第57話:贈り物
ミーナが3番事務所でトラブルがあったと、茶会を中座して急に出かけた日。
俺も出かける準備だけはさせられていたが、結局問題はなかったようだ。しばらくして彼女の馬車が戻ってきた。
「結局、今日のトラブルはなんだったんだ?」
その日の夜、ミーナに尋ねる。彼女は氷炎の大魔術士、オリヴェル・アールグレーン卿がやってきたという話をし、とりあえずの対処はできたと言う。
そして彼女は一つの箱を手渡してきた。
「これが彼の作った魔石ですわ」
「……凄まじいな」
オリヴェル・アールグレーンと言えば若き大魔術士として、新聞の紙面を賑わすような男だ。流石というか何というか……。
箱の中には彼の作り出した5カラットあるという鮮やかな黄色の魔石。それを前に話を続ける。そんな中、彼女はふと呟いた。
「そういえばわたくし、彼に令嬢と間違えられてしまいましたわ」
びくり、と肩が震える。
「そ、そうか」
話を終え、今日は彼女が入浴するとのことで先に席を立った。侍女のヒルッカさんも後を追って部屋を出る。
俺は椅子の背もたれに背を預け、ため息をついた。
なんとなく、壁際に控える女性使用人の視線が痛い気がする。
ここの使用人たちは女性比率が高い。そして少ない男性使用人は護衛や御者など屋敷の外にいることも多いため、なおのこと家の中は女性が多い。元々、貴族の令嬢であったミーナに仕えていた者たちだから仕方ないのだが。
俺は彼女たちに声を掛けられず、数少ない男性である執事のタルヴォさんに声をかけた。
「タルヴォさん」
「旦那様、私のことはタルヴォと」
「ああ、……タルヴォ。彼女に既婚者である証が必要だろうか」
女性使用人からの圧が強くなった。
タルヴォは視線を部屋に投げかけ、咳払いを一つ。使用人たちが視線をわずかに逸らした。
「これは難しい問題ですな。我が国や近隣諸国の貴族間では婚約の際に男性から女性へ宝石の付いた指輪を贈ることが、結婚に際しては互いに石のない、日常使いの指輪を贈り合うのが一般的です。ただ、貴族社会に出入りしないような平民の方々の間にこの習慣は広まっていないでしょう」
「そうか」
つまりタルヴォは、今まではともかく貴族社会に出入りするようになったミーナが、将来的には俺もかもしれないが、指輪をしていないのがおかしいと言っている訳だ。
それ故にミーナがアールグレーン卿に未婚と間違えられたと。
「旦那様と奥様の場合は特殊ですからな。そもそもお二人は婚約をされていた訳でもなく、突然のご結婚で式も挙げておられません」
俺は手を前に出して言葉を止める。
「皆まで言わなくていい」
「は、差し出がましい口を失礼いたしました」
タルヴォが頭を垂れる。
忘れていた。というか、考える余裕がなかった。
騙し討ちのような結婚で、勲章と共に妻ができ、何も準備されてない転居を余儀なくされた。
愛どころか名前も知らないところから始まり、それでも彼女は献身的に俺を支えてくれた。
俺が彼女の献身に報いていないとは思わない。ミーナと名付けた魔力結晶化装置は俺たちに富をもたらし、彼女のかつての使用人たちも呼び戻してやれた。
「…………だが花一つ贈ってやしない」
思わず拳を握り締めて呟く。
平民たちであっても貴族ほどの豪華なものではないが、婚約の際には腕輪くらいは贈る。当然のことじゃないか。
「結婚の証となる指輪は互いに贈り合う習慣ということだから、ヴィルヘルミーナと相談して決めるとしよう」
「はい、それが良うございましょう」
「その上で、……いや、その前に彼女に贈り物をしたい。婚約の指輪に相当するものを」
壁際できゃあと女性たちの歓声が上がった。
「奥様も喜ばれましょう」
「旦那様っ!」
メイドの一人が手を胸の前で組んで、キラキラとした瞳で俺を呼ぶ。
「なんだろうか?」
「奥様には秘密にしておきますねっ!」
……サプライズにしろと言うことか。
「ありがとう。ついでに聞きたいが、どんな名目で渡せば良いだろうか? 婚約指輪じゃないからな」
「……奥様のお誕生日ではいかがでしょうか、ちょうど来月の7日でございます!」
俺は天を仰いだ。
季節は秋。ヴィルヘルミーナと結婚した春の勲章授与の日から、既に半年と少しの月日が経っている。
この間に彼女の誕生日が過ぎていなかったことを、俺は神に深く感謝した。






