第9話:朝食
わたくしはアレクシ様のシャツを着ます。
ぬ、胸が……アレクシ様は殿方ですが身体が細すぎて……っと。なんとか入りましたが胸がきついですわ。
一方で袖や裾は余りすぎです。袖は何度も捲ってちゃんと折れば良いですが、お腿までシャツの裾がいくのは流石に不恰好すぎます。仕方ないのでお腹のあたりで縛りましょうか。
ズボンもまあ……ヒップがちょっときついですが問題ないでしょう。裾は何度も折り返しましたが。サンダルを置いてくださったのは助かりますね。素足でサンダルをつっかければ出来上がりです。
ブカブカなので転ばないように注意しましょう。
平民の服を着るのは初めてですが、胸がきついことを除けばそれ以外は問題ないですね。初めてでも自分で着ることができましたし。
わたくしは着なかった残りの服を抱えて一階へと降ります。
小さめのたらいに水が張られていたので、それで顔を洗わせていただきました。
「食べるものを買ってきまし……あぁ……」
「おかえりなさいませ」
わたくしは挨拶をします。
ですが小脇に紙袋を抱えた旦那様は天を仰ぎ、空いた片手で顔を押さえられてしまいました。
「そりゃあサイズは合わないですよね」
「仕方ありませんわ。後ほど買い物に出られればと」
「……決してその格好で出ないでくださいね」
そう言いつつ小脇に抱えた袋の1つを手渡してくれます。
それは2枚のパンの間に肉や野菜が挟まれたものでした。まだ温かく、ソースの匂いが漂います。そういえば昨日は夕飯も食べていなかったのでした。空腹を思い出したかのようにお腹がきゅうと鳴ります。
「朝食です、あと飲み物。お貴族様の舌に合わないかと思いますがご容赦を」
素焼きのコップを2つと瓶を1本。濁りのある赤い液体が注がれて手渡されました。
「こちらは?」
「ピケットです。質の悪く酒精の弱いワインですよ。平民が良く飲むものです」
荷物の入った箱を机がわりに、そこに食事を並べます。
「食前の祈りをお願いできますか?」
「……すまんが食事前に祈る習慣がない」
「ではわたくしが祈りを捧げても?」
彼が頷かれたので、わたくしは手を合わせて頭を下げました。
「主よ、あなたの慈しみに感謝いたします。ここに用意されたる今日の糧を祝福し、わたくしたちの命を支える糧として下さいますように。今日の糧を用意してくれた者に幸ありますように。そうあれかし」
アレクシ様はわたくしの祈りを待ち、最後の『そうあれかし』は唱和してくださいました。
「アレクシ様、食器はありませんか?」
「……箱のどこかにはある。ただ、これはこうして」
そう言って彼は袋ごとパンを持ってかぶりつきました。
まあ。食器を使いませんのね。効率的と言えば良いのか野蛮なのか。
わたくしも見様見真似でパンの端をかじります。
ふむ、パンですね。一口で挟まれた具までたどり着きませんわ。
ううむ、口を開けないよう、咀嚼しているのをあまり見せないようにと作法を学んできたわたくしには食べづらいですが仕方ありません。
袋で口元を隠すようにしてちょっと大きくかじりつきます。
ん、なかなかのお味。肉の質はいまいちですが、これはミートローフのようにすることで柔らかく食べられるようにしているのでしょう。なるほど、工夫を感じます。
飲み物を一口。うーん、これはあまり美味しくはない。味も香りも酒精も薄く澱のあるワインという感じですが、酒というよりはお茶の代わりというところでしょうか。
わたくしがパンの半分も食べ終わらないうちにアレクシ様は食事を終えられました。
「悪いがお先に。仕事に行かなくてはならないんだ」
「それは仕方ありませんわ。お気になさらず」
おや、随分と早いですわね。平民たちの朝は早いとは言え、研究者ということは学歴ある者たちであり貴族出身の者も多いはずですからね。アレクシ様が研究所に勤めているにせよアカデミーにいるにせよ、始業にはもう少し余裕があるのでは。
「土地勘がないからな。一応今出た時に辻馬車の位置を聞いてはきたが、どれくらいかかるのかわからん。あと、できれば早く戻って買い物などしたい。明日以降、休みも取れるか聞いてはみるが期待はしないでくれ」
「お気遣い感謝いたしますわ」
「うん。だから今日俺が戻ってくるまでは勝手に出かけないでくれ。誰か来ても中に入れたりしないように。大丈夫?」
そう言ってジャケットを羽織ると、玄関へと向かわれます。
わたくしは食事を中断して立ち上がりました。
「承知しました。いってらっしゃいませ」
「ああ」
「アレクシ様、いってらっしゃいませ」
「ん? うん」
「いってらっしゃいませ」
「……いってきます」
わたくしが笑みを浮かべると、彼はどことなく恥ずかしそうに顔を赤らめてから家を出られました。
一歩前進、いえ、半歩でしょうか。
さておき、アレクシ様が戻られるまで何をしましょう。お腹は満足しましたから、残りのパンはお昼にでもいただくとしましょうか。
いつ戻られるのかは分かりませんが時間はありますし。
わたくしは箱の山を見ます。……ふむ。