第15話:いつかそんな未来が
「あなたと最初に会った時、王太子殿下の婚約者だったが、彼の浮気を正当化するために嵌められ家も追放されたと言っていた」
「ええ」
アレクシ様は顔を顰めます。
「だが王都では悪虐非道な婚約者ヴィルヘルミーナをエリアス殿下が断罪し、新たな婚約者として心優しきイーナ・マデトヤ令嬢を婚約者に据えたという話が流れている。
また殿下はヴィルヘルミーナを処刑することなく貴族としての位を褫奪するにとどめた仁君であるとも」
はっ、仁君とは聞いて呆れますね。
「アレクシ様はそれを聞かれてどう思われましたか?」
「……俺は王侯貴族には興味はなかったし、そもそも平民がそれに関わることなどないんだ。
だからそういう噂が流れていればなんとなくそういうものなのかと思って生きていたよ」
まあそうでしょうね。平民である彼が、それも真面目な研究者であろう彼がそういった階級の真実に触れる機会などそうそうないでしょう。
わたくしが頷くと彼は続けます。
「だが、きっとそういう噂というのはきっと誰かが意図的に流した嘘なのかなと思った」
わたくしの頬がつい緩むのを感じます。
「もちろん全ての噂が真実ではありませんし、逆に全ての噂が虚構であるわけではございません。
ですが、支配者は意図的に民衆を統治しやすくするための噂を流します。逆に支配者へ反発するもの、例えば敵対している国や領があれば、それは民衆の不安を煽るような噂を流すものです」
アレクシ様はため息をつかれました。
「我が身に降り掛かって知るのも情けない話だが……」
「そういうものでしょう。なぜ噂の方が嘘で、わたくしが言った言葉を真と思われましたか?」
「仁君がいきなり望んでもいなかった妻を褒美として渡すものか。ヴィルヘルミーナが悪虐非道ということについてだが……」
彼は言い淀みます。
「ふふ、大丈夫です。仰って下さい」
「初対面でいきなり叩かれたこともあってな。……まあ俺にも非はあったとしても、きっと貴族らしい高慢な女なのかなと思っていた」
「……今はどうでしょうか?」
「あなたは平民である俺の妻として、それを望んでもいなかったはずなのに俺の言葉を聞き、俺を立ててくれているように思う。
そしてヒルッカ嬢があなたを追いかけてきたことを考えると、貴族の女主人として悪辣でもなかったのではないかと」
「殊更に悪辣ということはありませんし、逆に善人という訳でもありませんが、わたくしは身分に相応しい振る舞いを常に心掛けているだけです。そして相手にもそれを求めてしまいますの。だから、あの叩いてしまったのは申し訳なかったのですけど……」
アレクシ様が手を前にしてわたくしの言葉を止めます。
「いや、謝罪は不要だ。あの時の俺の服装や所作はあの場に相応しくないと、あなたに叩かれる程に不調法な平民だと判断されたということだからな」
「…………はい」
「イーナという女を虐めたというのは嘘なのか?」
「ええ、誓ってそのような振る舞いはしませんわ」
アレクシ様は安堵された様子。
「じゃあ暗殺しようとしたというのも嘘か」
「いえ、それは本当なのですけど」
がくりと彼の身体が揺れました。口を開けて何か言おうとして言葉にならない様子。
「もちろんわたくしは彼女と殿下の関係について、口頭、及び書面にて注意していますが、彼らはそれで改めることをいたしませんでした。
貴族が平民を無礼打ちにするように、公爵家令嬢であったわたくしに対して男爵家如きがとって良い行動ではございません。故に殺そうとしました」
「……それが貴族として相応しい行いだった?」
「そうですね。結局はそれが失敗に終わったのですが」
「その、あー、不貞だか浮気を法の場で糾弾するわけにはいかなかったのか?」
「仮にも一国の王太子の評価を下げることは国家として望ましくありませんわ」
アレクシ様は顎に手を添えられて考え込まれます。
「それが君の立場だったということか。……暗殺というのが正しいのかと言われると俺には答えられん。でも少し理解はした」
ふふ、こうしてわたくしの心を慮ろうとしてくださっていること。嬉しく思いますわ。
「今でも王太子や国家を大切にしたいと思う?」
「両陛下は悪い方々ではないのです。ですが結局、王太子殿下の増長を黙認していた訳ですしね。さすがに愛想も尽きました。あとペリクネン公爵家にも」
「そうか、俺もだ」
アレクシ様が笑みを浮かべ、わたくしも笑いました。ああ、二人で笑い合えたのは初めてかもしれませんね。
「もしいつか、俺の研究が成功して、評価されて、それなりの地位に就けるようになったら……」
「はい」
「ヒルッカ嬢や他の従者たちをヴィルヘルミーナの使用人として招けるといいな。さあ、夕飯を食べよう。冷めてしまったか」
視界が、アレクシ様の顔が滲みます。
「……はいっ」
そう、いつかそんな未来が来ると良いですわね。