第18話:小切手
そんなある日、アレクシ様がお仕事に出かけられている時、ヒルッカが様子を見に来ました。
わたくしはかねてから機会を窺っていたことを思い出します。
「ヒルッカ、時間はあるの?」
「ええ、ヴィルヘルミーナ様」
「少々、王都の中心部まで出かけたいのです。供をなさい。それと護衛を一人雇いたいのです」
「護衛ですか、少々お待ちください」
そう言うとヒルッカは外に出て、すぐに男を一人連れてきました。
平民の服装をしていますが、帯剣しています。見覚えのある顔ですわね。
「あら、かつてわたくしの護衛を勤めていた者ですわね」
「はい、こちらはヤーコブと申します。今もペリクネン家に勤めていて、わたしがこちらへ来る時、護衛に付いて来て貰ってますので」
ヒルッカが紹介し、彼はぺこりと頭を下げました。
「そう、ありがとうね、ヤーコブ」
「は、勿体無いお言葉で……」
以前ここに連れられてきた日のデイドレスを着付けて貰い、センニに留守番を頼みお出かけです。アレクシ様がいない時で、わたくしに着いてきてくれる者と、留守番をしてくれる者がいる機会はなかなか揃いませんでしたからね。
辻馬車を拾って王都の中央に向かいます。
小さな家々が建ち並ぶ区域から店や屋敷が建ち並ぶような区域へ。民の服も見るからに質が変わってきます。
ヒルッカが周囲に聞こえないように扇で口元を隠して尋ねます。
「今日はどちらへ?」
「まずは銀行ね」
王都中央銀行の窓口へ。受付の紳士に小切手を換金したい旨を伝えると、直ぐに奥の応接室へと通されました。
ふむ? ちょうど良いと言えばちょうど良いのですが。
「お初にお目にかかります。ヴィルヘルミーナ様。当銀行の頭取のクレメッティと申します。小切手の換金はいま行っておりますので、ここで少々お待ちください」
「初めまして、クレメッティさん。でももう、様と呼ばれる身分ではないわ」
「天に飛ぶ不死鳥が地に落ちたとしてその価値を損ねることがありましょうや?
あなたが不当に身分を落とされた理由は存じております。あれが王太子であることには暗澹とした気分ですよ」
ふふ、そう言ってくれるのは嬉しいのだけど。
「いけないわ、クレメッティさん。わたくしは政争に、あるいは女としての戦いに負けた身なの。どこに耳があるかはわからなくてよ」
「そうではありますが……。陛下も情けないものです。御幸から帰還なさり、あなたのことを知ったでしょうに、あなたの名誉回復をなさらないのですから」
彼は熱心にそう語ってくださいます。
ありがたい一方で、警戒はせねばなりません。迂闊に肯定してしまった途端、壁の裏から兵が出てわたくしを捕らえることがないとは言い切れませんから。
「それは王太子殿下に汚名を被せることと同義ですわ。それと教会にも。わたくしとアレクシ様の結婚は枢機卿猊下が祝福をくださったのですから」
クレメッティさんは苦虫を噛み潰したような表情をなさいます。
「ヴィルヘルミーナ様、しかしそれではあなたの人生が……」
「わたくしは今、アレクシ様の妻であることに不満はありませんわ」
わたくしが態度を変えなかったので、彼も諦めたのでしょう。大きく息をつくと、こちらを正面から見つめました。
「他に御用向きはございますか?
わたしにできることならなんなりと」
わたくしは懐から小袋を取り出します。
中には大粒のものはありませんが宝石の類が入っています。
「こちらの換金か、換金できるお店を紹介していただけますか?」
「宝石商を呼びましょう、このままお待ちください」
そう言うと壁際に控えていた秘書の方に声を掛けられました。
今着ているデイドレスに付いていた石を取り外したものや、持ち出した僅かな貴金属。その鑑定と現金化をしていただきました。
買い取りの値段はわたくしの想定していたよりは色を付けて買い取っていただけたのでしょうか、少し高かったように思います。これと小切手を現金化して預金しなおしたことで、平民の給与十年分位の口座が完成しました。結局、数時間はかかりましたがこの銀行だけで用事が済んだのは良かったと言えるでしょう。
「また御用命ありましたらお気軽にご連絡ください」
「ええ、その時はよしなに」
頭取のクレメッティさんに礼を言って銀行を後にします。
帰り道、ちょっとだけ手元に残した現金で、カフェへと入ります。
「ヒルッカ、ヤーコブ、今日はありがとうね」
一緒の卓に着くのをヤーコブは辞退しましたが強引に座らせて、三人でケーキと紅茶を楽しみます。
「いえ、とんでもない。
頭取さんは随分と親身になってくださいましたね」
「そうねえ、わたくしの身柄を狙っているのかもと警戒していたけど、そんなこともなさそうだったわ」
二人はぎょっとした気配を出します。
「そんな危険が?」
わたくしは首を竦めました。
「それはそうよ。平民落ちした貴族だなんて。それこそ捕らえられて娼館でも連れていかれる可能性だって考えていたわ」
没落した高位貴族の娘は女家庭教師や侍女になれれば良いですが、そうでなければ娼館に流れるのが一番多いのですからね。






