第87話:謁見の間・2
「不敬な!」
エリアス殿下が叫びます。
「陛下に対する不敬は許されぬぞ!」
わたくしはそれに応じることなく、正面、陛下の足元の辺りに視点を置きます。一応礼法としてはご尊顔を直接見つめるのは無礼ですからね。今更ですけど。
陛下は殿下を諌めるように合図を送られ、近習に声をかけられました。
「偉大なる王国の太陽たる陛下は仰せである! 不敬は咎めぬと。ただ、そこでは顔も見えぬ。改めて前へ進むようにと」
まあ、そもそもそういう距離で話したいならわざわざ謁見の間に呼ぶなと言いたいところなのですが。
わたくしたちは立ち上がります。レクシーが差し出した右腕に手を置き、ゆっくりと前へ。
そのまま歩み続け、ペリクネン公の立つ位置の前を通り過ぎたことを視界の端で確認します。
王族用の段へと足をかけようとしたところで近衛たちが駆け寄ってきました。
「貴様ら! どこまで行く気だ!」
わたくしは足を止めて首を傾げます。
「わたくしは近づくようにとの陛下の御下命ゆえにそうしているのですが、それを遮るとは、あなたたちは反逆者ですか?」
「貴族の止まる位置があるだろう!」
レクシーが声を上げました。
「我々は平民です。なぜ指定もされていないのに貴族の立つ場所とやらで止まると思われたのですか?」
反論しようとした近衛の方を遮るように、近習が慌てたように声を上げられました。
「陛下は仰せである! そこで構わぬから止まるように! 近衛は待機に戻れと!」
近衛が離れていき、わたくしは陛下の顔を正面から見つめます。四十過ぎの壮年の男性、エリアス殿下と同じ金髪碧眼の、彫りの深い威厳ある顔立ち。
「跪かぬか!」
エリアス殿下の声がします。それを無視して陛下を見つめていると、陛下は近習を下げさせて仰いました。
「直答を許可しよう。ペルトラ夫人、汝は随分と変わったな」
「変わったのではなく、変わらせられたのですわ。婚約者に公の場で婚約を破棄され、その地位も名誉も褫奪されたのです。かつての父も、将来父になるはずだった人もわたくしを救ってはくれず」
ここで笑みを浮かべてレクシーを見上げます。
「彼のみがわたくしを救ってくれたのですから」
陛下は顔を顰められました。横合いからペリクネン公の荒げた声がかけられます。
「そもそもお前が! 我が義子となったイーナを暗殺しようとしたからではないか!」
黙って前を見つめていると陛下がため息をつき仰る。
「他の者の発言に答えても構わぬ」
わたくしは父の方に身体を向けます。
「ペリクネン公、暗殺しようとしたからではありません、暗殺に失敗したからですわ。わたくしは政争に敗れたのです。故にそこに不満はありませんの」
「ならばなぜ、魔石の価格を暴落させるような真似をする。お前が魔石を大量にギルドに持ち込んだと分かっているぞ!」
「異な事を仰いますわね。勿論、わたくしが生きているから、そして心折れていないからですわ。つまりまだ政争は終わっていないのです」
わたくしは右手を広げ、謁見の間全体を指し示します。
「さあ、わたくしはここへ戻ってきましたわよ。宮廷闘争の第二幕ですわ」
ペリクネン公の表情が怒りに歪みます。
「貴様らよりによって我が領の主産業たる魔石に手を出すとは……!」
「ここにいらっしゃる方々は、わたくしたちが魔石を何処から入手しているかご存じなのかしら」
わたくしが首をゆるりと傾げると、エリアス殿下が答えてくださいました。
「商業ギルドに特許申請を出しただろう、アレクシ・ペルトラの名で魔石作製装置を発明したと」
わたくしは頷きます。
ふむ、認識はそこ止まりでしょうか? 鑑定所の秘密は暴かれていないと見るべきですかね。
「ええ、その通りです。夫が魔石に関わる研究をしていたのは偶然ですが……」
レクシーがわたくしの袖を軽く引きながら前に一歩出て、言葉を止めました。そして語り出します。
「私はかつて所属していた国立研究所で冷遇されていました。それは私が研究所で数少ない平民であるのに加えてもう一つ。魔素・魔石に関する研究内容が既得権益を脅かすからでした。魔術師たちからの横槍もありましたし、公自身が圧力をかけていなくても、その部下によって、あるいは研究所に所属する貴族の忖度によって」
初めて聞く話ですが、なるほど納得のいくものです。
レクシーは続けました。
「であれば、エリアス殿下によって追放された公爵令嬢ヴィルヘルミーナ、彼女に宛てがう平民として私は都合が良かった。つまり妻と私の出会いは偶然ではなく必然というものです」
「レクシー……」
わたくしは笑みを浮かべてレクシーの右腕に手をかけ、ぎゅっと袖を掴みます。彼は優しく微笑んで頷き返してくれました。






