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3―歩きだす二人


 奴隷として売られてからは、不安や恐怖をこの小さな体に押し殺して日々を送っていたのだろう。一年間、言葉通り終わりの無い暴力を振るわれ続け、身も心も擦り減っていたはずだ。


 ロロアの話を聞き終えた俺は、頬を伝う小さな瞳から零れた涙をそっと指先で拭ってあげた。


 まずはロロアの傷を癒してあげないと。裂けた皮膚は見ているだけで痛々しい。

 鞄から下級ポーションを取り出すと、心底アイテムバッグがあって良かったと思えた。VRだと、打撲や裂傷はこれを飲めば治癒される。


 水石(スイセキ)の様な魔石の類が使えた事といい、鞄の中の物はVRの時と効果も変わりなく使用できるはずだ。


「これを飲めば傷が癒える」


 そう口にしてロロアにポーションを差し出したが、ロロアはポーションを知らないのだろうか。透明の卵型の小瓶に入っている真っ赤な液体を見て、少し恐ろしげな表情を見せたあと、顔を強張らせてしまった。


 俯くロロアを見ながら、俺はやってしまったのかもしれないと思った。


 俺は見慣れているから赤い液体を見ても何とも思わないが、これを知らない者が唐突に血の様な液体を飲みなさいと言われて何とも思わないはずがない。

 それにロロアはまだ子供だ。怖がってしまう事は容易に想像できたはずだった。少し配慮が足らなかったか。


「危ない物じゃない。よく見ておくんだ」


 弟や妹もいなかった独身の俺に子供の扱いは難しい。動揺した(テンパった)俺は親指を少しだけ噛み切り、この下級ポーションの効能を実演して見せようとしたのだが、


「そんなことしちゃだめだよ」


 自傷した俺を気遣ってくれているようで、その瞳は少し悲し気だった。

 幼い少女にこんな顔をさせてしまうとは……


「これはポーションと言って、傷を癒してくれる治癒薬です」


 居た堪れない気持ちになった俺は、何だかどこぞのガイドさんの様な口調で説明したあと、ゴクリとポーションを飲み干した。

 別にこの程度の傷なら体内摂取をしなくとも、消毒液のように患部にかけるだけで治癒されるのだが、ロロアの傷は多く、飲んでもらった方がポーションの効果が十分に発揮されると判断したからだ。

 噛み切った傷口をロロアに見せながら、傷口が淡い光を帯びて癒えていくのを理解してもらった。


「ごめんな、もうしないから」


 癒えた手は自然にロロアの頭を撫でながら、静かに言葉を口にしていた。

 この子は辛い境遇だったにも関わらず、他人に優しくできる子なんだと悟った瞬間でもあった。ましてや自分の家族をむちゃくちゃにしたヤツらと同じ種族(ヒューマン)の俺を。


 もう一つ鞄から下級ポーションを差し出すと、今度は怖がる様子もなく両手でそれを受け取った。俺の顔を一度だけ見直したあと、黙って頷いた俺の様子を見てから、コクッコクッと嫌いな物を飲むように目をギュッと瞑りながら飲み干した。

 子供頃、牛乳が嫌いで俺もそんな飲み方をしてたのかもな。と感傷に浸っていると、空になった小瓶を差し出されて受け取った。


 空き瓶を鞄に戻していると、すぐにもロロアの全身が淡い光に包まれていった。全身が光っている事から、服で隠れた箇所にも傷を抱えていたのだと理解できた。

 それに痩せ干せて栄養が摂れていなかっただろう肉体も、傷が癒えたことで少しは良くなったようにも窺える。


 どうやら栄養失調にでもなっていたようだが、


「もういたくないよ」


 驚きながらも薄汚れたワンピースの襟元をひっぱり、服の上から見えない傷も自分で確かめている様子に、少しばかりほころんでしまった。


 そんなロロアを見ていたら、異世界にきたばかりの俺なんかが、この子に何をしてやれるのだろうかと、ふと思い始めていた。


「よし! じゃぁ次はぐしゃぐしゃになった髪も綺麗にしようか」


 着ている服もそうだが、髪や体も泥が乾燥したように薄汚れてしまっていた。鞄から取り出した水石に相当量の魔力を流し込み、ロロアの頭上に持ってくる。

 ロロアは何が始まるのだろうかと、水石を握り締めた俺の手に視線を向けていた。これから起きる事を説明するように「水がでます。いっぱいでます。好きなだけ水浴びをしなさい」と、そう言い終えた頃に、手の中に握られた水石は水を生成しロロアの頭上めがけ溢れ出した。


