第35話:研究の方針
「職場……研究所の奴らさ。どうにも俺が気に食わないと」
ふむ、やはりそうでしたか。わたくしは頭を下げます。
「アレクシ様、申し訳ございません」
「ヴィルヘルミーナ……、君のせいではない」
「いえ、わたくしのせいでもありますわ。わたくしとアレクシ様が園遊会で仲睦まじい様子を見て、あるいは耳にして。アレクシ様に蛮行を働いたのではございませんか?」
アレクシ様はちょっと口籠ってから答えられます。
「……そうであるとして、やはりそれは君の責任ではないよ」
ふふ、お優しい。
血のついた布を始末したセンニが声をかけます。
「旦那様、奥様。夕飯は出してしまって宜しいでしょうか」
「ああ、頼む」
「ところで今日のスープは東方風の辛味のあるもので、付け合わせの果物がオレンジなのですが大丈夫ですかね」
アレクシ様の顔から表情が落ちました。
辛くて熱いスープをふうふうと冷ましながら、左唇の切れた箇所に当たらないように頭を傾けながら食事をなさいます。
「明日からは刺激の少ないもの、食べやすいものに致しましょう」
「……頼む」
食後、片付けはセンニに任せて、わたくしはお茶を淹れてアレクシ様と向かい合いお尋ねします。
「アレクシ様のご研究についてお伺いしたいのですが」
「うん」
アレクシ様はお茶を飲もうとして痛かったのか、一度机の上にカップを戻されました。
「お勤めの研究所ではまだアレクシ様の研究は行っていないのでしょうか」
わたくしが横になった後、アレクシ様がごそごそと起き出して、少しずつ作業を進めているのは存じております。
昼にその内容を確認して整理していますし。
「ああ、未だに上が開発の許可を出さないからな」
「上司の方々はアレクシ様の私的な研究についてはご存じなのでしょうか」
「どうかな……研究所の方で開発をするよう発表したことはあるけど、どうせ碌に聞かれてはいないし忘れてるかもな」
アレクシ様は渋い顔をなさいます。
過去の発表で散々だったとでも思い起こされたのでしょうか。
「発表したということは、彼らの手元にアレクシ様の研究内容があるということでしょうか?」
「あいつらが保管しているかもわからないが、あいつらを信用していないからな。発表のものにはわざと穴を作ってあった」
アレクシ様は自嘲するように笑われる。
「発表の際に不備を理解して突っ込んでくるようならそこを補完する情報をちゃんと渡したが、誰も尋ねては来なかった。気づかない馬鹿共なのか、平民の話など聞いてもいないのか」
「それは幸いですわ」
「幸い……? ああ、あなたは俺に研究所を辞めさせようとしているのか」
アレクシ様が気づかれ、わたくしは頷きます。
「はい、いつかはそうしていただきたいと思っております。アレクシ様が研究を完成させたとして、あなたの上司や貴族たちがその成果を奪おうとするでしょうから」
「……それは理解できる。いつかは、とは?」
「アレクシ様の研究が一部でも形になる頃に……でしょうか。
仕事をお辞めになれば、その情報はすぐにでもエリアス殿下のところに行くでしょうから」
「なんらかの横槍が入るかも……か」
「今、ご研究はどのようなご進捗でしょうか?」
「そうだな……」
アレクシ様によると人工魔石の作成には大きく分けて二つの研究を完成させねばならないとのこと。一つは周辺の環境から魔素を集積する技術、もう一つは高濃度の魔素を結晶化する技術。
「どちらが難しいでしょうか?」
「一概に言うのは難しい。これは相互に関連しているものだからだ。
あー説明するのは難しいが……分かるだろうか」
「王都の大気中の魔素を1としたとき、それを機械の中で2に集積するのは平易だが10にするのは難しい。千の魔素を結晶化するのは難しいが百万の魔素を結晶化するのは平易。
そういうことでしょうか」
アレクシ様は驚きを顔に浮かべます。
「なぜ分かるんだ」
ふふふ、わたくしは笑みを浮かべます。
「わたくしアレクシ様の研究内容を拝見し、纏めていますもの」
「それで理解できるのだから研究所のやつらよりよっぽど優秀だよ……」
アレクシ様が不満を口にし、わたくしはお茶を口にしつつ少し考えます。
彼がどう研究すれば早く完成するか。それには研究所を辞めさせることが必要です。つまり、研究所で他の研究に駆り出されていてご自身の研究ができず、しかもこうして暴行を受けているとなれば百害あって一利もありません。
ちょっと言い過ぎですか。多少の利はあっても研究は阻害されている。
ではどうやったら早くお辞めになることができるのか。
おそらくはこう。
「アレクシ様。結晶化の研究を優先し、試作願えますか?
かかる金額については必要な機材など言っていただければ、こちらで後援者と交渉いたしますので」