第93話:霹靂
あれから10日と少々、ただ結界の維持だけは切らさないように。
魔力はふんだんにあります。レクシーに持たせた魔石、わたくしの手元にある魔石。眠気はお茶や〈覚醒〉の魔術で飛ばしますが、疲労は身体や心の芯に澱のように蓄積していきます。
それでも夜はできるだけ休めるように身体を楽に。メイドたちが交代で寝ずの番をして、わたくしが眠りに落ちないよう見張ってくれているのです。
暁の光が東の空を紫に、赤にと染めていき、部屋にも光が差し込んでいきます。眠らぬために夜明けの景色を見ることができているのは幸いでしょうか。
「ではみなさん、交代でしょう。そろそろお休みになって」
「はい、奥様良い一日を」
「ええ、良い一日を」
夜番のメイドたちが辞去の挨拶をして去っていき、別のメイドたちが入ってきます。
「奥様、本日の新聞ですわ」
ヒルッカがいくつもの新聞を持ってきます。それは大手の新聞もあれば、路上の新聞売りのものも。
彼女はわたくしの横に座ると、テーブルにそれらを広げて読ませてくれます。
『王太子殿下の幸せな婚約の裏側』
『悪女とされたヴィルヘルミーナの真の顔とは?』
『貧民街の救世主、A&V社社長ペルトラ氏捕まる』
『王太子と枢機卿の疑惑の関係に迫る!』
『エリアス殿下失脚間近!! ……か?』
大手では直接的に王家の批判となるような記事は書けませんが、大衆向けのものや貧民の手書き新聞売りのようなものでは読者の目を惹くようなセンセーショナルなものがつけられますね。
「ふふふ」
思わず笑みが溢れます。
「奥様が悪そうな笑みを」
「だってわたくしたちが新聞社に情報を流したり、小規模や個人のところには資金提供すらしているのですもの。腹黒いものですわ」
「でも、彼らも喜んで記事にしてくれていますわ。貧民の間では密かに奥様の人気は高うございますから」
まあ、それはそうかもしれませんわね。色々な形で施しはしていますし。
ヒルッカは新聞の別のページを開いて見せます。
「それとこちらを」
『ナマドリウスⅣ世教皇猊下、ついに明日王都入り!』
猊下が我が国に入国したという報せが先日あり、ついに王都へと入るとの内容でした。
「まあ、ついに」
脳裏に一度お会いした時のお顔が思い起こされます。あとは猊下がわたくしたちとの望む通りに動いてくださるかですが……。
「奥様、疲れがお顔に出てございます。しっかりと磨いておかねば」
「そうね。よろしくお願いするわ」
きっと目の下には隈なども浮いているでしょう。……ですがその前に。
「オリヴェル卿に連絡を。以前お伝えしたように演出をと」
…………
僕らの女王たる彼女、ヴィルヘルミーナは言う。
「人間の業と誰も思えないほどの威力なら行使していただいて構いません。疑われるような威力であるならおやめ下さい」
我らが女王は魔術師の自尊心をくすぐることを分かっている。
「100カラット級以外の魔石なら使えるだけ使っていただいて構いませんよ」
そして魔術師が喜ぶことを分かっている。
つまり、全力でぶっ放すってことだ。
弟子たちの手によりペルトラ家のバルコニーに魔術儀式のための道具が運び込まれ、聖水によって清められる。バルコニーに立つのは僕一人。だがバルコニーへと続く部屋にて、弟子たちは目を爛々と輝かせてこちらを見つめる。
大魔術師が全力で行使する魔術なんて見たことはあるまい。いや、全力以上か。
バルコニーの中央に立ち、王都を、東の天を見つめて息を整える。
「我が前に風の王、我が背後に水の王……」
ああ、そうだ。四大の精霊を喚起する詠唱だって久しぶりだ。魔術に熟達し、詠唱が自在に破棄できるようになった僕をして詠唱なくては制御できない程の儀式魔術。
「右手には火の王、左手には地の王……」
僕の周囲の地面には六芒星、四方にはそれぞれ五芒星。その全ての頂点である26箇所に僕の魔力で造られた雷属性魔石。
「我が内なる炎の五芒星、光輝の六芒星を以って命じる。起きよ、風の王」
周囲が濃密な気配で満たされた。僕以外に誰もいないというのに。
だが、右目の金の魔眼には無言で僕を見下ろす風の王の姿が見える。彼の顔らしきものを見上げて笑みを浮かべる。
「覆え天蓋、日輪翳し、昏き世界で権能見せよ」
蒼天は俄に掻き曇り、分厚く黒い雲に王都は覆われた。
雲の中では無数の微細なる氷が擦り合わさることによって力を蓄えるという。雲を撹拌するようなイメージ。
雨は降らない。ただ風が吹いては雷雲が蠢き不吉に唸りを上げる。
王都の民が惑うのが分かる。背後の弟子や、屋敷の従僕たちも天を見上げる。気持ちは分かるとも。……見るなと言っていたのだが。
「地に生けるもの王の腕より逃げ場などなし。天の光が万象砕くその名は雷霆!」
僕の手が天に突き出されるのと共に、魔石の、僕の魔力が全て風の王へと流れ込む。まるで巨人のように膨れ上がった王は、天に掲げた両の手を振り下ろした。
空全てが蒼白く染まるよう閃光の奔流。そして天が破れる轟音が二度響いた。
屋敷で、王都中で悲鳴が上がる。
そして大聖堂の尖塔の一つと、王城の見張り塔が一つ。がらがらと音を立てて崩れ落ちていった。
風の王の姿が消えてゆく。魔力を使い果たして足がもつれる。
バルコニーにへたり込みながら呟いた。
「……これなら天罰には十分だろう、女王陛下」