「うわぁ!」


 滝のように溢れ出る水にびっくりしているロロアの姿にクスリと笑いながら、


「まだまだ出るからな」


 握り締めた水石は手の中でこじんまりと少しずつ小さくなっていくのがわかる。

 服を着せたままの水浴びだが、ついでに服も洗えていいだろう。ロロアは両手でぐしゃぐしゃになってしまっている髪をバシャバシャと洗い流しながら時折り「ぷはーっ」と息継ぎをして呼吸を整える。


 ロロアが息をするタイミングを見計らい、俺も翳している手を頭上からずらして、溢れる水の直撃を避けていた。

 水石が手の中で消えていき綺麗に洗い終えた頃、ロロアはずぶ濡れでポカンとした表情を浮かべたあと「かじゃみまほうつかいだあ」と楽しそうに声を上げた。


 その頃には俺に対する警戒心もすっかり解けていたようで、初めて笑顔を向けてくれた。

 だが<カザミだ!>と思いながらも、喜んでいる様子だったので今は聞き流しておいた。


「ロロアは笑顔のほうが似合っているな」


 さて、ここで格好をつけてはみたが、問題が発生してしまった。

 そう……男である俺は女性服なぞ持ち合わせていない。ましてまだ幼い少女だ。さすがにロロアに合う小さな服(着替え)は持っていない。


 どうしたものか。ずぶ濡れのままにするわけにもいかないし、このままでは風邪を引いてしまうかもしれない。


「少し待っててくれ」


 魔法使いみたいだと言われながら、俺は少女の衣服ひとつ満足に用意することもできないのか。


 まあ仮に日本に居たとして<はい。コレ>と涼しい顔して子供服なんか差し出せば、親御さんはドン引きだろう。上手く会話がなりたったとしても「結婚されていたんですか。お子さんはおいくつですか?」などの質問に「いえ、独身です」と応える自分が狂気染みている。


 持っていなくて良かったのか、持っていた方が良かったのか。そんな馬鹿げた妄想と共に鞄からタオルと白い生地を取り出した。

 両手を頭の上に伸ばしてバンザイの格好をさせて、ずぶ濡れのワンピースを脱がしてやる。

 胸元に黒くて丸い紋様らしきものが見え、なんだか魔族っぽいなと思った直後、俺の中の倫理観と客観的視点がカチリと小気味よい音を発てて合致した。

 すると俺の思考は填められたピースを拒むように、この光景を受け入れがたい気分になってしまう。


 そう――草原のど真ん中で見知らぬ少女を脱がしている。これが今の俺だ!


「どうしたの?」


 小首を傾げて俺の顔を覗き込んだロロアの眼は無垢だった。


 いったい俺は何を馬鹿な事を考えているんだか、今は世間の目よりも着替えをどうにかしてやらないと。ステテコパンツ一枚になったロロアの髪をふわふわのタオルでわしゃわしゃと水気を拭き取った。


「なんでもない。風邪を引かないよう濡れた体を拭くんだ」


 後は自分でしなさいと手渡したタオルでロロアが体を拭いている間に、急いで白い生地をTシャツのように仕立てていく。

 かなり不恰好だが腕と頭が通ればいいか――うん。ダメみたいです。

 裁縫スキル取っときゃよかった。ゴミ袋に頭と腕を通す穴を開けただけの白い布が出来上がってしまった。


 腕と頭が通れば良いなどと軽い気持ちで作ってはみたが、


「……さすがに無しだな」


 なにか着るものはないかと、鞄の中身を確かめてみる。頭の中でマス目状に展開されたアイテム一覧を確認していくが、やはり子供服が無いのはわかりきった事だった。かわりになりそうな物はないかと探していると[黒衣]を見つけた。


