第92話:祈り
応接室の窓は急ぎ板で覆われ、複数ある出入り口は一つを残して封鎖された。扉の向こうで重たいものが動かされる音がする。なにか物で塞いだのだろう。
残った一つの扉の前には神殿の兵たちが看守代わりにこちらを見張っている。武器は鞘から抜かれ、随分と警戒されている様子だ。
俺は先ほどまで枢機卿が座っていた高そうな椅子に座ってみる。正直、座り慣れた自宅のソファーの方が良いな。
「勝手に座るな!」
そう言われてもな。
どやどやと兵士たちが動き、弓矢が持って来られる。さっきは触られた時に雷が走ったからな。飛び道具ということか。
ヨハンネス枢機卿の声がする。
「殺すことは罷りならん。手足を狙え!」
弦の引き絞られる音、風を切る音。思わず目を瞑るが、矢が身体に届くことはなかった。
甲高い音とともに矢は弾かれ、マホガニーの机の上を滑って大きな傷をつけた。
「貴様っ!」
いや、知らんが。俺は首を竦める。
「食事を与えるな! 飢えさせてやれ!」
ああ、なるほど。肉体を傷つけない拷問もあるということか。
飯は与えられないが、葡萄酒が棚にあったのでちびちびやらせてもらっている。到底満足いく量ではないがチーズと乾果があったのは幸いだった。
飲んでるのを見た枢機卿には激昂されたが知らん。どこどこのヴィンテージで貴様ら如き平民が金を積んでも手に入れられないものなのだと言われてもな。
「せっかくの良い酒にとって不幸なことに、監禁されて飲んでいると美味くは感じないものだな」
「貴様! せめてこちらの出す他の酒と替えろ!」
「毒を仕込まない保証がないから無理だ」
水すら貰えないのは困ったものだが、ミーナの魔石が水属性を有しているのを利用し、枢機卿の使っていたクソ高そうな酒杯に射かけられた矢の鏃を使って陣を刻み、少量ながら水の出る魔道具に加工した。
トイレに関してだけは応接室を糞尿まみれにして良いのかと伝えたら壺が用意され、しっかり回収もされるのでそれだけは快適だ。
轟音。
兵によって持ち込まれた鐘が打ち鳴らされる。
服を破って加工して耳栓としているが、簡易のもので完全に遮音できるというものでもない。ここは普通に王都市内であり、そこまで酷くずっとという訳ではないが、大きく不快感を与えてくる。
耐えろ、そうミーナは言った。こんな結界まで用意していたら辛いのは俺ではあるまいに。俺がすべきことは彼女たちが俺を救うまでただじっと待つことだ。
無駄な体力を使うな。考えるな。研究者である俺たちは分かっている。複雑な思考は特に体力を使うと。
椅子に座り、日夜の区別なく微睡み続ける。ただ彼女たちを信じて。
…………
レクシーの身の回りに結界を張りました。これで安全なはずです。多分。一応。
不安……ええ、不安です。魔力の使用は魔石作成で慣れたとは言え、魔術を行使するのも初めてですし、その対象が目の前にいる訳ではないため、結果が見えませんからね。
「大丈夫ですよ、術式は完璧に発動しています」
わたくしのその表情を見てか、オリヴェル氏がそう言ってくださいました。
「オリヴェル、あなたの魔力も使われたような気がしましたけど」
「そんなに長くは維持できませんが、敵意持って触れたものに雷撃が走る術式をね。我らが社長が防御だけだと舐められては困りますので」
「ありがとうございます」
わたくしは目礼すると、振り返って皆に声をかけます。
「さて、取り急ぎレクシーの身を守るために動きましたが、改めてわたくしたちの行動についてです。屋敷の出入りは基本的に避ける。出る時は必ず点呼と記名をして行うこと。外で捕まらないように、そして捕まったとしてもそれがすぐに分かるようにということですわね」
はい、と肯定の返事。
籠城の備えはしてありましたからね。食料品の貯蓄は充分ですし、水は魔力で作れますからそこは安心です。
魔石についても備蓄はありますが、各自生産を続けることや、鑑定事務所については安全性が担保できるまでは中止という旨を伝えます。
「王家、教会、ペリクネン公などからの使者は全て追い返しなさい。取り継ぎも不要、全て検討中と答えて構いません」
「畏まりました」
タルヴォが答えます。
「新聞屋などへの対応は事前に通達した通りに。研究者の方たちは他は何かありますか?」
「奥様はどうなさいますか?」
「部屋で休むわ! 何かあったらすぐに声をかけてちょうだい」
わたくしはそう言って自室へと戻ります。
ヒルッカたちに囲まれて各所に魔石を隠した重いドレスを脱ぎ捨てます。柔らかい部屋着を着て、身を休めます。
わたくしはこれから眠りに落ちることが許されない。眠れば術式は維持できません、魔法が解けてしまいますから。
オリヴェル卿たちが眠りを必要としなくなる術式をかけてくれるとは言いますが、疲労は蓄積されるとのこと。できるだけ、身を休めつつ眠らぬように。
ですが先に行うべきことがあります。
わたくしは床に額ずいて祈りを捧げました。
「主よ、あなたの齎す公平さを失い、偽りの冠を被るもの、あなたの名をみだりに騙り、偽りの赤を纏うものがこの地におります。我が夫、アレクシは罪を犯さずして彼らの手に囚われました。主よ、どうかあなたが彼の避所になり、苦難の時には速やかなる佑助となられますよう。そうあれかし」






