第42話:使者
我が家の前に重厚な造りの馬車が停まり、馬車の中から煌びやかな服を身に纏い、書状を捧げ持った使者が狭い玄関の前に降り立ちました。
よくこんな狭隘な道を王家の馬車で走ろうと思ったものです。貧民街にも近いこの場所に王家の馬車が停車するなど初めてのことではないでしょうか。
近隣の住民たちが様子を見にやってきて、馬車の向こうからこちらを覗き込もうとしては、使者の護衛を務めている兵たちに追い返されています。
「王国の若獅子、暁の君たるエリアス・シピ・パトリカイネン王太子殿下のお言葉を告げる!」
使者が高らかに声を上げ、わたくしとレクシーは並んで頭を垂れました。
「英明なる王太子殿下は家長であるアレクシ・ミカ・ペルトラが王立研究所研究員の職を失ったことにより、今後の窮状に御心を痛められ、慈悲深くも汝らに手を差し伸べんとされている。
ついては、ヴィルヘルミーナ・ペルトラを王太子付き専任文官として召し上げるものである」
わたくしは面をあげ、使者を見据えて口を開こうとしましたが、手が横に差し出され、わたくしの発言を止めました。レクシーのものです。
彼は一歩前に出て言いました。
「お断りします」
あら、レクシーが庇ってくれるだなんて。
「なんですと?」
「まず前提が間違っています。俺は研究所を解雇されたのではなく辞職したのです。我々のこの先の生活のことも見通しが立っており、殿下からの援助は不要です」
「殿下の温情を断ると申すか!」
「温情ではない、どう考えても温情ではないでしょう。俺が職を失ったことに対して援助するというなら、俺を文官……ではないな。例えば技師として雇うというなら理解できます。ですが、妻を召し上げるというのは筋が通っていませんね」
そう、おためごかしに過ぎない。王家で、あるいは貴族たちの間で殿下の立場が悪くなっているのでしょう。そしてそれを止める力が彼やマデトヤ嬢にはない。
なのでわたくしをこんな茶番で連れて行こうとしている。
「ペルトラ夫人! 貴女はまさか殿下からの命を断るとは申しませんな?」
使者がこちらへと向き直ります。
「お引き受けできかねます」
「なんですと?」
「お断りします、と申したのです」
「これは王太子殿下よりの命、勅命に準ずるのですぞ。貴女はそこの男とは違って、元は公爵令嬢と高き地位にいたのですからその意味が分からないはずはありませんな?」
わたくしは手の甲で口元を隠し、高らかに笑って見せます。
「手を差し伸べると言いながら、断らんとすれば命であると脅しますか」
「べ、別に脅しているわけではない」
「たとえ王太子殿下の命とて、国王陛下の威光を翳す、あるいは王国を傾けるようなものであれば断らざるを得ませんわ。わたくしが忠実な臣民だとしても」
「何?」
「使者殿は紋章官とお見受けします」
「いかにも」
「ではお尋ねいたしますが、わたくしは何の紋章を掲げて城門を通れば良いのでしょうや?」
「ぐっ……、ペリクネン公爵家の紋章にバツを掛けてはいかがか」
盾にバツを入れるのは家門を放逐された時などに使われるやり方ですわ、とは言え、それは紋章を保有していればの話。何も持たずに公爵家を追い出されたわたくしにそのような用意があるはずもなく。
「その紋章のご用意が見当たりませんわね。それと、見ての通り当家に馬車はないのですが、もし紋章が用立てられたとして、辻馬車に紋章を掲げさせればよろしいのですか?」
「馬車くらいそちらで用意するのが当然であろう!」
当然ですとも。貴族であれば、ですけどね。
「それは窮状に手を差し伸べると矛盾いたしますわね。そもそもわたくし、平民の女であるのですが、王城勤務の文官の職は女性に開かれたのでしょうか?」
使者の方の顔色が段々と悪くなっていきます。
「……いや。だが殿下が特例として」
「その特例を作れるのは陛下か、議会ですわ。そのどちらかの印の捺された、わたくしを文官として登城させる許可証はございますか?」
彼はハンカチで額の汗を拭いました。待っても返事がありません。
「では無理ですわね、そう殿下にお伝えくださいまし」
使者の方は舌打ちし、踵を返そうとします。
「あ、そうそう」
わたくしは彼を呼び止めます。
「これは独り言なのですが、殿下は次はわたくしをマデトヤ嬢の侍女として雇おうとなさるかもしれませんわねえ」
「……そうかもな」
「城で貴人の世話をする侍女は、原則、親が子爵以上でないと認められませんよ。もちろん紋章官でしたらご存じとは思いますが」
「そう伝えておく」
「どうせお伝えするなら、子爵位と、紋章つき馬車とそもそも馬車の停められる大きさの屋敷と、城に相応しいドレスと宝石と化粧品を贈っていただけるなら、お話くらい聞いて差し上げますわ。そう殿下にお伝えくださいまし」
隣に立つレクシーは思わずといった様子で吹き出しました。