住所不定の探偵事務所には依頼人が来ない
『雨宮優探偵事務所
失せ物探しを専門とした探偵事務所。
ここに依頼をすると、どんな物でも必ず見つかる。
行き方は特殊で、探し物について考えながら電車を三駅以上乗るというもの。
路線は何でもいいし、なんなら路面電車や地下鉄でも構わない。
ただし、常に探し物について考えなくてはならない。
そうして電車を降りると、目の前に二階建てのビルが現れる。
その一階が雨宮優探偵事務所である。』
1.山姥切国広だった少年の場合(矢切国広 age21)
少年は、将来について考えたことがない。
子供の頃誰もが抱くような漠然とした夢すら、少年にはなかった。
少年の前世は山姥切国広という刀で、主であった暁を守ることも、敵に一太刀浴びせることもできずに折れた。
だからこそ少年は、暁が今世で幸せになることだけを願って生きてきた。
そんな風に自分の事を考えずにいたのだが、中学一年生になるとそうもいかなくなってしまった。
進路希望調査である。
家に向かう電車に乗りながら、少年はそこに何を書くべきかずっと悩み続けていた。
そうして気が付けば、雨宮優探偵事務所の前に立っていた。
少年は建物に入ることなく帰ろうとしたのだが、彼を依頼人と勘違いした雨宮が中に招き入れた。
「なるほど。確かに進路を”探している”と捉えることもできるわね」
雨宮は納得したように呟いた。
彼女の前に座る少年は、「すまない。依頼人じゃなくて」と申し訳なさそうに謝罪する。
二人が居る事務所はいくつも棚が並べられ、そこに見慣れない草花や薬品が置かれていた。
その奥にある古い木製の机に座る雨宮は、黒く長い髪を持ち、黒いワンピースを着ていて、事務所の雰囲気も相まって魔女のようだった。
「別に構わないわ、暇だったもの。
でもなんだか話を聞いた限り、あなたの夢は叶っているんじゃないかしら」
「叶っている……?」
「だってそうでしょう。
その前世の主さんが割と幸せで、貴方自身も幸せだから、貴方はどうしたらいいかわからない。
……そういう話だと思ったけれど?」
言われてみれば、その通りだった。
もし暁や自分に何か不幸が降りかかっているなら、少年はそれをどうにかしようと奔走するに違いない。
そうであったなら、きっと進路に悩む余裕などなかった。
「それにしても、贅沢な悩みね。
それだけ貴方の未来には、沢山の選択肢があるということだもの」
「……だから、困っているんだけどな」
何にでもなれて、どこにでも行けて、だからこそどうすればいいか分からない。
地図もなく荒野をさ迷っているようなもので、少年はただ立ち止まるしかなかった。
「いいじゃない。
貴方はほんの少しだけ、自由を手に入れたのよ。
折角だから、それを楽しみなさい。
でないと、貴方の大事な主さんが悲しむわ」
「……そう、だな。
これからはちゃんと、自分の事も考えようと思う。
ありがとう。邪魔したな」
そう言って、少年は事務所を出て行った。
翌朝。
「あら、おかえりなさい」
「……ただ、いま?」
学校へ向かう電車の中で進路に悩んでいた少年は、再び事務所を訪れていた。
2.矢切国広の場合(矢切国広 age17)
「ああ、やっぱりここに居たのか」
矢切長義が雨宮優探偵事務所を訪ねると、予想通り矢切国広の姿があった。
雨宮の前に座った国広は、少し驚いた様子で振り返り、長義を見つめた。
国広は、しばしばこの事務所を訪れていた。
と言っても依頼人ではなく、そのほとんどが長義に関して悩んでの事だった。
別に喧嘩をしたとか、長義が国広の嫌がることをしたとか、そういう訳ではない。
例えば長義へのプレゼントに悩んでいたとか、デートに着ていく服を迷っていたとか、そういうことだ。
挙句の果てには、そもそも自分は長義に相応しくないのではと悩む始末。
その迷いが『長義に相応しいプレゼントを”探している”』『デートに着ていく服を”探している”』『長義に相応しい恋人を”探している”』と判断された。
長義としてはそもそも国広を手放すつもりはないし、国広なら何を着ても似合うと思っているし、国広から貰う物は何だって嬉しい。
しかしこうして自分の事で真剣に悩む姿は、本人には悪いが嬉しくも愛らしくもあった。
「長義? どうしてここに。あんた、まだ仕事だろ?」
「それは俺の台詞なんだけどね。
ホムラが血相を変えて電話してきたんだよ、国広君と電話が繋がらないって」
ホムラはとある事件で国広達と知り合い、それ以来国広に懐いている怪異だ。
この日国広とホムラは、二人で買い物をしていた。
「でも、俺あいつとちゃんと別れたぞ。なんで連絡してくるんだ」
「二人とも、同じ店で買い物しただろう。
その袋が入れ替わってたから、どうしようか相談しようとしてたみたいだ。
で、家に着いた頃を見計らって電話してみたら圏外で、何かに巻き込まれたのではないかと俺に連絡してきたようだね。
多分ここだとは思ったけど、まぁ無事で安心したよ」
国広は慌てて足元に置いたリュックサックの中を覗き、「本当だ」と呟いた。
買い物を終えていたという事は、買ったはいいが、本当にそれでいいのか悩んでいたのだろう。
見たところ荷物はリュックサックのみで、紙袋の類は見当たらない。
誕生日や記念日が近いわけではないが、服ではなく小さめのプレゼントを買った可能性が高い。
「……で、俺はいつプレゼントを貰えるのかな」
長義が鎌をかけてみると、国広は顔を赤くして俯いた。
図星らしい。
「……そ、それより早く仕事に戻れ。
どうせまた南泉に押し付けて来たんだろ」
国広は捲し立てる様にそう言うと、荷物を両手に抱え、小走りで事務所を出て行った。
「可愛いわねぇ、国広君。
……そんな怖い顔しないで頂戴。深い意味なんてないわよ」
「どうだか、お前あいつと二つしか変わらないし。
それより、ここの術かけ直した方がいいんじゃないか?
