第7話:洋燈の下で
家に入ると、ある程度の掃除がなされていたのでしょうか。開け放たれた窓からだいぶ傾いた夕陽に照らされた部屋が見えます。
部屋には大量の箱詰めされた荷物。その前で呆然と絨毯も敷かれていない床に膝をつくアレクシ様。玄関の左脇になぜかある竈と台所。
奥には狭い階段があり、2階に上がれるようになっています。右には扉。開けてみるとトイレ……の奥に大きな盥? トイレで洗濯をするのでしょうか?
この建物全体でも公爵家のエントランスホールよりも小さいのですが、まあ仕方ありませんわね。
「2階に上がってみますね」
返事がありません。壁にドレスの裾を擦らないように注意して上へ。2階は上がってすぐのところに扉があり、それを開けると単純に一部屋しかありません。下が水回りなどで狭かった分、少しは広く見えます。部屋の壁は一部が収納となっていて、家具はベッドが1つあるのみ。
ここで2人で寝ろという意味の当て付けでしょう。昨日まで眠っていたベッドよりはもちろん小さいのですが、それでもこの家の大きさを考えれば充分大きなベッドですし、外壁などの古さに反してベッドの布団は新品でした。
「さて、どうしたものでしょうか……」
呟きながら再び下へと降ります。……踵の高い靴でこの狭い階段は怖いですわ!
「アレクシ様」
「あ、ああ……」
彼の手の中には壊れた硝子の破片。
「お手が傷ついてしまいますわ。一度手を離して。
ちょっともう夜まであまり時間がないので先に灯りの用意などしなくては。洋燈などそちらの箱にありますか? そういえば部屋に暖炉もありませんわね」
「すまない、ちょっとショックで取り乱した。……洋燈はあるはずだ。急いで探そう」
わたくしは箱を開けて中身を見ます。乱雑に投げ入れられたであろう本や書類が輸送中に傾いたか箱の中で雪崩をうっています。
「平民の家に暖炉はない。暖炉には税が課せられているからな」
アレクシ様は立ち上がりながらそう仰います。
「まあ、寒い日はどうされるのかしら」
「あれば火鉢を使うか、布を被るか、なければ我慢するんだ」
彼は台所へ向かい、屈み込むと床に手を当てました。なんと床の一部が外れて穴が空いたのです。彼はそこに身を乗り出して中から荷物を引き出しました。
「ああ、一応洋燈や油は用意されてあったぞ。流石に魔石式のではなかったが」
魔石とは魔獣の身体やダンジョンから産出するものであり、魔力が結晶化したものとされています。
公爵領は魔石の一大生産地だったこともあり、屋敷では魔石式の灯りしかありませんでしたが、これは油を燃焼させる形式のものであるようです。
アレクシ様が洋燈を点火すると赤みを帯びた炎の光が灯り、それからほんの少しして日が落ちました。危ないところでしたね。彼がそれを梁にかけて部屋が明るくなるようにしました。
わたくしは箱の中からクッションのようなものが何個か見つかったのでそれを床に置きます。
そして二人で並んで座りました。ため息の音が重なります。
アレクシ様は首元に手をやり、白の蝶ネクタイを解いて箱の上に投げ捨てます。
「さて、どうしたものか。君は……」
「ヴィルヘルミーナです。名前をお呼びください」
「あー、ヴィルヘルミーナさん。これからどうします?」
「どうする、とは?」
「正直、ここに住むのは貴族のお嬢様には難しいのでは?」
なるほど、生活の心配でしたか。もちろん、世間知らずのわたくしがここで共に住まうのが厳しいのは間違い無いでしょう。
「確かに困難は大きいと思います」
「例えばどこかで宿暮らしをしていただく訳にはいかないのでしょうか?」
「別居ということですか」
アレクシ様は頷かれました。わたくしは首を横に振ります。
「宿暮らしを続けるための資金の問題もありますが、少なくともしばらくの間、この家は殿下の手の者に見張られているかと存じます。わたくしたちのどちらかがこの家を離れて生活することを許さないでしょう」
舌打ちが響きました。
どのみち、わたくしはここを離れて生きていく術はないのです。
公爵家から放逐され貴族ではなく、令嬢としての価値も失った。平民として生活する力はなく、修道院の門を叩こうにもあの枢機卿の手の届く範囲では無理でしょう。
「俺みたいな男といきなり結婚させられて、嫌じゃないんですか。
平民で、お貴族様の従僕みたいに見目が良いわけでもなく、女性の扱い方も知らず、頭でっかちのひょろっとした貧相な奴だ」
ふふふと笑みが溢れます。
「アレクシ様、わたくしの前の婚約者はね。
王族で、見目だけは良くても、常識も知らず、乱暴で、婚約者に仕事をさせているのに暴言を吐く、馬鹿な浮気者だったのですよ?」
アレクシ様はぎょっとした表情で周囲を見渡し、ため息をつきます。
「もし聞かれていたらどうするんだよ」
「彼はわたくしにとことん嫌がらせをしたいのであって、殺しはしないから大丈夫ですわ。ねえ、アレクシ様、あなたとエリアス殿下、どちらが良いと思います?」
「……そうだよな、その王子のせいで俺たちはハメられてるんだよな。王子はないわ」
「そういうことです。不束者ですがよろしくお願いいたしますね、旦那様」