もいます。
可能であれば、故郷に仕送りなどできると、彼らは非常に喜ぶと思うのですが……」
無理な要求と分かっていたが、ここの待遇に慣れてしまった私は、つい非常識なことを口にしてしまった。
「うーん……、わかりました。なるべく早く要望に添えるよう、善処しましょう」
少し考えたのち、彼はそう答えた。
今となっては、その全てが実現している。
もう私は驚くのをやめた。
良い意味で、ここの常識は我々にとって非常識、全く異なるものだと理解した。
正門前に毎日市が立つようになり、労役から帰った後は、買い物ができるようになった。
市で購入した酒類も、収容所内では自由に飲めるようになった。
そして、定期的に商人が訪れ、僅かな手数料で手紙と仕送りを請け負ってくれるようになった。
後日になって商人から教えられた事があった。
・国境線での戦いは、第一皇子の軍が惨敗したこと
・ブラッドリー侯爵軍の仲間は逃亡中に壊滅したこと
・仕送りや手紙の送料を、領主が負担していること
敵軍の我々のために、わざわざ領主が……
どおりで格安の手間賃で、手紙や仕送りができると納得がいった。
さらに、負傷し、この町の捕虜となった我々が、実は非常に幸運だったことを改めて知った。
この町の攻略に失敗し、やむを得ず味方を捨てて逃亡した仲間たち、その殆ど全てが、生きて故郷に帰りつくことはなかったそうだ。
※
先の面会後、私は定期的に領主と面会し、待遇の改善点や、領主の要望などを協議した。
いつの間にか私も心を許してしまったのだろう。
領主に隠していた本心を話していた。
「私の故郷は敵国スーラ公国の侵略を受け、町は蹂躙され、多くの人が殺されました。
それを撃退してくれたのは、当時はまだ若い、第三皇子率いる軍で、その恩義に応えるため、軍に入りました」
だがこの時の私は、考えなしに行動していたこと、後になって後悔した。
「しかし、無学な私は、宮廷の勢力も分からず、恩ある第三皇子の陣営ではなく、敵対する第一皇子派の、ブラッドリー侯爵に仕えてしまいました」
・それに気付いた時は、後戻りできなかったこと
・今回の侵攻も内心、忸怩たる思いだったこと
・第一皇子陣営には、恩義も忠誠心も全くないこと
そして、関門を攻撃する最中、侵略者の立場に嫌気がさし、危険な決死隊任務を途中放棄したことを。
こんな事を含め、自身の身の上話を、調子に乗って話してしまった気がする。
既に私の心は、その時点で決まっていたからだ。
「男爵がグリフォニア帝国を侵略しない限り、これまで受けた恩を、お返しさせていただきます。
私と同様に、侵略軍の我々に対し、命を救っていただけたご恩、感謝している者も少なからずおります。
彼らにも、日の当たる場所を用意してあげたい、そう考えています」
※
この話の数日後、私には新たな役職が与えられた。
【収容所自治委員代表】:俸給金貨30枚/年
・町の中(第三区画)への出入り自由の権利
・捕虜を代表し行政府との折衝を行う権利
・自治委員(俸給金貨15枚/年)10名の任命権
収容所仲間の捕虜たちにも、この人事は大きな問題もなく受け入れられた。
なぜなら私が捕虜の中で、一番の高位者だったから。
これにも理由があった。
命がけで暗闇の崖を登坂する、決死隊に志願した際、志願者はみな特進して100人長になっていた。
私も特進組の一人だ。
戦に敗れ敗走する際、身分や階位の高い者は、例え本人が負傷し動けなくなっていても、配下の者が連れ帰ってくれる。
今回も、置き去りにされたのは全て平民か、下級の騎士ばかりだ。
私は、収容所内では、比較的身分の高い騎士から4名、そして信の置ける、男爵に好意的な者から6名を、自治委員に選出した。
自治委員は収容所の代表として、収容所の運営、待遇改善などの協議と提案、調査報告を行う。
特に、将来的に開拓民となる事を希望する者がいれば、それを集計し、信用できる者かどうかを調査する役目を担った。
そして、自治委員は、事前に許可は要るものの、町の中(第三区画)への出入りも許された。
またある日、収容所内に求人票というものが張り出された事があった。
この町が、ある催しでお祭りになる予定らしい。
この求人票に従い、臨時の作業に従事すると、追加の賃金が貰えるとの事だった。
そういえば、その前の期間、我々は急ぎ進めていた、大規模な工事に駆り出されていた。
建築作業の経験のある者は、手当てを割増のうえ、建物の建造などの作業に振り分けられていた。
また、この時初めて【残業手当】という割増手当も貰う事があった。
その祭りの期間の前後は、労役が無いと事前に通達されていた。ただ、労役は無くとも、月々の賃金は変わらず支払われるとのことだった。
故郷に仕送りをしている者が中心に、その期間も求人票の仕事に就いた。
中には、10日に満たない期間中に、金貨1枚を報酬として貰った、運の良い仲間もいた。
彼らの多くは、町の住民と一緒になって働き、普通の暮らしを楽しんだ。
そして共に、かつては敵味方であった事を忘れ、仕事に汗を流した。
後日、領主から依頼された調査、今後開拓民として暮らすことを望むもの、この確認を行った。
驚くべきことに、開拓民を希望する者は全体の3割近くもおり、『家族を呼び寄せることができるなら、希望する』、そう答えた者まで含めると、倍の人数になった。
私と同じように、半数を超える仲間が、できることならここで暮らしたいと望んでいた。
驚くべき事実、だが、これまでの経緯から思うと、当然の結果であった。
これが私の、いや、私たちが新たにエストールの民となることの始まりだった。
※間話が続いて申し訳ありません。
本来は、こちらが100投稿目だったのですが、100投稿目はゴーマン編を入れたくて、急遽挿入したため、間話が連続してしまいました。次回からはまた本編に戻りますので、よろしくお願いいたします。
ご覧いただきありがとうございます。
ブックマークやいいね、評価をいただいた皆さま、本当にありがとうございます。
凄く嬉しいです。毎回励みになります。
また誤字のご指摘もありがとうございます。
本来は個別にお礼したいところ、こちらでの御礼となり、失礼いたします。
これからもどうぞ宜しくお願いいたします。
<追記>
10月1日より投稿を始め、遂に100投稿を超えるまでに至りました。
日頃の応援や評価いただいたお陰と感謝しています。
今後も感謝の気持ちを忘れずに、投稿頑張りますのでどうぞよろしくお願いします。
また感想やご指摘もありがとうございます。
お返事やお礼が追いついていませんが、全て目を通し、改善点など参考にさせていただいております。