 釣り鐘のような袖の無い外套とは違い、きちんと袖の付いたローブと呼ばわれる衣だ。けれどこれだと小さなロロアでは裾どころか袖まで地面に着いてしまいそうだが……仕方ないか。

 ある程度、袖や裾を短く切ればいけるか。ゴミ袋みたいな布よりは幾分かましだろう。今はこれで我慢してもらうか。


 体を拭き終わり「くしゅんっ!」と、くしゃみをしたロロアに黒衣を着せてみると、やはり袖までも地面にだらりと着いてしまった。まるで某名作の<体は子供、頭脳は大人>と化した瞬間を彷彿させるだらしない格好をしていたのでおもわず笑ってしまった。


 すると突然、大人用サイズだった黒衣はロロアの身長に合わせて小さくなっていった。その異様な光景を見ながらも俺はなんとなくそれがどういった現象なのか知っていた。今のはVRの名残だろう、初期装備者の身体サイズに合わせたように見えたからだ。


「とりあえず服はこれでいいだろう」


 一先ず服はどうにかなった。正直、黒いテルテル坊主と化すだろうと思っていた。


「なんだかすごかったね!」

「あぁ。すごかったな」


 服が縮んだ事に驚きと興奮を隠せない様子でそう口にしたロロアに、俺も相槌を打ちながら脱がせたワンピースを折り畳んでいく。両手で握れるぐらいまで畳んだところで、ぐるりと筒状に形成して絞り込んだ。

 ギュギュッと力強く絞ると同時に、


「すまんロロア……」


 まるで紙切れを絞ったかのように、握っていた服は破れ落ちてしまったからだ。なんとまぁ申し訳ないことをしてしまった。ロロアは気にしなくていいよ、と言ってくれたが、一着しかない服を台無しにしてしまった。


 奴隷服だからと言っても他人の物を壊してしまうと言うだけで罪悪感が沸いてしまう。そんな俺の心境とは裏腹に、今は破れた奴隷服よりも黒衣に付いているフードが気に入ったらしく、深く被り嬉しそうにはしゃいでいた。


 角を見られることで人間から珍品扱いされるか、酷い扱いでもされていたのだろうか。見た目は小さな魔女みたいになってしまっているが、喜んでくれているし善しとしよう。


 黒衣をパタパタと靡かせながら、フードで隠れた角を手でぺちぺちと軽く叩いて隠れているか確認しているロロアを一旦落ち着かせた。

 とりあえずだがロロアの身形も整ったところで、この世界の事を尋ねる事に。突然俺は異世界人だと言ってもロロアは困惑するだろうと思い、俺のことは伏せながらこの世界の種族と国についていくつか質問してみる。


 人以外、魔族も居るんだとハッキリしている事だし、少しでも国や種族について知っておかないとまずいだろう。人族と対立している国が在ったとして、仮にこの草原が敵国の領土だとすれば、俺は間者(スパイ)として捕えられる可能性も低くは無いはず。


 そうして尋ねてみると、ロロアは俺のことは何も聞かずに、ただ俺の口にした質問に応えてくれていた。身振り手振りで話してくれる姿に、その都度相槌を打ちながらロロアの言葉に耳を傾ける。


 どうやらこの世界には主に五つの種族がいるらしい。数が多い種族順に、人族、獣人族、魔族の三種族がいて、この三種族に比べると数は極端に少なくなるが、竜族や精霊族もいるようだ。数が多いとされる三種族内でも人口数は人族が圧倒しているらしい。

 俺の居た世界でも一秒間に四人生まれていると言われるのが人間だ、暇があれば腰を振っているのは地球(向こう)異世界(こっち)も同じか。


 そして人族と獣人族から見れば、魔族に類している魔物も存在しているらしいが、魔族からみれば魔物はまったくの別ものらしい。魔物を従えたり「世界の半分をくれてやろう」と言ったりする想像(イメージ)の魔王像とは随分とかけ離れている存在のようだ。


