第59話:登城
「んふふふふ」
わたくしの左薬指の根元で炎を閉じ込めたような、赤く揺らめく光が輝きます。
「えへへへへ」
手の角度を変えると、その炎を取り囲むような小さな星々が煌めきます。ブリリアント・カットされた無属性の魔石です。
「奥様、またですか」
ヒルッカが呆れたように声を掛けてきます。
「だってー」
「はいはい、素敵でございますからお仕事をなさってくださいね。随分と休憩が長うございますよ」
わたくしはソファーに身を投げ出します。
「ああっ、ヒルッカが冷たいわ!」
「あれから何日経っていると思っているのですか」
わたくしの誕生日にレクシーから指輪をいただき、それから数日は侍女やメイドたちが「素敵、素敵」とちやほやしてくれたのですが、段々と対応がおざなりになってくるのを感じます。
「もうっ! 仕事はちゃんとしているわよ!」
「ええ、そちらは本当に有能でいらっしゃる」
ちなみに先日、アールグレーン卿とお会いした時にこの指輪をして行ったら、「既婚者だった、だと……」と何やら衝撃を受けた様子でふらふらと帰って行ってしまわれました。
「あのヴィルヘルミーナお嬢様がこんなにちょろくおなり遊ばされるとは、我々使用人一同も慮外でしたが、幸せそうなのは何よりでございます」
彼女はそう言いながらも優しい笑顔で、わたくしが休憩に飲んでいた紅茶の茶器を下げさせます。
「ちょろくなんてありませんー」
そこに別の使用人が銀盆に未開封の手紙を載せて持ってきました。不安げな表情を浮かべながら。
「あの……奥様……また」
見なくても分かります、これで三通目ですからね。内容は同じ、エリアス王太子殿下からの登城の命令ですから。
最近は王家の使者が来ようがわたくしとレクシーが出迎えることもせずに執事のタルヴォに対応を任せていました。
すると手紙で登城の命令が来るようになったのです。
わたくしはペーパーナイフで封を切り、文面を流し読みします。
「そろそろ呼び出しに応じてお城へ行ってこようかしら」
「危険では?」
「そうね。とは言え、殿下も権力に飽かしてわたくしを拘束しようと当家に兵を派遣して来てはいない。その分くらいは譲歩してあげてもいいわ」
ずっと放置していればそれこそ不敬罪で牢に入れられるかもしれませんしね。
こうしてわたくしは一人王城の前に立ちます。
かつて何度も足を運んだ場所ですが、今となってはここより先は全て敵。そのつもりで参ります。
通されたのは謁見の間ではなく王太子殿下のための棟です。
応接室に通されてしばし待ちます。
茶と菓子が供されましたが、それに口をつけることはありません。ただ、茶が冷めるのを待つのみです。
侍従が何も言わず冷めた茶を下げ、新しく淹れられたそれも再び冷えた頃、殿下の訪が告げられました。
「エリアス・シピ・パトリカイネン王太子の御成である!」
わたくしは立ち上がると、開かれた扉の方を向き、ドレスの裾を翻して跪きます。淑女の礼ではなく床に両膝を突き、両の手を胸に当てて頭を垂れます。
「なっ」
侍従の声が聞こえましたがわたくしはこの姿勢で動きません。
衣擦れの音と鎧の擦れる音が聞こえてきます。近衛を伴ったエリアス殿下でしょう。彼は部屋の入り口の辺りで蹈鞴を踏むように躊躇した気配がします。
わたくしが一口も茶を喫しなかった報告はいっているでしょう。茶器を持ち、飲むふりすら致しませんでした。
これは明確な不信と拒絶の表現。
そして今のわたくしの礼は、平民が王族と会う時の正式な作法です。わたくしの立場を明確にしたものです。
「……久しいな、ヴィルヘルミーナ」
頭上より声が掛けられました。
わたくしはそれには応えを返しません。それもまた作法ゆえに。
これは園遊会の時のように『気さくに』話してなどさしあげないという意図を示したものです。
頭上でひそひそと言葉が交わされ、侍従が声を上げます。
「王国の暁たるエリアス・シピ・パトリカイネン殿下は汝に直答を許可すると仰せである。面を上げよ」
わたくしは後退しつつ目を伏せて立ち上がります。
「重ねて告げる、面を上げよ」
ここで初めて目を上げます。
久しぶりに目にする、王太子らしき美しき顔。ですがその美しさはわたくしの心をいっさい揺らさない。
「久しいな、ヴィルヘルミーナ」
再び彼はそう告げて改めて挨拶とします。ですがわたくしはそれには返しません。
「ヴィルヘルミーナではありませんわ。ペルトラ夫人とお呼びください」
彼の眉がピクリと動きます。わたくしは重ねて言葉を続けました。
「わたくしをヴィルヘルミーナと呼んで良い方は、この場にはいらっしゃいませんわ」
わたくしは左手の指輪を撫でて見せます。ペルトラ夫人であるとの証を。






