第86話:謁見の間
ユルレミが帰りました。再び襤褸を被って勝手口から出ていったとか。
メイドが茶器を下げている横でヒルッカが近づいてきて尋ねます。
「ユルレミ様にお伝えしてしまって良かったのですか?」
「大丈夫よ。情報を積極的に晒したい訳ではないけど、隠しておく必要もないわ。というか、あの子にはうまく立ち回ってくれないと困るもの」
「立ち回りですか」
「そうよ。わたくしたちがこの先に勝者となるとして、ペリクネン公は敗者になるわ。でもあの子には破滅して欲しくないもの」
ヒルッカのみならず部屋にいた使用人たちがみな頷きます。
「そうですね。我々使用人一同もユルレミ様には恩があります」
「……仮にわたくしたちが敗北しても、ユルレミは変革に立ち向かわなくてはなりません。レクシーの研究が公開された以上、もはや革命の嚆矢は放たれたの。それはこの国だけではない。世界を変えるわ」
「奥様……」
ヒルッカがついと目を逸らして壁に向かって頷きます。視線をそちらにやると別のメイドが何やら呟きながらメモを手にペンで書き付けていました。
「……もはやかくめいのこうしははなたれた……」
「ちょっと!」
彼女たちは笑いながら逃げていきました。もー。
数日後、商業ギルド長が王宮に召喚されたという話が入ってきました。
彼には、わたくしたちのことを隠す必要はないとお伝えしてあります。つまり、わたくしたちのことが王家に、公爵家に露見するということです。
しかし思ったより王家が動くのが早いですわ。ペリクネン公が殿下を動かしたにしても。王家の諜報部隊の生き残りか、ユルレミか、あるいはイーナ嬢の進言でもあったか。
朝食の席、そのような話をレクシーに伝え、こう締めます。
「という訳で、直に王家から呼び出しがかかりますわ」
「まあそうなるな。どうする?」
「正直な話、時間を稼ぐなら屋敷と研究所、事務所を放棄してみんなで旅に出るという手があるのですが」
レクシーは頷きます。
「ナマドリウスⅣ世猊下が来るまでの時間を稼げば良いということだな」
「ですが、ここで隠れるのは将来、猊下や隣国と交渉するときに傷になるかもしれませんね。ここはもう正面から立ち向かうべきところですわ」
彼は笑い出しました。
「君の頭の中は、もう勝った後のことにまで進んでいるのだな」
そういうものですわ。わたくしは頷きました。
さて、その日の午後には使者がもうやってきました。
「王国の落ちぬ太陽、至尊の座にましますヴァイナモⅢ世陛下のお言葉を告げる!」
わたくしたちは跪いて言葉を聞きます。ふむ、殿下ではなく、陛下の使者ですわね。
「ペルトラ夫妻に明日、王城への登城を命ずる! 明朝、二の鐘が鳴る時刻に迎えの馬車を寄越す故、それに乗って城へと向かうべし。またその際、商業ギルドにて登録した魔石作製の機械を持ってくるようにとの仰せである!」
「御意」
「御意承りましてございます」
そう言って使者は帰っていきましたが、屋敷の周囲には兵士が無数に配置されたまま残されました。わたくしたちが逃げ出さぬよう監視ということでしょう。
「タルヴォ」
「はい、奥様」
わたくしたちの背後で跪いていた執事に声をかけます。
「明日の準備を。それとないとは思うのだけれど、明日わたくしたちが出た後に兵が屋敷に侵入しようとした場合は抗戦して」
「一命に代えましても玄関を潜らせることは防ぎましょう」
「そのために魔石はいくら使っても良いわ」
そうして翌日、謁見の間。
「ペルトラ夫妻の到着に御座います!」
長槍を構えて左右に並ぶ兵士たちが穂先を掲げ、その間を進みます。王城最大の広間であり、その奥には陛下の玉座。
ここへ入るのも久しぶりですが、その姿はまだ見ることができません。目を伏して前に進まねばならないからです。
ただ、人の気配は少ない。時には真っ直ぐ伸びた絨毯の脇に貴族や武官・文官が立ち並ぶこともあるのですが、今日は内密の謁見ということなのでしょう。
わたくしたちは並んで進み、広間の真ん中ほどで立ち止まりました。そして床に両の膝を突いて頭を垂れます。
「偉大なる王国の太陽たる国王陛下は仰せである、面を上げよ!」
陛下に声を伝える取次ぎを行う近習の方がこちらへと届くように声を上げます。
ゆっくりと顔を起こします。いらっしゃるのは陛下、エリアス殿下、ペリクネン公、後は宰相と近習の方ですかね。後は文官、秘書、兵士といったところですか。彼らは奥の方に固まっていて、顔までは見えません。わたくしたちの辺りはがらんとしています。
「偉大なる王国の太陽たる陛下は仰せである、近う寄るようにと!」
なんで、エリアス殿下にしろ陛下にしろ、わたくしが平民であることを認識してないのかしらね。ここで止まるに決まっているでしょうに。
立ちあがろうとするレクシーの腕を押さえて、声を張り上げます。
「近習の方に申し上げますわ。平民が進んで良いのはここまでと定められております、寝言は寝て仰いと!」
近習の方の動揺する気配が伝わってきます。
「ペペ、ペルトラ夫人は申しております、平民が進んで良いのはここまでと定められており、ね、寝言は寝て仰るようにと!」