 獣人族はヒューマンのような外見だが、身体の一部に獣のような部位があるらしく、耳や尻尾が特徴的であり、犬耳族や猫耳族、兎耳族など他にも色々いるようで、まとめて獣人族と呼んでいるとのこと。

 この種族は俺の持っている先入観と合致していた。数も人族の次に多い種族であるようだ。さすがは獣人、ここはイメージと少し違ったが繁殖率が高いんだな。


 数が少ないと云われる種族にエルフ族やドワーフ族も類しているのだとか。エルフは森に住み、ドワーフは鉱山近くに住み、双方独自の国家を築いているという噂程度の事しかわからないらしい。

 どちらも精霊族に分類されているが、同種族でも独自の国家を別々に築いていると言うことは、やはり仲が悪いのだろうか。獣人族に仲が悪そうなエルフとドワーフ、俺の知る空想の物語(ファンタジー)と酷似する種族がこの世界で生きていると言う事か。


 どの種族もそれぞれに国を築いているらしいが、大陸の数や形、各種族の国の位置など詳しい事はロロアもわからいようだ。まだ小さいロロアが、ここまで知っている事の方がすごいことだ。正直俺は、元居た世界の国すら全てを覚えているわけではない。


 ヒューマンと魔族の関係は母親に教えてもらっていたらしく、他よりは詳細に説明してくれた。

 三百年ほど前の話らしいが、人族と魔族で領地を巡る争いが起き、戦争へと発展したらしい。元々相容れない者同士で互いに滅ぼす機会を窺っていたようだ。

 戦争はヒューマン側の勝利で幕を閉じたが、互いに多大な損失を(こうむ)り、魔族はこの大陸の隅まで追われ自国を縮小させる形となったが、それでも国境を築き魔族の国を維持したらしい。


 魔族と人族が同じ大陸に居る方が驚きだったが、やはりそこは文明社会を築いている魔族と言うだけあって、人族を支配下に置こうとはしなかったのだろう。

 領地争いで戦争が起きたと言うのに、俺はどこか人間臭い魔族に好感を抱いた。


 転生者や転移した者が現れる場合、魔族に攻め滅ぼされる寸前の人族を救う勇者が降誕するんではと思うところだが全くの逆。大陸の隅に追いやられたのは魔族側だったようで、ますます俺の転移は事故としか思えなくなってしまう。


 最後になったが、竜族については何もわからないようだ。精霊族にもエルフやドワーフ以外も居るらしいのだが、そこまで詳しくないらしく、このぐらいがロロアの知る国と種族らしい。


 知りえた事を簡単にまとめると、俺が今居る草原は日本のような島国ではなく大陸という事。

 この大陸はヒューマンがほぼ陣取り、隅に魔族の国がある。

 この大陸には魔物もいて案外危険。

 獣人族もヒューマンの国で暮らしている。これはロロアが知らないだけで獣人族の国も大陸のどこか、あるいは他の大陸にあるかもしれないな。


 さて、これからどうしたものか。

 ロロアはヒューマンに両親を殺され、弟もまだどこかで奴隷として生き――俺の脳裏に最悪の結果が浮かんでしまった。


 離ればなれになり、少なくとも一年は経っている。ロロアのあの傷、もし弟も酷い仕打ちを受けていたとすれば、小さな体では長くもちそうにないだろう。ましてや三百年も前とはいえ、人族と魔族の戦争のあとだ、互いの種族に対しての憎悪は簡単には消えていないはず。


 今はロロアのためにも、無事でいてくれることを願うしかできないか。


 話を聞き終えると、ロロアは弟を探すため最後に訪れた人族の町に向かうと言ってきたが、それからは立ち上がったまま両手をモジモジとさせて俺の様子を窺っているように見えた。


