第94話:猊下の到着
王都を分厚く覆っていた雷雲は、二発の雷を落としてその役目を果たしたかのように薄れていきます。
凄まじい威力の雷でした。ヒルッカやメイドたちがぶるぶると震えています。
「…………?」
大丈夫? そう問いかけたはずなのに自分の耳が声を捉えられません。離れていてもこうなのです。落雷は塔に落とし、人には当てぬようとオリヴェル卿に伝えていましたが、落ちた側での被害はいかばかりか。硝子なども割れているでしょう。
「あー、あー」
やっと音が戻ってきました。屋敷の被害状況、王城や大聖堂の様子を確認するようにと指示を出し、オリヴェル卿のいらっしゃるバルコニーの部屋へ。
彼はやりきったという満足げな表情で椅子に座っておられました。
「見事でしたわ。オリヴェル卿」
「うむ、そうだろうそうだろう!」
ちなみにもしあの謁見の日、王家にわたくしまで捕らえられていたら、これを玉座に向けて落とすという話でしたからね。彼らも命拾いしたというものです。
「ともあれ、これで僕の仕事は終わりだ。もちろん、兵たちがここを攻めることがあるなら再び僕の魔術が火を吹くだろうが、猊下が来ている最中にそれもあるまい」
「ええ、後は政治の時間ですわ」
彼は肩を竦めます。
「好まない話だよ。魔術の研鑽と研究さえできれば良いというのに。ともあれ、僕がここまでやったんだ。アレクシ君は必ず救ってくれたまえよ」
オリヴェル卿とレクシーは仲が良い。エリート街道を走った者と、貴族たちに抑えつけられていた者、その道のりは違いますし、分野も違いますが研究者として互いを認めているのでしょう。
わたくしは淑女の礼をとります。
「お任せ下さいまし、言われずともレクシーを救ってみせますし、A&V社は今後もオリヴェル・アールグレーン卿とその御一門にいつでも特上の魔石をお届けいたしますわ」
彼は姿勢を正すと手のひらを差し出します。わたくしがそこに手を載せると、彼はその指先に口付けたのでした。
『教皇猊下本日王都入り!』
『青天の霹靂! 王城と大聖堂の尖塔崩壊』
『天罰か神の怒りか! 王都に巨大落雷』
『教皇猊下王都入り前に浄化の奇跡か!?』
そして翌日の新聞の見出しはこうなります。先に王家と枢機卿を悪役にするような民意が醸成されていましたからね。よもやA&V社の関与や魔術によるものとするような記事があろうはずもありません。
昨日から夜を徹して落雷のあった場所での瓦礫や割れた硝子の撤去工事が行われ、王城と大聖堂の尖塔は白い布で覆い隠されました。
わたくしたちの屋敷の周囲を取り囲んでいた兵たちも、火急の事件にその多くが呼び戻されたようです。猊下の警備もありますしね。それは城内や猊下がパレードなさるメインストリートのみならず、王都中での警備治安維持ということもありますから。
屋敷のバルコニーから少しだけパレードの様子が見えます。
天井のない馬車に乗った猊下が、歓声に包まれ、無数の花弁が撒かる中をゆっくりと城へと向かうのが僅かに見えました。
そして翌日。
王家から緊急の呼び出しがあったのです。
「使者の方、ようこそお越しくださいました」
「今日はお会いいただけるのですな」
わたくしの挨拶に応える声には明らかな不快の念が滲んでいます。この10日間以上、会うこともなく追い返していましたからね。
わたくしは儚く見えるようにと意識した所作で笑みを浮かべて小さく声を出します。
「申し訳ありません。不敬とは分かっているのですが、夫が囚われた心労で倒れておりまして……」
実際、わたくしは魔術で維持しているとはいえ10日以上も寝ておりませんからね。窶れてしまっていますし、そう見えるでしょう。
わたくしがハンカチーフで乾いた目尻を押さえると、彼の顔には同情が浮かびました。
「なるほど、しかし今回はそう言って断られる訳にはいかんのです」
そう言って使者の方は咳払いをし、書状を広げて読み上げました。
「偉大なる王国の落ちぬ太陽、ヴァイナモⅢ世陛下の仰せである。ヴィルヘルミーナ・ペルトラは急ぎ登城するようにと」
「御意にございます」
わたくしは尋ねます。
「王城にはナマドリウスⅣ世教皇猊下もお越しになってますが、いち平民であるわたくしがこのような時に登城しても宜しいのでしょうか?」
「その猊下がお前たち夫妻の名を出したのだ。急ぎ支度せよ!」
「畏まりましてございます」
わたくしは深く礼をとりました。笑みの浮かぶ顔を隠すために。
そうして踵を返し、使用人を呼びます。
「タルヴォ! 聞いてましたね、城に参りますので用意を。ヒルッカ! 身嗜みを整えます、急いで!」
わたくしは歩きながらヒルッカにそっと耳打ちします。
「勝ったわ」






