第76話:ごっこ
ソファーに座るわたくしの横にはレクシーがいて、手を握ってくれています。彼の肩に身を預けるようにしてうとうととしてしまいます。
ええ、昨夜は結局寝ていませんもので。午後のおやつをレクシーと一緒している時につい眠くなってしまいましたわ。
「ミーナ、寝てしまっても構わないんだよ?」
「いえ……」
レクシーが肩に手を回し、ぽんぽんとゆったりしたリズムでわたくしの身体を叩くと、瞼がだんだんと落ちていきます。
意識はしばし薄らとした覚醒と睡眠の間で彷徨い、レクシーの体温がより深い眠りに誘うのですが、……部屋の中でごそごそする音でふと目が覚めます。
「……狩りの時間ですわ」
ヒルッカの声。わたくしの目の前で、なぜかヒルッカが台の……ひっくり返した葡萄酒のケースですわね……上に立ち、使用人たちと向かい合っています。
「命令は一つ。わたくしたちをこそこそ嗅ぎ回る鼠たちに死を!」
彼女はにやりと笑みを浮かべ、びしっと扇で入口を指します。
「行け」
使用人たちから拍手。
「ミーナ様かっこいー!」
「なかなかあの台詞は言えない」
「すごい」
「これは演劇にすべき」
わたくしの頭が僅かに揺れます。レクシーが音を立てないように拍手しているからですわね。
「…………いや、ちょっとあなたたち!?」
「あ、奥様。おはようございます」
「ええ、おはよう……じゃなくて、なにをしてますの?」
ヒルッカは首をゆるりと傾げます。
「ミーナ様ごっこでしょうか」
「ミーナ様ごっこ!?」
ヒルッカは木箱の上で綺麗に腰を折ってお辞儀をします。
「奥様の勇姿を旦那様にお伝えせねばと」
「ちょっとまっ……!」
止めるべく立ち上がろうとすると、レクシーがわたくしの腰と腕を取って座らされます。
「俺が頼んだのだよ。昨夜、何をしてたのか、詳細を教えるようにと」
「し、知らなければ何の責任もないですのよ?」
彼は首を横に振り、茶色い瞳で見つめてきました。
「ミーナが何をしたのか知るべきだと思う。夫として」
レクシーの視線が逸らされ、ヒルッカの方へ。続けて、との言葉に頷いた彼女の前で、手を後ろ手に縛られて地面に跪かされた振りをしたセンニが、憎々しげにヒルッカを見上げます。
「このような真似をしてタダで済むと思うな……!」
やめてぇ……。
…………。
「このような真似をしてタダで済むと思うな……!」
わたくしはエントランスに椅子を持ち込んで、夜襲の情報を聞いていました。作戦本部のようなものですわね。
明け方も近くなった頃、わたくしの前に引き摺り出されてきたのは壮年の男。額を切ったのか雑に血の染みた包帯が頭に巻かれて連れてこられます。手を後ろ手に縛られた彼はそう言ったのです。
「あら、ご挨拶ですわね」
彼は王家の影たちの長とは言わずともわたくしの監視をしていたリーダーなのでしょう。それを可能なら捕らえてくるように伝えていたので。
部下たちが優秀で何よりですわ。
「ヴィルヘルミーナ、仮にもペリクネン公爵家の娘であり、王太子殿下の婚約者でもあった貴様が王家の影たる我らに歯向かうとはどういう意味か分かっているのか!」
わたくしは立ち上がり、頬に手を当てます。
「貴族なればこそあなたたちを尊重しても良いですが、平民のわたくしにとってそれがどんな価値があるのやら存じ上げませんわ」
「貴様ぁ!」
激昂には高笑いで返しますわ。
「だってあなたたち、平民の手で壊滅するような有様ですものねぇ? そんな無様を晒して恥ずかしくないのかしら。いえ、そもそもわたくしたちがそこまでの力を付けていると気づけていないとはとんだ節穴ですわね」
男の顔が怒りに赤黒く染まります。
「我らを殺しても他に影はいる、そして王家は貴様を許さぬぞ」
「ふん、承知の上ですわ。王家の影が、真に王家に忠実な長い手であれば良かったのです。ですがその手は腐敗した」
「愚弄するか!」
「イーナ・マデトヤ嬢の暗殺の阻止、わたくしの名誉を貶めて彼女を讃える流言。前者はともかく、後者を王が不在の時に行ったのは何故?」
「……王太子殿下もまた尊きお方、彼の命とあれば従うのが当然だ」
「愚か者め!」
わたくしは扇で彼の頬を打ちます。
「王妃教育を受けた者にそのような虚言が通じはせぬ! 王位継承の争いで余計な血を流さぬため、影は手出し不可であると知らぬと思うな!」
応えはない。わたくしは椅子に座る。
「王国のためでなく王太子のために動いたという段階で、汝らの忠誠とやらは無価値よ。エリアス殿下の方が傀儡向きと貴族に雇われでもしたのかしら?」
「ふん、知らんな。拷問などされたとて何も話さんぞ」
「……そういえば東方では飢えた鼠を尻の穴から入れて、腑を食い散らさせる拷問というのがあるらしいですわね」
周囲の者たちの顔が青褪めます。
「わざわざそんな面倒なことはやりませんわよ。殺しなさい」