第47話:就寝
屋敷の水回りは全て改修したそうなので、新品の浴槽に浸かります。
猫足のついた花柄の陶器、湯には香油が垂らされ、フローラルな香りがわたくしの裸身を包みます。
「ふぅ……」
「奥様、湯加減はいかがですか?」
湯浴みの世話をする使用人が声をかけてきます。
「ええ、ちょうど良いわ」
浴槽からだらりと伸ばしたわたくしの腕を、泡立った布で擦りながら彼女が尋ねます。
「少し、日に焼けられましたか?」
「そうね、出歩くことも多かったし、日傘も差さなかったから。肌も荒れてると思うわ」
「おいたわしや……これからはしっかりとお手入れさせていただきますね」
「ありがとう、でもほどほどにね」
今のわたくしは平民なのですから。公爵家令嬢だった頃のように金を湯水のように使うことはできませんし、身分的にもそこまで華美なものを纏うことはできませんもの。
「何をおっしゃいますか。服や宝飾品に関しては身分による制限があるとしても、身体の美しさに制限はかけられないのですよ」
「ふふ、そうね。ああ、でも香水は制限があるかしら。麝香を平民が使うのは好まれないとか、色々と学んだわ」
「そういったものも我々にお任せ下さいまし。どちらにせよ奥様には花の香調のものがお似合いかと」
風呂から上がると、全身を丁寧に拭われます。
「旦那様は?」
「先に寝室にいらっしゃいます」
そう言うのはヒルッカ。別のメイドがわたくしの髪の水気を拭う間に、わたくしの正面に屈み込んで、細い筆でウエストに香水をそっと塗りました。
そして真紅のナイトガウンを羽織らされます。
「おかしくないかしら?」
わたくしはくるりと鏡の前で軽く回りました。
「素敵でございます」
「じゃあおやすみ」
「ご健闘をお祈りいたします」
……それはどうかしらね!
寝室に入ると薄暗い部屋の中、アレクシ様は文机に向かって書き物をされていました。
彼の周りだけが魔石洋燈の白い光に照らされて闇に浮かび上がるよう。
「ご熱心ですわね」
「あ、ああああ。ミーナか。うん。ちょ、ちょっと思いついたことがあったからそれだけ書いてしまおうかなと」
わたくしは壁際から蒸留酒の瓶を取り出し、水で割ったものを二つの酒杯に用意します。
それをベッドの脇のローテーブルに置き、アレクシ様の書き物を後ろから覗き込みました。
大きなラッパのような形状の設計図。きっと魔素集積装置ですわね。
覗き込まれたのがよほど驚いたのか、びくり、とアレクシ様が身を起こし、その弾みでレクシーの後頭部がわたくしの胸にあたり、そして机に突っ伏しました。
ごつり、と鈍い音がした気がしますわ。
「大丈夫ですか? 申し訳ありません、驚かせてしまったみたいで」
わたくしがレクシーの額を覗き込もうとすると、再び思いっきり仰け反られました。
「い、いや大丈夫だ。痛くない。痛くないぞ!」
わたくしが身を離すと、彼は机に向き直り、ペンをインク壺につけて書こうとして首を捻り、再びペンをインク壺につけて紙の上に手を置いて固まり、ペンをペン立てに戻されました。
そして両肘を机について手を額につけて項垂れます。
「ダメだ。脳細胞が衝撃で働かない」
「額をおぶつけになったから……」
「後頭部の問題なんだがなあ……寝ましょう」
「少しお酒を飲んでお話ししませんか?」
わたくしたちは広いベッドに並んで腰掛けます。
グラスを軽くぶつけて口にし、酒精の薫りを楽しんだところで尋ねます。
「まだ、わたくしを抱く気にはなりませんか?」
レクシーが咽せました。
「な、にを……」
「わたくし、レクシーに好意を抱かれていると自負しているんですけど」
わたくしは話しながら脚を組みます。ナイトガウンの裾からふくらはぎから先、くるぶし、足の甲、つま先と白い肌が光を照り返します。
レクシーは慌ててそっぽを向きました。
「別に見ていただいてよろしいのですよ?」
「は、はしたない、ですよ」
「貴族的な求愛の言葉や仕草はもちろん学んでおりますけど、レクシーには直接的に言わないと伝わらなかったりとぼけたりされると思いますから」
ぐぬぬ、とレクシーは唸りました。
「まだご自身に自信がない?」
「……それは、そうだ」
「以前とは雲泥の差ですわよ?」
「それはぼさぼさで身嗜みに気を遣ってなかったのを君が整えてくれたからで」
なるほど、そこで意識が止まってしまっているのですね。
「その時よりも素敵になっていることをご存じない?」
怪訝な瞳を向けられました。
「何を」
わたくしは身を寄せてアレクシ様の頬を撫でます。避けようとする彼を宥めるようにそっと。
「肉付きも良くなられました。まだ痩せ気味ですが頬のこけているのが明らかに薄れてきたのはお分かりになるでしょう?」
「……ああ」
「それにあの頃は段々と気を抜くと猫背になられていたのが、今はなくなりました。実験の成果が出たことが大きいのでしょう。所作や言動に自信が見られるようになりましたわよ」
「……実験とか、研究とか。そういうものには」
「女性にはまだ自信がない?」
「……うん」
わたくしはしばし考えます。
「やはりあれでしょうか、殿方の象徴がとても小さいとかそういう」
「違うからな!?」
「わたくし小さい頃の弟のものしか見たことありませんし大丈夫ですわよ?」
「だから違うから! ……学生時代にこっぴどい振られ方を何度かしてな。今でも女性がちょっと怖いんだ」
なるほど。ちょっと話を聞いてみると、向こうから好意的に近づいてきて、こちらが気になった素振りを見せたりデートをした後に断られるようなのが続いていたと。
まあ、当時のレクシーが外見に気を遣っていたのかは分かりませんが、貴族的な平民への嫌がらせも半分くらいは混じっている気がしますわね。
「慣れていきましょう」
「えっ?」
「過去に囚われていても仕方ありませんわ。未来に向けて慣れていくのです。とりあえず、今日は手を繋いで寝てみるのはいかがでしょうか?」






