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プロローグ


 駅のある夜の街は煌びやかなネオンに彩られ、その街を凛々と照らす満月が明るく輝いていた。

 改札を抜けた俺はネオンの光でチラついた目頭をつまんだあと、会社からの帰路につく。


 マンション住まいの独身男性は多いことだろう。俺もその中のひとりであり、施錠された玄関の鍵穴に鍵を差し込んだ。

 開かれた扉の先には"ただいま"を言う相手もおらず、月明かりが差し込み薄明かりに照らされていた。無言のまま玄関に入り、設置されている照明プレートを押して光を求めた。


「……」


 くたびれたスーツを脱ぎ捨て風呂に入り、その後は食事を済ませ、壁に掛かっている丸時計に自然と視線が向かう。

 時計の針はテレビのゴールデンタイムが終了する時間を指していた。


「今日もこんな時間か」


 ここにきてようやく、プライベートな時間を堪能することができる。


「明日も早いし、二時間ぐらいにしておくか」


 ふー、と一息ついたところで愛用のソファーに腰を沈め、リクライニングを傾けてからサブテーブルに置かれているVRギアに手を伸ばす。


 ゆったりと沈むソファーにその身を預けながら、VAギアを装着した。

 ギアの見た目は頭部全体を覆う旧式のヘッドギアではなく、シュノーケルの無い分厚いゴーグル部分が機械化されたと言えばわかりやすいだろう。それとは別に後頭部から首根までを覆う半円のサポーター部分のふたつで構成されている。


 人間は体を動かすとき、脳から神経を伝いあらゆる部分へと指示を出し動かすようだ。

 このゴーグル部分はログインやアップデートなどの視覚的に作業が必要なときにだけ利用するだけで主にゲーム中は意味をなしていないだろう。

 このVRギアのメインなのは首根を覆うサポーター部分、これは脳から送られてきた電気信号を受信し、体へと送られるはずだった指示を遮断してゲーム内にある俺の意識(キャラクター)へと転送するらしい。


 仕組みは単純だが高度な科学だという事だけは理解できる。


「発達した科学は魔法みたいだな」


 準備が整うとポツリと言葉を漏らしながら、ゴーグル部分の側面にあるスライドスイッチをカチリと押し上げて電源を入れた。


 すると、見慣れたログイン画面が現れる。


 ____________

 <ログインしますか?>


 【YES】―【NO】

 ____________


 もちろん【YES】だ。

「YES」と呟くと、表示されているログイン画面が光と共に視界の先、中央の一点に向かい吸い込まれていく。

 この時、俺はこの画面を見ているだけで現実時間から開放されていく気分になる。


 俺のプレイしているVirtual Reality Massively Multiplayer Online、頭文字からなる通称VRMMOは何年も実装され続けている老舗のオンラインロールプレイングゲームだ。


