第45話:弟と執事
「若様、ユルレミ様」
「なんだ、タルヴォ」
ある夜、執事のタルヴォ、元々はヴィルヘルミーナ姉さん付きであった執事が僕に声をかけてきました。
「私めにお暇をいただきとう存じます」
暇か……。彼の様子を上から下まで見ます。ピンと伸びた背筋を綺麗に腰から折ったお辞儀。一分の隙もない彼が職を辞するとして思い浮かぶ理由はただ一つ。
「タルヴォ。……姉のところへ行くのか?」
「は、あの方から馳せ参じるよう仰せつかりました」
「ふむ……、君だけか?」
「我ら全員を」
我らとは僕の姉さんの従者・侍女だった全ての人員ということだ。僕が伯爵となったのに応じて増える使用人に紛れさせていたけれども……。
「今、領地の方に行っているのもいるから、どちらにしろ全員同時には無理だね。順次送っていくのと、新人を入れて引継ぎをしながらなら構わないよ。元々そうなるだろうと思っていたし」
「は、感謝いたします」
それにしても、一気にか……。
「A&V社ねぇ。今のところ変な無料診断所を始めただけだけど、姉さんはどうやって儲けているんだろうな」
知られざる魔力保有者を発掘するというのはその技術が確立されたというなら面白い考えだし、その情報自体は高く売れるものだと思う。
でもそれでは当時の使用人全部を引き抜くには全然足りない……はずだ。彼らへの給与はもちろんの事、それを雇って働かせるための場所、つまり屋敷も用意するということを意味しているのだから。
「それは私の口からは申せません」
分からないではなく申せないという彼の口ぶりからも判断できるが、タルヴォは間違いなく知っている。姉さん付きの侍女やメイドたちが無料魔力診断所の受付として働いていたらしいし、その儲けのカラクリは伝達されているだろう。
「姉さんにとって信頼できる身内で固めている。情報漏洩を避けるために。今住んでいる王家の監視付きの家から越すということは、監視されづらいところに移動するという意味もあるだろうけど、王家から警戒感が高まるということでもある」
「御慧眼です」
僕は机に肘を突き、頭を支える姿勢をとった。
実際どうなのだろうか?
「拙速にすぎる気もする。だが拙速は巧遅に勝るということか? 例えばこうやって一気に引き抜くことで、姉さんは僕が父に告げ口すると考えないのだろうか」
タルヴォは笑みを浮かべて言う。
「あの方のお心を推しはかるのは不敬かもしれませんが……」
「ふふ、姉はもう平民だ。気にせず言ってみてくれ」
「若様が我ら使用人たちを保護して下さったことに対する恩返しの一端のおつもりかと。仮にこれでペリクネン公に伝わったとてお恨みには思いますまい」
つまり、僕に対する告知だと?
姉さんは言うんだ『これから嵐が行くわ、気をつけて!』と。彼女こそずっと暴風雨の中、自らの命が脅かされていると言うのに。
これだからあの人は……。
「つまり、大きく動き出すという警告か。僕がペリクネン家と共倒れしないようにする機会を与えると、そう言いたいのか。公爵家令息にして伯爵である僕に向けて平民がずいぶんと不遜なことだ」
「若君の血を分けた姉君ゆえに」
「タルヴォ。僕ごときでは姉さんの、あの鬼才の思考に追いつくこともできなければ、彼女の元に馳せ参じることもできない」
彼の眉根に皺が寄った。
「それは……公爵家次期当主としての責任であり柵ゆえに仕方ないことでしょう」
「だけどそんな僕でも、今のうちなら勝ち馬に乗っておけるかもね」
勝ち馬に乗る? いや、負けた時の保険ができるのが正しいかな。
僕は引き出しの裏のボタンを操作する。がたり、と壁の本棚がずれた。
隠し金庫を開けて、手紙の束をタルヴォに渡した。
「こちらは? 全て若君の印章により封蝋されておりますが」
「僕が信用できると思う若い貴族令息・令嬢への紹介状、それと懇意にしている商家のものだ。僕の服を仕立てている店のものもある。それと……僕個人で雇った情報屋から王家や教会、父に関する情報の写し。きっと数手先で必要になるだろう」
「充分、姉君の思考を読まれているのでは?」
「いや、僕は姉さんが何をするかがそもそも分かっていないからな。ただ、中央に影響を与えようとすれば当然必要となるだけだ」
そして小箱を取り出して渡す。
「これは?」
開けてみるよう促す。中には指輪が一つ。大粒だが少し古いカットのルビーを小粒のダイヤモンドが取り囲む意匠。
「母の遺品だ」
「なんと……!」
「義母に奪われていたからな。掠め取ってレプリカと交換しておいた。姉さんに継がせてくれ」
僕のもとにあっても、ペリクネン家が嵐に沈めばこれも手放さなくてはならないかもしれないからな。それなら姉さんが持つ方がずっといい。
「何か、お伝えすることは?」
「これは貸し……いや……、必要ないな。お幸せにと」
「必ず、必ずや伝えておきます。我が主人に代わり、最大の感謝を」