第12話:王太子の誤算
「ふはははは、ついにやってやったぞ! あの女狐めを平民へと叩き落としてやったわ!」
余は王城の離宮、王太子がための居城にて快哉を上げた。
喜びの声もあがろうと言うものだ。
ヴィルヘルミーナ・ウッラ・ペリクネン、余の婚約者であった女。多少見目の良い女であったことは認めよう。だが次期王たる余の気分を害することしかしない女であった。
ペリクネン公爵家は王国の貴族として最も豊かであり、魔獣共との戦いもあって兵も精強。王家からしても最も気を遣わなくてはならぬ家であり、余とあの女の婚約は幼い頃から定められておった。
だがまずそれが気に食わん。余の人生の伴侶は余が決めるべきだ。
そしてあの女は同い年でありながら常に小煩く勉強しろだの執務しろだの不敬な発言を続けてきたのだ。
「でもいいのかな。ヴィルヘルミーナさん可哀想だわ」
「おお、愛しのイーナよ。何と優しい慈悲の心、まるで翼なき天使のようだ。だが悪しき者には相応の罰が必要なのだ。そして美しく心優しきものにはそれに応じた地位が」
余がイーナを抱きしめると、彼女はえへへと笑みを浮かべた。
高位の貴族令嬢どもの上っ面の微笑みに比べてどれほど愛らしいことか!
「ではイーナよ、この離宮に部屋を用意してある。早速今日からここに住まうと良い」
「ありがとうエリアス!」
彼女と唇を合わせる。
イーナとは幾度となく口付けを交わしてきたが、それはいつでも天上の甘露が如き甘やかさ。
手を取らせることと社交の場でのダンス以外の接触を拒んできたあの女とは違う。
公爵家でも後妻との仲が悪く、そこから家族の中でも溝のあったヴィルヘルミーナを平民へと落とした。
男爵令嬢であるイーナは王太子たる余とでは家格が釣り合わぬが、ペリクネン公爵家の養女としてから嫁がせることで問題はない。
彼女を養女とし、またあそこの嫡男を余の側近とすることでペリクネン公は余の後ろ盾を続けるとの誓約もさせた。
教会の枢機卿すら使ってのこの手際、父王や貴族院とて異論など挟みようがあるまい。
「明日からイーナには王太子妃としての教育を受けて貰う。
なに、あの女にもできたのだ。イーナなら余裕であろう」
「うん、わたし頑張るね!」
彼女は両手で拳を握って見せた。
「詳しくは侍女より聞きたまえ。
余も午前中は公務を行う。午後には共に城内の薔薇園でも散策しようではないか」
「うん、待ってるね!」
こうして余の人生における最良の一日を終えた。
だが翌日、余が公務をこなすべく機嫌よく執務室へと赴くと、机には書類が山のようにうず高く積まれていたのであった。
「何だこの書類の山は! 貴様らは整理もできんのか!」
部屋に立ち、文官どもを指揮して書類を運ばせていた内務長が答える。
「こちらは殿下の御裁可を待つ書類にございます」
「なぜこんなにあるのだ。斯様に多いはずがあるか」
「いいえ、当然の仕儀かと」
「ふむ? 説明することを許そう」
全く、つまらん理由なら叩き切るぞ。
「理由は二つ御座います。一つは両陛下が外遊なさっているのですから、その分の代行としてのご公務が増加しております」
「うむ、当然だ。だが先日までこんな量はなかったぞ」
今の余は国王の代行であるからな。とは言え、両親が王都をパレードと共に出立してからもう半月程だ。公務の肩代わりは行っているが、これまで書類仕事が特に増えてはいなかったはずだ。
「そこで二つ目ですが、殿下はこれら仕事を全てペリクネン公爵令……あー。ヴィルヘルミーナさんに回されていたのを覚えておられますか?」
「なに?」
内務長はため息をついた。
「覚えておられないのですね」
「記憶にないな」
「左様ですか。彼女はここ数年、殿下が行うべき決裁のうち8割を担当されていました。陛下が外遊のため、その代行として増えた分に関しましても半月前に一度こちらに運び込みましたが、『そんなものはあの女に任せれば良いだろう』と殿下は仰ってましたがそれもご記憶にないので?」
言った……ような気もするか?
正直ヴィルヘルミーナを追い落とすための工作に忙しくしていたからな。そのような些事は記憶に残っておらん。
「あの女ごときにできる内容ならお前たちでできるだろう」
「殿下は王太子としての印章を婚約者である彼女に渡しておられた。本来はそれも非常に宜しくないことですが、それゆえに彼女が書類の決裁を行うことができたのです」
「貴様、どうも表現が不快だな」
「申し訳ございません」
男は申し訳ないとも思っていないような平坦な声で頭だけはきっちりと下げた。
「印章は彼女のための臨時の執務室から保管箱ごと回収してそちらの机の上に置いてありますが、いかがなさいますか?」
「どうするとは?」
「王家の印章を我々文官にお預けになって宜しいので?」
「馬鹿な、それでは誰が王か分からぬではないか」
「結構なことです。それでは決裁をよろしくお願いいたします」
そう言って内務長は山のように書類の積まれた執務机を指し示したのだった。