 俺がどこまで力になってやれるかはわからないが、すでにロロアと行動を共にしようと決めている。

 だからこそ、ここはロロアの口からきちんと頼まれなければならない。自分の意思を相手に伝えることを覚えてほしいのだ。

 断れない(NOと言えない)人間にならないために!――って魔族か。

 心の内でそんな事を思っていると、モジモジとしていたロロアだったが、一呼吸して口を開いた。


「カジャミ、トトロさがすのてつだって」


 絶対これ、俺の居た世界じゃピー音入るやつだ。少女がトトロを探していると言えば、あれしか浮かばない。脳裏に毛で覆われたモフモフの謎生物を連想してしまったが、俺は咳払いをして気持ちを落ち着かせた。


「あぁ、一緒に行こうか」


 ちゃんと言えるじゃないか。俺の言葉を聞いたロロアの表情は、ぱぁっと明るくなり、勢いよく飛び掛ってきた。

 両親を失い、弟と離れ一人で不安だったはずだ。俺たちは人族と魔族という異例の組み合わせかもしれないが、俺は今、自分が異世界人でよかったと思っている。

 もしこの世界で生き、成長していれば、魔族であるロロアをこんなにも素直に受け入れられたか自分でもわからない。

 だが、これが今の俺の素直な気持ちだ。


 世界の全てがロロアを拒もうとも、俺だけはロロアの味方でいよう。


 口には出さなかったが、心の中でそう告げておいた。俺も知らない世界へ飛ばされて不安だったんだと思う。一人より二人の方がいいに決まってる。


 それはそうと、さっきは聞き流したが今回はきちんと訂正しておこう。俺は両膝を地面に付けてロロアの視線の高さと合わすようにして向かい合った。


「ロロア、俺の名前はカザミだ。俺の名前を、もう一度呼んでみようか」

「カジャミ」


 そうか、俺の名前が言いづらいのか……まぁ、まだ子供だ。気長にいくか。


「トトロは弟の名前か?」


 ロロアは「そうだよ」と言ったが、少し暗い顔をしてしまった。弟が心配なんだろう。


「トトロのことをトトって呼んでもいいか?」

 

 どうやらロロアと両親はトトと愛称で呼んでいたらしく、トトのほうがしっくりくるようで二つ返事で了承を得た。言葉だけならトトロを探す二十八歳なんて人生の末期だろ。せめて名前ぐらいはトトのほうがいい……


 俺たちに目的ができた。

 それからは天幕にBBQセット、鍋を吊るしていた自在鉤など、野営地を片付ける事にした。色々な物を鞄にしまっていると、ロロアが不思議そうに鞄を眺めていた。こんな小さな鞄に色々入るんだもんな、気になるのは当然か。


 気になって我慢できなかったんだろうか、突然隅に置いていたバケツを持ってきて鞄に入れようとしてきたが、ロロアからの収納は受け付けず、バケツが収納されることはなかった。


「おかたづけてつだうの」


 どうやら俺の手で鞄にしまわないといけないらしく、ロロアは顔をしかめ少し不機嫌そうだ。

 そんなロロアの姿を見ていたら、「この鞄、俺からならロロアも収納しちゃうんじゃないか?」と恐ろしい事を考えてしまった。


 もしもこの鞄の中が宇宙のような空間だったとしたなら、真空状態の場所に風船を入れるようなものだ。風船のように破裂し肉片と化す事はないだろうが、間違いなく窒息死は必須だろう。

 こんな事は考えないほうがいい。俺はすぐに今の考えを忘れる事にした。


 粗方片付けが終わり、あとは床がわりに敷いていたレンガブロックだけとなったが、一度使用するとブロックはその場に定着してしまうようだ。

 草原のど真ん中にレンガが敷かれている光景は見ていてかなりシュールだ。破壊は可能だが、一夜の拠点と言うことで思い出に残しておくことにした。


◇◇◇


「そろそろ出発するか」

「うん!」


 ロロアは森林側からやってきたから目指すは丘の方角か。あの小高い丘から向こうを見渡せば町か村があるかもしれない。気づけば俺たちは自然と丘の方角を向いていた。

 今まさに、俺は異世界での第一歩を歩み出したのだと実感している。


 俺の歩調に合わせ小走りにトテトテと隣りを歩くロロア。この調子なら日暮れまでにはあの丘にたどり着けそうだが、いざ進んでみるとこの草原はやはり広い。


 たまに俺を追い抜いて駆け出しながら、淡く光る草をみつけてはちょこちょこと駈けずり回って摘んでいる様子だった。そんなロロアの姿はまるで小動物のようで、俺の心を和ませてくれる。

