第80話:帰途
「慌ただしい旅行だった」
わたくしの隣から声。
「しかたありませんわね。それでも猊下にお会いするという目的は達せましたし」
馬車の客室を埋める荷物に手を向けます。
「お土産もたくさん買えましたわ」
これまで、わたくしたちは屋敷を買い使用人を揃えと、中位から下位の貴族並みには羽振りの良い暮らしをしていましたが、決して豪奢な暮らしをしている訳ではありません。魔石の生産量から考えればむしろ質素と言っても良い。
しかし国外ですし、監視の目もありませんからね。ちょっと使ってきたのです。
「こんなに買い物に振り回されるとは……」
レクシーはお疲れの様子。
これは旅程に時間の余裕がなかったのもありますが、彼がこういったお買い物に慣れていないというのも大きいでしょう。
「わたくしが公爵令嬢であった頃はこんなものではありませんのよ?」
「……どうやったらこれ以上買えるんだ」
「ふふ、お屋敷に商人を呼んで、『気に入ったわ。全部買わせてちょうだい』って言うだけですからね。お店を回った今回の方が疲れるかもしれませんわ」
レクシーが頭を振ります。
こちらの国で流行っている意匠の宝飾品、ドレス、魔石、レクシーの欲しがった技術書、道具、友人や使用人逹へ渡すためのおみやげ、お菓子、いずれこちらで出店するための土地……。
確かに色々買いましたから。
「ともあれ、猊下がこちらに好意的な反応で良かった」
ぐう、とレクシーのお腹が鳴ります。
「失礼」
レクシーはこの旅行中食が細かったように思います。緊張と疲労でお腹がすかなかったのでしょう。
わたくしはお土産の中からお菓子の箱を取り出しました。
「ここで頂いてしまいましょうか。お行儀悪いですけど」
レクシーが頷きましたので、包装を剥がし箱を開けました。
一口サイズのチョコレートが綺麗に並べられています。
二人で一つずつ摘んで口へ。鼻腔に広がるのは濃厚なカカオの香り。
しばし沈黙が客室に満ちます。口の中でチョコレートを転がしていたレクシーが呟くように尋ねました。
「しかし、あれで良かったのかね?」
「何がでしょうか?」
「猊下との話さ。もちろんあまり時間が取れないのは分かっているが」
「具体的に話を詰めるまでは持っていけてませんからね。猊下としても教会内部で調整の時間が欲しいでしょうし」
「以前言っていた異端とされないようにという話か」
「良いのですよ、異端と見なされても。極端な話をすれば、レクシーの技術を奇跡として騙り、新興の宗教か国家でも打ち立てても良いのですわ。現世に降臨した神の子アレクシが衆生を救うと」
レクシーの眉間に深い皺が刻まれました。
「神の子アレクシ様!」
わたくしは拝むようなポーズを取ります。
「嫌なこった。それにそう上手くいくものでもないだろう」
「もちろん、わたくしも嫌ですわ。でも、それができるほどの力がこれにはある。……少なくとも猊下は可能性があると思ったことでしょうね」
「ふむ」
「もちろん兵の数で考えれば決して勝てないのですが、莫大な魔石を局地戦で……」
レクシーがわたくしの手からお菓子を取り上げます。
「悪いことを言う口は塞いでしまおうか」
左手に箱を持ち、そこからチョコレートを一つ摘みあげると、それをわたくしの唇に押しつけました。唇の間を滑らかなものがすり抜けるように落ち、口内に広がる強い甘味。
レクシーの顔は赤く染まっています。ですがわたくしの顔はもっと熱を持っているでしょう。
「可能性のない未来の悪巧みはいいさ。幸せを考えよう」
言葉を発せないわたくしは、お尻を浮かせて座席を詰めてレクシーに身を寄せます。
レクシーがお尻半分ズレて逃げようとしたので、わたくしはさらにその分詰めていきます。
チョコレートを持っていない右手が浮いていたのでわたくしの肩を抱くように回させました。
「……強引だ」
わたくしはチョコレートを溶かし飲んでから口を開きます。
「ここはそうすべきところですもの」
肩に回された彼の手は緊張ゆえ強張っています。それを優しく撫でながら尋ねます。
「女性に慣れてきましたか?」
「女性には慣れてないよ」
レクシーは首を横に振ります。
「でもミーナが隣にいるのは慣れてきた」
「慣れただけ?」
「……隣にいてくれるのが心地よいと思う」
ふふ。わたくしの頬に笑みが浮かびます。
そこから自宅へ戻るまで、彼の薄い胸板に頭を預けていたのでした。






