第75話:猟犬
税制というのは常に社会の発展としての経済活動に遅れるものですわ。
貨幣経済が発展していない古代、税とは物納と賦役でした。自らの土地で収穫した穀物の一部を納め、公共事業、例えば治水のための労役を行なわされる訳ですわね。
貨幣経済が発展して、直接生産を行わず取引を行う商人階級が増え、そこから税を取るために市場税・入市税・関税・営業免許税などを課すようになると。
さて、ではわたくしたちA&V社には何の税が課されるのでしょうか。
わたくしたちは市場で『何も売っていない』のです。王都内だけで魔石を動かさなければ関税もかかりません。ちなみにペリクネン領で作成した魔石はまだそこまで移動させていませんし、一部の持ち運びには冒険者を利用しています。彼らは冒険者ギルドにより収入を天引きされるという形で納税していますが、代わりに武装と移動に関する特権を有しているためです。
商業活動を行わない前提で関税が不要なのですね。
そう、つまり現行の税制でわたくしたちは、A&V社は捕捉できない。
公的記録の残る収入、例えば魔術学校などに魔力の多い人間の情報を売ること、もちろんこれは申告していますが、会計上は鑑定機の開発費と相殺している形ですから、ほぼ無収入となっています。
ではこの屋敷や使用人はどう雇っているのでしょう。
これは王都中央銀行からの借金と、後援者からの寄付という形で運用しています。
魔石をクレメッティ氏に売却ではなく預け、それを担保に借金をしているのですね。わたくしたちが魔石を作っていることはまだ明らかにしていませんから。
徴税人を長期的に騙すことはできないでしょう。借金を無限に行える訳ではありませんし。ですが短期的、具体的には昨年の税収を騙すだけならこの上なく有効ですわ。
…………さて。
「みなさん」
先日のように屋敷のエントランスホール脇の階段の踊り場に立ち、階下のホールに集まる者たちに声をかけます。
「A&V社の忠実なる社員たるみなさん」
先日と異なるのは、まず今が夜半であること。シャンデリアの魔石燈は消され、街の灯りもほとんど消えた静寂の時間帯。吹き抜けとなっているホール上部の窓から落ちる冴え冴えとした月光と、ホールの壁際にいくつか灯された灯りが、闇の中に彼らの影を浮かび上がらせます。
「狩りの時間ですわ」
そしてもう一つ、ここにいる者たちは全てが戦える者だということです。
ヤーコブはじめ、護衛たち。正規の護衛ではないですが、いざという時に主人を守れるよう武術の心得のある使用人。オリヴェル氏と一門の魔術士。社で雇った冒険者、特に斥候職のもの。
今宵に限ってはレクシーですらもこの場には連れていません。彼の手は、未来を創る彼の手は、わたくしのように血塗られてはならないのだから。
「命令は一つ」
応えはありません。夜襲に声を出すような愚か者などいない。
集まる者たちの熱気が揺れたような気がします。
かつてイーナ嬢を殺そうとした時、父の使っていた暗殺者など雇うべきではなかった。今ならわたくしも至らなかったと分かります。
志を同じくして、訓練された集団。必要なのはこれでした。
「わたくしたちをこそこそ嗅ぎ回る鼠たちに死を」
そう、わたくしたちが今まで騙していたのは徴税人ともう一つ、それは王家の影などと呼ばれる者たち。
王太子によって身分を剥奪されたわたくしが、王家に叛意などないと、最初は慎ましやかに、途中からはミルカ嬢ら王都の若い貴族の令息・令嬢たちと交流など持って、大人しくしているよう見せ続けていたのです。
「鼠たちには魔石粉に標識となる術式をかけてあります」
無料魔力診断所とて、見方を変えれば慈善事業です。貧民街に近いところから始めたのも、飴を配っているのも平民への施しに見えるでしょう。
利潤があまり出ていないのも、商売が下手に見せるための偽装でもあります。
「そしてその居場所は有り余る魔力で探知術式をかけ、捕捉し続けています」
砂のように細かい屑魔石を屋敷の周辺に散布してあるのです。付着したそれらの位置をオリヴェル氏の一門の方々が探知術式でどのように移動しているか長期に渡って調べて貰いました。
普通であれば誰もこんなことはできませんわ。魔力がどれだけあっても足りませんもの。
でもここには無数の魔石があり、必要な魔力を補えますからね。
「隠れている場所の分かった鼠など、何の脅威にもなりませんわ」
ですがこれからの仕事は舞台の表に出なくてはいけませんから。
必要なのは無理な偽装を続けることではありません。彼らの目を、手を潰すことです。
「後は仕上げに刈り取るだけです」
わたくしは口元を隠す扇を閉じ、鮫のように歯を見せた笑みを彼らに晒して宣言します。
「行け」
王都に猟犬が放たれました。