 摘んだ草をニコニコと笑顔で俺の元へ持ってきて「みてー」と口にしながら、深々と被るフードの中は笑顔を覗かせていた。


 微発光する丸みのある細長い葉を胸元に大量に抱くその黒衣姿は、森の木の実を集める小動物から森の魔女へと変貌してしまったようだった。

 摘んできたこの草は知っているのが当たり前なのだろうか。確かに淡く光って珍しい草だな、とは思っていたが。


「いっぱい摘んだな、その草は何なんだ?」

「これめずらしいの」


 どうやら悠久草と呼ばれている薬草の類らしく、生命力が強く万年咲きつづけていると云う事らしい。「さがすとみつからないんだあ」と呟いている……のだが、俺でも昨日からチラホラと見かけた程度のものを両腕に抱えるほど摘んできたロロアは、今すごい才能を開花させたのではないだろうか。


 それにこの悠久草は薬草や毒消し草の代わりになり、冬でも採集できるため重宝される代物だと教えてくれた。両手が塞がっていると危ないので、胸元に抱えた悠久草をひとまず鞄の中へ収納していおいた。

 すると脳内に浮かんだセルには一つ違う物が混ざっていた。

 [悠久草:x39] [七色草:x1]と数まで表記してくれる。かなり便利な鞄だ。ロロアは全て悠久草だと思っている様子だったが、どこか腰を落ち着ける場所が見つかったならこの七色草も渡してあげよう。

 草類を仕舞い終え、いつの間にか陽が頭上へとやってきていた。空いた両手をお腹へともってくると、ロロアのお腹からキューッと可愛らしい音が鳴り、お昼だと知らせてきた。少し頬を赤らめたのが見えると、恥ずかしそうにフードの端を両手で掴み顔を隠してしまった。


「ははっ。昼飯にするか」


 つい笑ってしまいながらも、鞄からレジャーシートを取り出し、草が生い茂る草原に座る場所を確保した。敷いたレジャーシートが濡れないように、少し離れた場所で水袋の水でロロアと俺の手を洗い、空になった水袋に水石を入れて飲み水を補給しておく。

 サンドウィッチを食べながらピクニック気分でも味わいたいところだが、あいにく鞄にサンドウィッチのような小洒落た食べ物は入っていなかった。


 かわりに常備アイテムの一つ、スタミナ回復弁当があったのでそれを取り出した。VRで宿屋に泊まると朝、宿を出るときに看板娘から強制的に持たされるものだ。その日の夜に宿に戻り「おいしかったよ」などと声をかけてしまうと、オーナーイベントが発生する強制フラグ弁当でもある。

 このイベントを進めると、他プレイヤーからの哀れな者を見るような視線と、他の町での宿の経営権を取得できるのだが、売り上げの30%を払い続けねばならないという弁当に対して割の合わない搾取イベントだったのを思い出してしまった。


 敬遠されるイベントなので、弁当が溜まり続けるプレイヤーも多かったことだろう。

 ついVRの思いでに浸ってしまったが、さっそく食事にしよう。弁当とついているが、中身は具だくさんカレーのピタパンである。スタミナの要素どこいったとか、カレーパンなら揚げパンにしろと言いたくなる看板娘お手製(オリジナル)カレーをピタサンドの中に注いだだけの、ただの手抜きカレーパンだ。これで

初心者をカモにして暖簾(支店)を広げるんだから恐ろしい宿屋だ。


 鞄の中は時間停止処理が施されているみたいで、カレーパンはできたてのように温かい。


「カジャミ。なにこれ、すごくおいしいよ」


 気に入ってくれたらしく、口の中いっぱいに頬張りモゴモゴとさせているロロアは、頬袋を膨らませたハムスターみたいな顔になっていた。


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