にゅうめんマンの過去(10)
「極楽浄土にはにゅうめんがないんですか!?」
「そのとおり」
「……シャカムニさま」
「何かな」
「冗談は名前だけにしてください」
「悟りを開いた私も怒るときは怒るよ?」
シャカムニは、ムニムニしている名前の奇抜さを指摘されてちょっと怒った。
「なんで、極楽浄土の住人に最も必要とされているはずのにゅうめんがないんですか」
「極楽浄土には労働が存在しない。だからにゅうめんを作る者もいない」
「極楽浄土の人たちは食事をしないんですか。一品餓鬼道でも、ものを食べないと腹が減りましたよ。すでに死んでいたので餓え死にしたりはしませんでしたが」
「ここの人間もものは食べる。働かなくても食べ物が手に入るだけだ。――例えば、そこの桃の木に実がなっているだろう?」
シャカムニは鶴彦の後方を指差した。鶴彦がそちらを見ると、確かに木に大きな実がいくつもなっていた。
「その桃の実をもいで食べても、すぐにまた次の実が生えてくる。ちなみにその桃は、銀座のデパ地下に売ってある桃と同じくらいおいしい。そんな具合に、極楽浄土にはすぐれた自然の食べ物がたくさんあって、いくらでも簡単に手に入る。食べ物に困らないのはもちろん、ここの住人は毎日おいしいものばかり食べている」
「でも、にゅうめんはない?」
「いかにも」
「だけど、それはおかしいですよ。現にシャカムニさまが極楽からにゅうめんを垂らしてくださったからこそ、僕はここまで上って来られたんじゃありませんか」
「あれは私が趣味で作ったにゅうめんだ。君を救出するためにすべて使ったから、もう残っていない」
「つまり、僕も自分で作ればにゅうめんを食べられるということですね」
「そうだ。ただし、小麦を育てるところからすべて自分でやる必要があるがな。小麦は収穫までに何ヶ月もかかるぞ」
「何てこった。そんなに待てるはずがない。神も仏もないものか……」
「仏は君の目の前にいるようだが」
鶴彦は途方に暮れた。せっかく耐えがたい地獄から脱出したと思ったら、脱出した先も極楽とは名ばかりの地獄だったのだ。
「シャカムニさま」
「何かな」
「僕は極楽浄土では暮らしていけそうにありません」
「こんなにいい所はないのに。それではどうするつもりだね」
「帰ってもいいですか」
「どこへ。一品餓鬼道へ帰ってもしかたないと思うが」
「人間界へ」
「気の毒だが、一度人間界で死んだ者はそこへ戻ることはできない」
「そんな……人間界へ帰りたい。人間界へ帰って温かいにゅうめんが食べたい……」
何週間もかけて必死でここまで上って来たのに、こんなひどいことがあるだろうか。鶴彦はにゅうめん恋しさに涙がこぼれそうになった。シャカムニの顔に同情の色が浮かんだ。




