第53話:クレーム
イーナ・マデトヤ嬢がペリクネン家に入った様子です。王宮から彼女を乗せた馬車がペリクネンのタウンハウスに向かったと。
これは王都の民衆も目撃しており、新聞にも記事が載っていました。
これから彼女はイーナ・ペリクネンとなるのでしょう。
「それにしても王太子妃としての教育は進んでいるのかしら」
「大変みたいですよ」
わたくしの呟きに答えたのはミルカ様です。
彼女はしばしば屋敷へと遊びに来てくださるようになりました。そうしてお小遣いを稼いでくださるのです。
「王宮に仕えている兄からは、彼女につけられた家庭教師たちの愚痴がよく聞こえてくると言ってました」
王都での噂は平民となったわたくしでも入手することができますが、王宮内のことはどうあっても届きませんからね。
ミルカ様たちは、礼法の女家庭教師がマデトヤ嬢の教育が上手くいかずに体調を崩されたとか、マデトヤ嬢自身もお窶れになったとか、エリアス殿下も癇癪が増えたとか、嘘か真かは分かりかねますが、エリアス殿下の抜け毛が増えたとベッドメイクの下働きが言っていたとまで。
「それでもペリクネンへの養子には予定通り入れたのですわね」
わたくしがそう言って考え込むと、彼女たちはよよとハンカチーフを目元に当てられました。
「わ、わたくしは大丈夫ですわよ、みなさまお気になさらないで」
わたくしを追放したペリクネン家にマデトヤ……ああもうマデトヤではないのですね、イーナ嬢が養子入りしたことに心を痛めていると誤解させてしまったのでしょう。
「ただ、イーナ嬢が王宮を離れられたということは、少なくともある程度は教育が進んだということでしょうね」
「このお屋敷の使用人は元々ヴィルヘルミーナ様に以前からお仕えしていたと伺いましたが、ペリクネンのお屋敷の噂は入っておられませんか?」
わたくしが壁際に控えていたヒルッカをちらりと見ると、前に出てきました。
「まだイーナ嬢が養子入りされてからの噂は入っておりませんが、部屋の模様替えに業者が入っていたことと、家庭教師が招かれていることは存じております」
「ふーん、養子入りの書類上の話だけではなく、滞在されるつもりなのね」
「さすがに全くペリクネン家に入らないとなると、外聞が悪いのでは?」
彼女たちが新たな噂のネタについて話していると、別の使用人が近づいてきて耳打ちしました。
「奥様、ご歓談中申し訳ございません。3番事務所で問題が」
「あら」
3番というと王都北の魔力鑑定所ですわね。
わたくしは扇で口元を隠します。
「責任者を出せと仰る方がいらした様子です」
「事務所の責任者では対処できなかったのね?」
彼女が頷くのを見て、わたくしは使用人たちに指示を出します。
「わたくしが向かいます。ヒルッカはわたくしに代わり、お茶会の女主人役を」
「かしこまりました」
「誰か、研究中の旦那様にわたくしが3番事務所へ向かったとことづけて。わたくしが対応しますが、万が一に備えて外出着の用意だけしておいて」
わたくしはお茶会の皆様に中座する失礼を謝罪します。
「いいのよ、ヴィルヘルミーナ様!」
「そうですよ、しっかりお仕事なさって!」
こうしてわたくしは急ぎ馬車へと乗り込んだのです。
「それで、どういったクレームなのですか?」
わたくしは尋ねます。
そもそも鑑定相手からお金を取っているわけではないので、そもそもクレームなどまず発生し得るものではないのです。
これが流行している新参の店であれば、同業者からの嫌がらせや、みかじめ料を要求するヤクザ者もやってくるのでしょうが、令嬢だった頃にわたくしの護衛をしていた者が必ず事務所に立っていますし、わたくしたちは『何も儲けていない』ので、そういった方たちから何か要求されたこともありません。
「鑑定結果に納得いかないという方がおりまして」
「なるほど。マニュアル通りの対応では引き下がりませんでしたか?」
鑑定結果に納得がいかないというクレームに関しては、ご不満ならまた後日何度でも鑑定を受けていただいて構わないという旨と、あくまでもこれは簡易なサービスであり、ちゃんと鑑定の魔術が使える魔術師に依頼すべきとお伝えするようマニュアルに記載しています。
それで今までは全て収まっていたのですが……。
「ええ、それがですね、鑑定結果が『正確で』納得できないという方が」
んんん?
「正確なら良いことですわよね?」
「それを言い出したのがオリヴェル・アールグレーン卿で……」
ええと……。
わたくしは思わず馬車の中で天を仰ぎます。
「魔術学院の天才教授、若き俊英じゃないですか……!」
確かに王都北方の3番事務所は魔術学院から比較的近いですけども!
事務所に近づくと特にトラブルがあった様子には見えません。いつも通りの行列ができています。
これにアールグレーン卿が並んでたというのですか?
わたくしは急ぎ、事務所の応接室へと向かいました。






