第22話:王太子の苦難
仕事が多い。
王太子として、将来王となる余に課せられた学問であり仕事である。その量は父たる陛下が帰還なされてから明らかに増えた。
正直に言って不平は溜まる。
明らかに陛下は余がヴィルヘルミーナを平民に落としたことに、婚約を解消したことに不服なのであろう。
「だからと言ってこれはやり過ぎであるな」
余が呟くと、そばに控えていた内務長が眉を動かす。
「やり過ぎとは、如何なさいましたか」
余は目の前に積まれた書類の山を叩く。
何枚かがはらりと落ち、近侍の者はそれを拾って元に戻した。
「この量だ! 帝王学やら国際情勢を学ばせる時間がかつてより増えているというのに、公務の代行まで増えていたらどれほど時間があっても足りんではないか!」
内務長は眼鏡を押し上げつつ首を傾げた。
「はて、時間が無いとは? 昨日もマデトヤ嬢との茶会に時間を割かれていたと記憶していますが」
イーナと茶を共にしたが、それはさしたる長き時間でもなかったはずだ。
「休息すら取らせぬ気か!」
「いいえ、効率を考えた時に適度な休息は取っていただいて構いませんとも。ですが休息を取れる以上、時間がないなどの泣き言は許されませんぞ」
余は立ち上がり、内務長にペンを突きつける。
彼は瞬きすらせずに余を睨み続ける。
「貴様、不敬であるぞ」
「陛下の御下命ゆえに。泣き言を言わせず次代の王として相応しいところを見せろと」
ちっ、と舌打ちが漏れる。
椅子に座り、公務に戻った。この堅物に話すだけ時間の無駄だ。
しばしさらさらと紙をペンが走る音のみが部屋に響く。
「エリアス殿下」
「何だ」
「御公務を続けながらで構いませんので、老骨の小言をお聞きくださいませ」
「……言ってみよ」
手を動かすのを止めず、ちらりと目をやると、内務長は余に向けて深く頭を下げていた。
「勉強の量が増えているのはここ二年ほど殿下が学習に割かれる時間が減ったためでございます。そして特に両陛下が御幸遊ばされている間は教師の元へも行かれなかったためでございます」
……イーナと仲を深めるため、そしてヴィルヘルミーナを遠ざけるために動いていたからな。
「確かにその側面があったのは認めよう。だがそれを一時に詰め込もうとするのは無理があるのではないか?」
「陛下にエリアス殿下が学業を疎かにしていた旨を詳細にお伝えして良いのでしたら、ペースを落とすよう教師たちに伝えますが」
「……やめよ」
それをされたら余の立場が危うい。
「畏まりました。それともう一つ、殿下の仕事が増えているとの件ですが、仕事の量はほとんど増えておりません」
「馬鹿なことを吐かすな。この書類の山はどうしたことか」
「以前もお伝えしましたが、ペリク……殿下の以前の婚約者殿が御公務を代行しておられました」
余はペンを止める。
「それは以前も聞いた。だがその分を足したよりも明らかに増えていよう!」
「はい、ですが違うのです。私たちも殿下が彼女を追い出すまで、彼女の真価に気づいておらぬ凡愚であったのですが……」
内務長は苦渋を顔に浮かべる。そこには罪の意識があるように感じられた。
「あの方は殿下の行わせた仕事に加え、殿下の仕事の手伝いもなさっていたのです。
毎朝晩、エリアス殿下の御公務の仕分けをし、書類をやりやすいように並べておくことであるとか、必要となる資料を先んじてその机の上に置いておくことであるとか、ペン先を交換したりインクを補充させておくとか。
個々の内容は極めて些細なことであるかもしれません。ですがそれには殿下の行う内容の広範な知識と思いやりがなくてはできないことでございます」
「あの女が? 馬鹿な」
「真実でございます。エリアス殿下の仕事が増えているのではございません。効率が落ちているのでございます」
ヴィルヘルミーナ、あの女が余のためにそこまで気を配っていただと?
確かに小賢しい女ではあった。女だてらに王族のなす公務や議会の内容まで調べ、余の学ぶべき内容まで先んじて理解していた。
王妃教育というものはある。だがそれは礼儀作法と社交と外交に関わることだ。自国や隣国の王侯貴族の知識は余を支えるのに必要である。
しかしあの女は貴族年鑑まで目を通して頭に入れた上で、こちらの話にまで口出ししてくるのだからな。
ヴィルヘルミーナに公務を回していたのは事実である。余がそう命じたのだから。だがそれをこなす以上に、あの女が自発的に余の公務をフォローしていただと?
余の手の中で羽根ペンの軸がぼきりと折れた。
インクがじわりと白い袖を黒く染めていく。
「袖を汚した。着替えて休息を取る。……文句は言うまいな?」
「行ってらっしゃいませ。ペンはこちらで片付けておきます。マデトヤ嬢にも先触れは出しておきますので」
内務長は近侍の者に声をかける。そうして執務室の扉が数時間ぶりに開かれた。