4話
シェリは話せなかった。医者の見立てでは病気ではないようだが、言葉を発する能力が欠如している可能性があるとのこと。ただ、こちらの言っていることは理解しているようで、この数日で反応を見せるようになっていた。
アトレが学園から戻る頃、シェリはいつも自室で本を読んでいる。文字は読めないようで、挿絵を何度も見返しているとメアは報告した。シェリはアトレの声には特に敏感で、メアやロアからの呼びかけよりも瞬時に反応する。いまではベッドからも起き上がれるようになり、メアが教えた通りに食事をするようになった。
「シェリ、今日の夕食は父上たちと一緒にとろう。シェリの両親になる人たちだからね、ちゃんと挨拶をしようか」
学園から戻り、身支度を整えたアトレは日当たりの良い場所に座るシェリに声をかけた。嫌がる素振りは見せず、シェリはアトレの右手を掴む。これはシェリにとっての肯定を示すもののようで、ここ最近のやり取りから、アトレはそれらをしっかりと把握していた。
「シェリ、とても可愛いよ」
薄桃色のドレスに身を包んだシェリの手を引き、アトレは国王夫妻の待つ食堂へと向かった。廊下ですれ違う使用人や騎士に何度かシェリは躊躇いの目を向けた。これまでシェリはこれだけ多くの人とすれ違ったことは無い。慣らして置くべきだったと、アトレは少し後悔する。国王夫妻はすでに席について、2人の到着を待っていた。アトレが言った通り、給仕の人数は最低限とし、シェリの負担をなるべく減らすようセッティングされた場には、穏やかな空気が漂っている。
「いらっしゃいシェリ、会えて嬉しいわ」
「だいぶ元気になったようで安心したよ」
優しげな笑みを浮かべ、夫妻はシェリを歓迎する。シェリは聞き覚えのあるその2人の声に耳を傾け、じっと観察した。
「シェリ、父上と母上だ。なにも怖がる必要は無い」
少し緊張気味のシェリの背を撫で、アトレは席に促した。なるべく落ち着いていられるよう、シェリとアトレが隣に、その向かいに夫妻が座る形となった。シェリのうしろには給仕の為メアが控えている。その日の食事はシェリに合わせ、なるべく胃に優しいものが用意された。
前日、シェリの食事は肉が出された。しかし、胃が受け付けず、食事を戻してしまった。弱りきっていたシェリの胃は、まだ完全には回復していないようだ。しかし、夫妻は簡素なもので構わないからと、シェリとの食事を希望したのだ。
「父上、シェリは言葉が不自由なようです。誰か教師をつけてやりたいのですが」
「なら、ルッツに任せよう。お前の教師を勤めていた男だ。きっとよい教育をしてくれる」
「淑女教育はまだ始めるべきではないわね」
「ええ、あまりこんをつめないようにしてやりたいのです」
シェリは3人の会話がよく分からず、アトレに困ったような視線を送る。アトレは即座にそれに気が付き、心配はいらないと優しく頭を撫でるのだ。
2日後、シェリの教育が始まった。常にメアがそばに控え、シェリが心を落ち着かせていられる環境を作る。教師を勤めるルッツとの初対面は、アトレもいる状況で行われた。
「初めまして姫様、王宮司書をしております。ルッツ・テナードと申します」
ルッツ・テナードはアトレが学園に通うまで、講師として仕えていた男だ。元々は庶民であるが、その優秀さから、文官として王宮務めを始めた。ルッツの仕事ぶりを聞いたアトレは自ら自身の講師として推薦し、ルッツは講師を務める代わりに王宮司書としての仕事をさせてもらいたいと申し出た。彼は、本の虫だったのだ。
ルッツは薄い金髪に片眼鏡をかけた優しい風貌の男で、シェリも怖がらずに受け入れた。さっそく授業に移るようだが、アトレはここで時間切れだ。
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