第10話:片付け
さて、アレクシ様が出仕されました。本当はその間に買い物に行きたかったところではありますが、女性一人では危険という口振りでしたし家にいるとしましょう。
とは言え家の中でわたくしができることは限られています。アレクシ様の荷物の片付けです。
「勝手に触られるのは嫌がられるかもしれませんし、重いものはそもそも運べませんが……」
それでもいくつもの箱の中に乱雑に詰め込まれているよりはずっと良いはずです。
アレクシ様が先に本棚を出していたので、そこに本を詰めていきます。
タイトルを眺めると『ダンジョン毎の魔石の品質と性質の違い』『魔獣一覧』『大気中魔素の性質』『魔導工学Ⅲ』……ダンジョンや魔獣についての本が多いため、領地のカントリーハウスで見たことのある本もいくつかあります。
ええ、ペリクネン領は領地が広いこともありますが、領内に魔獣やダンジョンの多い土地でしたので。
本棚にはタイトル順か作者名順か……。先にある程度カテゴリで分類した方が良いでしょうか。
「そうですね。流石にこの『ドキドキ★マリンちゃんのムチぷり❤️パラダイス』が研究書の隣にあったらいたたまれないでしょう」
ほうほう、これはなかなか……。なるほどこういうのがお好みと。
まあわたくしに見られている段階でいたたまれない気もしますが。
本棚に本を詰め、今度は書類の整理です。
研究関連の書類やメモが多いですが、仕事を持ち帰っていたのでしょうか。
走り書きのようなものもたくさんあるので、別途纏めておきましょう。無地の紙もあったので、時間があれば散逸しているものを清書しても良いですね。
それとは別に私信や事務的な手紙、請求書なども仕分けしていきます。
どうしてこういう作業ができるかというとエリアス王太子殿下のせいですわ。
わたくしが殿下の婚約者であった頃、学ばねばならないのは本来、王太子妃としての教育、将来王妃となるためのものでした。
それは大半が礼法や社交に関わることに特化したものです。例えば国際関係、隣国の産業などについて学ぶことも、それは国交という国単位での社交をするための知識なのです。
「ですがあのバカ殿下が……」
ええ、エリアス殿下が王太子としての学習やら将来の国王陛下としての訓練として振られた実務を勝手に抜け出すせいで……。
手元でくしゃりとメモを握りつぶす音がしました。
いけない、つい怒りが。
学習や作業を途中までやって放り出して、わたくしに行わせるのが常態化していましたの。本も書類も放り出してね!
大人たちも癇癪持ちの殿下を諌めるのをあきらめてわたくしに回すことが増えましたし……。
という訳で不本意にもこのような作業が得意になってしまった次第ですわ。
その時間で殿下はあのマデトヤ嬢とやらと、よろしくやっておられたんでしょうけどね!
再び手元でメモがくしゃりと音を立てました。
あとは……、昨日アレクシ様がおそらく大切にしていたであろう壊れてしまった器具を並べておきましょうか。破片で手を傷つけないよう注意して集めておきます。
硝子の破片、歪んだ金属、それとこれは魔石の欠片ですね。
本の傾向からしても、ダンジョンや魔物というより、それから産出される魔石に関する研究を行なっているのでしょう。
わたくしはお昼に休憩して先ほどのパンの残りをいただくと、見つけたペンセットをお借りし、メモ類の清書と纏めを行います。
わたくしが彼にできることは正直あまりない。家事も炊事もできませんし。
お茶会の主催者として美味しいお茶の淹れ方は学んでいますわ。主催者自らお茶を淹れることを尊ぶ文化の国もございますもの。
でもわたくしはこの竈で、お茶を淹れるためのお湯を沸かすことすらやったことがないのですから。
お昼を過ぎ、まだ夕方には早いであろう時間です。扉の鍵が回され、アレクシ様が帰ってこられました。
「おかえりなさいませ、アレクシ様。お早いのですね」
「ただいま。ああ、さすがに早退させて貰った」
まあ、ちゃんとただいまの挨拶を下さいましたわ。
「……これはあなたが?」
彼の顔には驚きが。その視線の先は揃えられた本棚と、箱の上に小分けして纏められた書類、片付けられた実験器具。
「ええ、本の置き方には本当はアレクシ様の使いやすい並びがあると思いますので、差し出がましいかとも思ったのですが。
どのみちああも乱雑に箱の中に詰められていてはと、並べさせていただきました」
「いや、全然構わない。……書類も?」
「私信と事務的なもの、研究内容に分けさせていただきました。研究のものは分野ごとに分けさせて、メモ類は清書しております。まだ途中ですけど」
「あなたが神か」
アレクシ様はわたくしの前に跪き、手にしていた清書のメモを恭しく受け取られます。
「神ではありませんが」
「ありがとう、本当に助かる!」
彼は嬉しそうに笑みを浮かべられました。
わたくしの中がじんわりと温かいもので満たされていくのを感じます。
そう、殿下は一度もわたくしに感謝してくれたことはなかったのだとふと気付きました。