 意識が現実の身体から仮想世界にダイブすると同時に、いつもとは違う妙な違和感が全身を駆け巡り、覚えのある不快感が俺を襲った。

 まるで、俺自身が何かに取り込まれた感覚に陥ったからだ。


「さっきの感覚……子供の頃に味わった夢のようだ」


 これ以上先に踏み込んではならない。そんな縛られた夢を見ると、逃げる様にその場から逃げ出していた。


 何もないとわかっている夢な中では、俺以外本当に何もない暗闇の中そのものが恐怖の対象だった。

 その場から駆け出した足は突然重くなり、自分の体じゃないかのようにスローモーションとなり始める。


 意識は全力疾走しているはずなのに、走れないもどかしさから、背後に何かが現れたと錯覚して恐怖は膨張した。


 そんな中、何かが居るという実感だけが突如として大きくなり、振り返ることも億劫となってしまう。

 無意識の中で自分が創り出した偶像なのだろうが、それは黒い影となり俺を捕まえようと背後から近寄ってくる気配を感じ始める。


 逃げないと、早く逃げないと。


 だが、スローモーションでしか走れない俺とは違い、その影は機敏に俺の元に追いついてくるのがなぜかわかってしまう。

 焦りや恐怖が許容できる限界を超えると、いつもその影に捕まる寸前で夢から覚めていたのを思い出した。


 それが今は、その一線を越えてしまった気がする。夢なら覚めていただろうが、どうやら俺はその陰に捕まってしまった気がした。


 どうして今、そんな子供の頃の夢を思い出したのだろうか。


 仮想世界にダイブした俺は、不安に陥る気持ちを無理に落ち着かせようと小さく深呼吸をしたが、早くなった鼓動と抱いてしまった感情に抗う事ができなくなっていた。

 すでに俺の第六感が得も知れぬ不安から警鐘を鳴らし続けている。


「何かがおかしい」


 冷や汗が頬を伝った。


 すぐさまメニューウィンドウを開こうとしたが、視界の端にあるはずのメニューアイコンは無く、メニューウィンドウを開く事ができなくなっている。


 さらに膨らんでいく焦燥感に押し潰されそうになる。


 焦りからか……喉が渇く。

 生唾をゴクリと飲み込み驚愕した。

 唖然としながら棒立ちだった俺は何が起きているのか把握できていないまま、


現実(リアル)過ぎる」


 飲食が可能な仮想世界ではあったが、これほどリアルに再現されていなかったはずだ。

 頭を抱えた俺は、これはゲームの不具合(バグ)だと自分に言い聞かすと同時に、直感した<異世界転移>と言うワードが、頭の中で()めぎ合っていた。


 どれ程の時間が経過したのだろうか。数分にも満たない時間は、今の俺には永遠にも感じさせるほどに精神をすり減らし、暗闇へと(いざな)っていく。

 困惑すると人は、起きた事象そのものから考える事を放棄し、思考が停止してまうのだろうか。


「ここは――知らない世界(異世界)なのか」


 現実を受け入れようと言葉を口に出すと、我に返ったように停止していた思考が回り始めた。


「俺はどこにいるんだ!?」


 自分の居場所すら把握できておらず、緊張感が込み上げてくる。それに伴いすぐに周囲の確認をすることにした。

 こんな知らない場所で無警戒にもほどがある。ざわついた心はまだ落ち着きを取り戻してはいないが、それでも首を左右に振ったり、後ろを振り返ったりと、辺りを見回す事に必死だった。


「ここはどこだ!」


 どうやら周囲には何もなく、足元は生い茂る草に囲まれている。だだっ広い草原が広がっているだけのようだ。

 俺以外誰もいない事がわかると、安堵と不安がごちゃ混ぜとなった。なんとも言えぬ脱力感にも似た感情がこみ上げてくる。


 もう一度、今度は丁寧に辺りを再確認してみる。


 今向いている視線の先、遠方には深い森林を微かに覗き見ることはできた。防風林の高い木々が密集しているだろう事が一目でわかる。

 その森林地帯の拡張を阻む、岩肌が剥き出しとなっている高い崖が森林の右側に見えた。森林地帯からその崖へと視線を傾けるが、その高低差のある断崖に固唾を呑んでしまった。


「断崖の下は大森林というわけか」


 遠い先に見えるその光景は、まるで世界が天界()下界()に裂けた様だった。


 驚嘆のあまり釘付けとなってしまっていた。壮大な光景に固唾を呑んだあと、振り返った背後は小高い丘が視界を遮っていた。


 その先に何があるのかまでは確認できず、ただ黙って見つめていた。


 あの丘の先に何があるのか確かめに行こうかとも考えたが、辿り着く頃には日が暮れるだろうことは十分理解できる距離があったため、今はやめておく。


 左右にはこれと言った建物や遮蔽物も無く、頬を撫でる風が過ぎ去っていくばかりだ。

 見上げた空は澄んだように真っ白い雲を漂わせている。

 どこまでも続く空は、同時に心のどこかに置かれていた仮想世界(VR)だという一縷の希望が消えた瞬間でもあった。


「ははっ。やっぱここ……異世界だわ」


 誰も俺の事を知らない世界に行ってみたい。そんな感情を抱いた事もあった。

 だが、いざその想いが現実になると、孤独と絶望が俺を襲った。


 俺の事を知らない世界(・・・・・・・・・・)――ここは、俺の知らない世界(・・・・・・・・)


 似ているようで全くの別物だ。

 やはり俺に都合の良い事など起きはしないのだと、うな垂れてしまった。


 二十八歳未婚。趣味はゲームで会社と自宅の往復を続ける日々。

 帰宅後はVRに没頭するだけの、ろくな生活ではなく、充実した人生とは程遠い時間を送っていたと思う。他人との円滑な人間関係を築いてきたという事もなく、俺がいなくなったところで心配する人はいないだろう。


 時間が経つにつれ、沸騰した湯が冷めていくように、着実に冷静さを取り戻していくのがわかった。


 俺の身に何が起きたのかわからないがここは森林と隣接した草原だ、野犬や熊など野生動物などの危険があるかもしれないため注意しなければいけないだろう。


「まだ明るい内に人里を目指して移動するか?」


 いや、どこに向かって歩けばいいのかさえ判断できないほど、情報量が乏しすぎる。道と呼べる物も無く、人の声ひとつ聞こえてこない。

 今は闇雲に動かない方がよさそうだ。


 それと気づいた事が一つだけある。どうやら俺の身体が多少若返り、以前より少しスリムになっている事が気になる。

 ビールの飲みすぎで下っ腹のでたメダボというより、俺の場合は横っ腹が若干ぷにっとしてきた自覚はあった。それがどうだ、これが忘れかけていた健康な体というものだろう。

 身体がいつもより軽く感じるし、感覚的には二十歳ぐらいと言ったところだ。掌で頬を擦りながら、手ぶらなのは重々承知の上だが、せめて鏡があればなと思ってしまった。


「鞄だけでも持ってこさせろよ」


 俯いた俺はつい、小さく呟いた。

 すると突然、草原で独り(ぼっち)な俺の腰辺りに何の前触れも無く黒い(もや)が現れ、それは宙に浮いていた。


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