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グッバイ、グッド・ルーザー

作者: 三崎 剛史

 どうしてこんなに辛い思いをしなくちゃならないのだろう。

 胸が苦しいし、わき腹が痛い。早く給水ポイントが来ないだろうか。喉がもうカラカラだ。

 なんで俺はこんなに必死で走っているんだろう?

 それは……、そう。あいつのせいだ……。あいつっていうのは、そう、部長のことだ。クソ! 俺をこんなことに巻き込みやがって!

 この大会で勝てば我が校は地区代表に選ばれる。ここまできただけでも、うちのような弱小校にとっては奇跡だ。しかも、アンカーは去年から走り始めたばかりの、この俺だ。

 なんでこんなことになったのだろう? そうだ……、あの時だ。

 「久世君……だよね? 駅伝、興味あるの?」

 俺は何気なく部員募集のポスターに目を止めていた。陸上競技や駅伝に興味があったわけではない。”一緒に京都を目指そう!”と書かれた一文に、京都? いったい何部なのだろう? と不思議に思っただけだった。

 そこにタイミングよく声をかけてきたのが部長だった。

 「……いや、俺、こういうのダメなんで……」

 「そう? 向いてると思うけどな。久世君、中学の時、体育の授業でマラソンしたの覚えてる? 走り終わって、久世君だけ息一つ切らしてなかったでしょ?」

 「それは……、俺はさあ、ああいうの本気出さないから」

 俺は勝ち負けには拘らない人間だ。なぜなら俺は勝てない人間だからだ。スポーツにしたって、勉強だって、俺は一番になれたことはない。

 「入部条件は簡単だよ。足が二本揃ってて、走れればいいだけだから。ね! 簡単でしょ? まあ、でも……」

 簡単だけど楽じゃない。部長め。俺をだましやがって。先頭集団についていくのがやっとだ。心配機能が悲鳴をあげている。

 「これは僕の持論だけど」いつだったか、部長が言っていた。「人間はねえ、誰かに勝ちたいっていう根源的な欲求を、誰しも持っていると思うんだ。久世君にだってあるはずだよ」

 「それでも、どんなにがんばっても勝てない奴って、いますよ……」

 「ねえ、ひとつ聞いてもいい?」部長は穏やかな笑顔を作りながら言った。「勝てなくていい……、そう思いながら生きるのって、どんな気分?」

 意地悪そうな笑顔だった。

 どんな気分かって?

 じゃあ言ってやる!

 そりゃあ悔しいですよ!

 自分が惨めで、哀れで、情けなくって……。

 クソ! だからおれは駅伝なんてやりたくなかったんだ。

 だけど、部長。実はね、ひとつだけ感謝してることがあります。

 この部に入って、俺は楽しいです。

 練習後にみんなで駄菓子屋でアイスを食べたり。日曜には遠足気分で遠くに走りに行ったり。

 夏合宿では、広げた布団の上で、夜が更けても下らない話で盛り上がりましたね。

 大会の後にマネージャーの伸子が作ってきてくれた唐揚げを、みんな「マズい」って言ってからかって、伸子は怒っていたけど、結局みんなで一つ残さず平らげた。あいつらしい、不器用で、胡椒がききすぎた唐揚げだったけど、あの塩辛さは疲れきった身体によく効いた。不思議と元気になれる味でしたよね。

 ムネスエ先輩は、フォームがどうの、呼吸のリズムがどうの、ペース配分がどうの、って理屈っぽくて、口うるさくて……、でも俺、あの人のそういうところ嫌いじゃないんです。

 コウタはいつも俺につっかかってきた、俺よりタイムがいいと自慢してきて、逆に俺に負けたときは大げさに悔しがって……。そんなあいつのせいで俺は速くなりましたよ。

 そして、

 俺に、はじめて仲間と呼べる奴らができました。

 部長。あんたもです。俺は、あんたを含めて、みんなを、京都に連れていきたいです。

 「賭けをしようか。もし、久世君にも誰かに勝ちたいって気持ちがあったのなら、僕の勝ち。走ってみて、それでも勝てなくていいと思ったなら……」

 部長。いつかそんな賭けをしたのを覚えてますか?

 残念でした。賭けは俺の勝ちです。終わったらアイスを奢ってもらいますよ。

 じゃあ、なんで俺はこんなにも必死で走っているのか? それはね……、こんなにも辛い思いをして、俺が今、心から欲しているのは”勝ち”じゃないんです。

 みんなとずっと……、

 ずっと走っていたい。ただそれだけです。

 部長に一つ、聞きたいことがあります。

 勝ちたいのに、どうしても勝てないことと、走りたいのに走れないこと……、どっちが辛いですか?

 「足が二本揃ってて、走れればいいだけだから。ね! 簡単でしょ? まあ、でも……ご覧の通り、僕は足が二本揃ってないし、走れないんだけどね」

 あの日、部長は俺を見上げながら言った。まいったなあ。とでもいうような軽い仕草で頬を掻きながら……。

 ベンジャミンの並木通りを抜けると、沿道から俺の名を呼ぶ一団がいた。

 その中に、車椅子の部長の姿もあった。

 「ファイトー!」「がんばれー!」「久世くーん!」

 あんたは誰よりも勝ちたい気持ちが強い。走りたいんでしょ? 今、あんたは俺を見てどんな気分なんだ? きっと、俺なら耐えられない。嫉妬で胸が焦げ付きそうになるに決まってる。全部投げ出して、駅伝なんかに金輪際関わりたくなくなるだろ! 普通……。

 それなのに……、それなのに、

 そんなにも声を枯らすほどに、俺の名を叫んで……。

 「久世ぇー!」

 部長は俺達を、いつもどんな気分で応援しているんですか? どんな気持ちで部長をやっているんですか? みんなにタオルを配ったり、水を運んだり、応援をしたり。そんなことしかあんたはできないのに……。そんなことしか……。

 自分が惨めで、哀れで、情けなくなったりはしないんですか?

 もし……、

 もし、俺が一番でゴールテープを切ることができたら、教えてくれますか?

 それなら、俺は、もう少しがんばってみます。もっとペースをあげてみます。

 きっと、その時、俺はこのタスキをあなたの肩にかけてあげますよ。だから……、

 だから待っていろよ!

 クソ!

 

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