依頼人だけを招くためのものだったんだろう」
雨宮の事務所は、昔は普通の事務所だった。
入り口も通りに面していたし、住所だって持っていた。
しかし行方不明事件を何の手掛かりもなく解決したことで、雨宮は警察から疑われ、マスコミから犯人扱いされてしまった。
その事件は犯人が捕まって無事解決したものの、今度は「敏腕美女探偵」として取材が殺到した。
そうした世間の目から逃れるため、雨宮は友人に頼んで、確実に依頼人だけが来るよう事務所に術を掛けた。
しかし実際は、国広のように悩みを抱えた人間が訪れる方が多いようだった。
「ああ、いいのよ。別に。
調整するにはお金が掛かるし。
それに、友達とお話しするのは楽しいもの」
二週間後。
長義は、国広から手作りのブレスレットを贈られた。
瑠璃色の紐と銀色の紐を編み込み、留め具に翠色の石を使ったものだった。
なんでも以前贈った守り石のお礼で、留め具の石はお守り効果のあるパワーストーンらしい。
それをいたく気に入った長義が毎日身に付け、事あるごとに南泉に自慢して鬱陶しがられたのは、また別の話である。
3.山姥切長義の場合(矢切国広 age20)
「……なに、いまの」
一本の細い紐が、雨宮の手のひらに乗せられていた。
紐は赤や黒や茶の糸を複雑に織り込んで作られ、どす黒い瘴気を放っている。
それは依頼人である山姥切長義から伸び、事務所の壁をすり抜けて何処かへと続いていた。
それは、縁だった。
運命の赤い糸という言葉が表すように、縁は糸や紐の姿をして、人や物を繋いでいる。
最もその縁は恋人や配偶者だけに限らず、親や友人、果ては道ですれ違っただけの人も含まれる。
雨宮は幼い頃から、そうした人や物を繋ぐ縁が見え、同時に触れることができた。
そしてその縁に霊力を乗せ辿ることで、その先にあるものを見ることも可能だった。
「居場所、分かったなら教えてくれないかな」
実体を失い半分透けた刀剣男士が、そう催促する。
雨宮は答えるべきかどうか、迷っていた。
彼女に、矢切長義のような霊的な勘はない。
そんな彼女でも容易に危険だと理解できるほど、紐の先にある景色は普通ではなかった。
しかしもしその場所を教えれば、山姥切長義は迷わず向かうだろう。
「……俺の身を案じて何も言わないなら、その必要はない。
矢切長義と南泉一にも同行してもらうつもりだ。
彼らの強さは、君だって知らないわけではないだろう」
本来は、矢切長義と南泉一もここに居るはずだった。
しかし今この場に、二人の姿はない。
というのも、山姥切長義の探し物は存在しないことになっているからだ。
そのため矢切達は探そうと思う事すらできず、ここに来ることができなかった。
そんなことがあり得るだろうかと雨宮は思ったが、同時に山姥切長義が嘘を吐いていると思えなかったのも確かだ。
恐らく本当に山姥切長義は矢切達と合流し、あの場所に向かうつもりなのだろう。
あの二人が一緒なら、雨宮が心配する理由は何処にもない。
「……橋那山っていう看板が見えたわ。
そこに山道があって、道沿いに一つだけ民家がある。
彼が居るのは、そこよ」
雨宮は、静かにそう伝えた。
これだけの情報があれば、問題ないだろう。
そう判断し、雨宮は紐から手を離した。
「承知した。依頼料は後日、矢切長義を通して払うよ。
残念だけど、今はこの体だからね。自分では持ってこれないんだ」
「分かったわ。ご友人、会えるといいわね」
そう言って穏やかに送り出す雨宮からは、紐の先に関する記憶は失われていた。
ふと視線を感じて、ソレは周囲を見渡した。
しかし部屋にはソレと足元で気絶する青年が居るだけで、廊下をうろつく怪異達がこちらを覗いた風でもない。
恐らく視線は外界から、何らかの術――千里眼か探索術によるものなのだろう。
それができるものを、ソレは一振りしか知らない。
より正確に言うなら、ソレを探そうと思えるのは彼しかいない。
「……あんた運がいいな。
もしかしたら、生きて帰れるかもしれないぞ」
自分と同じ顔をした青年に向かって、ソレは心底羨ましそうに呟いた。
ソレは姿形こそ極めた山姥切国広に近かったが、肌は鈍色で、左目がくり貫かれて失くなっていた。
……To Be Continue?
おにいちょぎといっしょ3『山姥切殺し』に続きます。