第78話:教皇・前
教皇猊下は数年に一度、夏から秋にかけて行幸なさいます。そもそも今年その予定が組まれ、行先に我が国が含まれたのは、わたくしの手紙によるところが大きいでしょう。
もちろん、隣国いくつかを周遊する形になりますので、教皇領に接していない我が国に回ってくるのはもう少し後の話です。
つまり、わたくしたちには直接話しに行く時間があると言うことです。
王家の影を襲撃してすぐ、わたくしとレクシーは姿を眩ましました。教皇猊下の滞在する国へと旅行し、猊下に手紙を出します。
もちろん、普通であれば猊下の元まで手紙が届くこともないでしょう。ですが魔石を渡した後ですからね。秘密裏に会うという連絡を頂けたのです。
夜、人気のない大聖堂にて。わたくしとレクシーは跪き頭を垂れて彼の訪れを待ちます。
両の膝の感覚が無くなってきた頃、扉の開閉する音。そしてゆっくりとした衣擦れの音。わたくしたちの脇を通り過ぎる気配。
「お待たせしてしまったかな。面を上げなさい。神の前で全ての子は平等なのだから」
ゆっくりと一度伏目がちに面を上げ、それから前を見ます。
青と白に金糸の刺繍のローブ、教皇にのみ許された色の組み合わせを身に纏う小柄な老爺、ナマドリウスⅣ世猊下に他なりません。
わたくしたちはもう一度頭を下げます。
「至尊なる神の代行者、聖杖の遣い手、ナマドリウスⅣ世猊下にご挨拶申し上げます。アレクシ・ペルトラと申します」
「至尊なる神の代行者、聖杖の遣い手、ナマドリウスⅣ世猊下にご挨拶申し上げます。アレクシの妻、ヴィルヘルミーナと申します」
「愚禿への丁寧な挨拶痛みいります、ペルトラ夫妻」
従者によって持ち込まれた椅子に猊下は座られました。警備も遠く、従者も極めて少ない。広い聖堂にぽつんと三人。人払いがなされています。
猊下は懐より宝石箱を取り出し、わたくしたちの寄進した魔石、“世界の涙”を取り出されました。
「先日、あなたたちの部下であるという冒険者たちが愚禿に寄進したいと持ってきてくれたものです」
「はい、お納め下さい」
「篤い信仰に感謝を」
わたくしの言葉に猊下はそう言うと二度聖印を掲げて祈りの言葉を口になさいました。わたくしたちに祝福して下さったのです。
「さて、愚禿はあなたたちのこの魔石に、おそらくは大いなる秘密があるとみました」
「ご慧眼にございます」
そう言うと猊下は面白そうな笑みを浮かべます。
「あなたたちの送った冒険者は、この素晴らしい魔石を手にするに至った素晴らしき冒険の物語を語らなかったのですよ。そして褒美もねだらず、ただ手紙を渡してきただけ。愚禿が教皇となりナマドリウスⅣ世を名乗ってはや二十年、このような者はおりませんからな」
それは……確かに。自分達がどれだけ危険な冒険の結果、手に入れた宝を捧げるのか。宝の価値、ひいては自分達の価値を示さない者はいないでしょう。
「気を悪くされたら申し訳ありませんが、万が一にも盗品であってはいけませんからな。この大きさを誇る魔石について調べましたが、どこからも盗難されたという話はなく、これと同じ形状・色の石もない」
「いえ、そのご懸念は当然のことかと。至尊なる神に誓って、これは盗品ではありませんが」
「ええ、ええ。勿論です。またお会いして確信しました。あなたたちの魂はそのように濁ってはおりません」
ナマドリウスⅣ世猊下の深い深い青の瞳がこちらに向けられます。心を見極める神眼と呼ばれる瞳。
わたくしは思わず大きく息をつきました。
「しかしてあなたにいただいたこの魔石は、冒険によって得たものではない。そうですな」
「お分かりに……なられますか」
「流石にこの大きさの魔石が産出されるような魔物が出れば愚禿の耳に届きますとも。ダンジョンの踏破もですな。それにあの冒険者たちからはそこまでの武威を感じませなんだ」
全て見透かされている。しかしその上で、わたくしたちが悪心によって動いてないと考えられているからこそ、こうして拝謁できたのでしょう。
「はい。その秘密を、パトリカイネンの王にすら隠してきた秘密を猊下にお教えしたいのです」
「それは恐悦」
わたくしはレクシーに頷きます。彼は事前に決めていた通りのゆっくりとした所作で脇に置いていたトランクを開けます。
そこからミーナ13号を取り出すとトランクを立ててその上に設置しました。
わたくしも立ち上がります。
「猊下、これがわたくしたちの秘密です」
わたくしがミーナ13号に魔力を込めると、少しの時間の後にからんと乾いた音。
引き出しを開け、作ったばかりの5カラットサイズの魔石を手の上に乗せ、猊下の前で跪き差し出しました。
皺だらけの猊下の手が魔石を摘み上げ、月明かりに翳します。
「……魔石を……創造なさいましたか」
「はい」
猊下は逆の手でぴしゃりと禿頭を叩かれました。
「これはこれは。古竜を倒して得たと言うよりも刺激的な話ですね」